今私は、総合病院(最初の勤務先)で、ボランティアをやっている。
内容は、当日入院する患者さん(とその家族)を入院受付から病棟まで
案内する、というもの。
ここの病院のボラは、他に、外来清算機付近での案内、院内図書館の運営、
レントゲン運搬、広報誌の発送、などがある。
私は直接人に接する部署をやりたかったので入院受付をすることにした。
本当は同じ系列の病院のホスピスボラをやりたかったけれど
そこの病院では平日昼間に行われる説明会の参加と
週1以上4時間程度活動ができる人という制限(?)付きのため
今の私には時間的に無理があると思い、そこは(今は)やめたのだ。
でも、本当の本当は、最終的には在宅緩和ケアのボラ(傾聴ボラ)を
やりたいと考えている(今のところ)。
自分があと僅かの命だと知ったとき、どこで過ごしたいだろう?
私だったら・・・やはり共に暮らしてきたパートナーと共に
(私には現在そのような人はいないけど・・笑)
住み慣れた家(これもまだ無いけど・・・笑)で、何も変わらない環境の中、
変わらない毎日を送りたい、と思う。
そう考える人は多分私だけでは、無いだろう。(実際そのような統計もあるようだ)
でも、まだそれが可能な状況が整っていない。
私の住む街では、在宅緩和ケアを行っている医院は本当に少なく、
ボラにおいては調べた限り活動していない(活動がない)
ではどうしてそのような活動をしてみたい、と思うようになったのか?
それは以前の仕事の影響だろう。
私は総合病院の外来クラークをしていた。
そこで本当にたくさんの患者さんが私に色々な話をしてくれた。
他愛ない日常のことから、実は悩んでいる・・という苦しさをそっと吐き出したり、
中にはあたる人もいた。
でもどうして私にぼやいてきたのだろうか
ずっとわからなかった。
でも後になって、多分私は「ただの人(に近い存在)」だったからなんだろうか、と
思うようになった。医療側の人間(Dr,Ns)とは少し違う存在、彼らには話せないような
こととか、話すようなことではないことを話す場所、
ガス抜きをする場所、というのは患者さんに限らず、誰にもあるような気もする。
今年は都内に出かける機会が何度かあって、その度に地元には無い、
大きな書店に立ち寄った。そのとき偶然発見したのが
『命のことだま』岩崎瑞枝 著
ファイナルステージを考える会(がん患者と家族を支援するボラ団体)の代表である
著者が、実際の活動の中で起こったこと、感じたことが、淡々と、でも柔らかく
書かれている。この本を最初ささっと目を通したとき、同じコトを考えてた人が
いたんだ!とすごく嬉しく、またびっくりした。
この中に
『自分の今の不安や悲しみ、これからどうなるのか、遺していく家族へのメッセージを
聴いてくれる人がいない。家族に話すには辛すぎることがあるのよ』
と話した方がいたということが書かれている。
近い人じゃないから、冷静に語ることができ、また自分の中でまとめられることが
あるのかもしれない、と思う。
私はいつかここで傾聴とハウトケア(ここで開発された、
オリジナルの手足マッサージ)の修行に行きたいと考えている。
そしてその技術を地元で生かしたい、でもそんな大きなこと、できるのだろうか
わからない。
何もないところから作ることができるのだろうか?
わからない。
自分に誰かの想いを受け止められる度量が備わっているのだろうか?
・・・わからない。
でも、自分がそうしたいと思ったのだから、無ければ作るしかない。
そしてやってみるのだ、失敗もあると思うけど、
それを繰り返して少しずつ作り上げてゆく。
話が長くなってしまったけれど、このカテゴリー内では、そういう道のりで
時々ぼやきながら、悩みながら、思ったままを文字にすることで
また新たな発見をしたり、考えをまとめられたらいいなと考えています。
なんせ、私にとってブログとは・・・カウンセリングのような場所だから(笑)
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