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2008年1月

痛みを知る

ぴーが入院した。

右足スネの部分の骨折、1週間ほどの予定だ。

指先から右足付け根近くまで固定されているので、身動きが取れず、寝たきり状態。

初日はかなり痛んだようで、一晩中「・・・いたいよぅ・・・・」と泣いていた。

私は骨折の経験がないため、それが一体どの位痛いのか、どんな感じで痛いのか

わからないので、つい「もうどうしようもないくらい『痛い』までもうちょっと我慢できそう?」

と一回言ってしまって、はっとした。

痛い方は、とにかく痛いのだ、痛くて我慢できないから痛い、って訴えているのに

「もうちょっと我慢しな」とか「もうちょっと頑張れ」とは

言えないなぁ・・・言いたくないなぁ・・そう思って

座薬入れる時間になるまで、ただ「そっか、痛いよね」と言いつつ

ひたすら足の付け根をさすっていた(眠かった・・・)

入院なんてしないに越したことはないけれど、骨折の痛み、入院生活の様子、

生活の不便さ、お見舞いの嬉しさ、etc、を経験できて、彼は色々な本当を知ることが

出来たんだから、いい経験かな、と思ったりもする。

(しばらく個室に入っていたので請求書が怖いが・・・)

はかせが、ちょっと学校を休んでいる。

思い出すと吐きたくなるほどダメージを受けていて、わんわんと大泣きをしている

姿を見たら、彼がそこまで追い詰められていたのか、

いや、正当な理由が本当は無いのに、まじめにふつーに生活をしていたのに

ヤな目にあってしまったのか、そう思ったら

何かとても悲しくなり、2人でわんわんとしばらく泣いた、

そのあと、「まぁしばらく休んだからって、だからどうした?」って思えて

それより何より、はかせにとって家だけは安心できる場所であって欲しい。

安心できる場所が無い、という苦しさ、それを味わって欲しくない。

だから緊急避難方法として、家に居ることを彼に許可した。

(そのあと心理のF先生に相談したら、その方法でいいでしょう、と言ってもらった。

もちろん次のステップがあるのだが・・)

辛い経験はホント辛いけど、そこからわかることもたくさんある。

そのときは苦しいけど、あとできっと何かわかる人になってくれると

私は信じている。

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自信とは?

「自分に自信がある」とはどういうことなんだろうか?と考えたことがある。

考える、ということは、自分には自信が無いということの裏返しになるのかもしれない。

さっき書いた「いつも頭は疑問形」というのも、もしかすると自分の考えに自信がない

からなのかもしれない、

自信って、何もしなくても自然に持てる人と、そうじゃない人がいるように思う。

以前彼に「お前は努力してこなかったから今の結果がある」というような内容のことを

言われたことがある。

確かに私は努力が足りなかったことがたくさんあると、それは自分でも思っている、

ただ、努力したから全て手に入れられるか、というと、それは違うのでは・・・と

思ったりもする。

努力しても手に入れられないものが、人にはある、ような気がする。

人によって、同じように努力しても手に入れられる人とそうじゃない人がいる、ような

気がする。

努力した結果欲したものが全部手に入れられた人もいると思うけれど

そうじゃない人もたくさんいると、私は思う、

なので、私はそうは思わない、と答えた。

そして付け足した

「人の自信は親の愛情によって得られるんだと思う(それが全てではないけれど)、

愛情をもらったことのある人は、自信が自然に身についているんだ」って。

自信とは多分「自分が存在していること」に対しての、自信、だと思う、

それが多分(多分が多発してるな)全てにつながって行くような気がする。

でもね、努力したらなんでも手に入れられると思っていると

手に入れられない人は努力が足りないからだと(無意識に)思うんだと、思う。

多分私の彼もそのような考えだと思う。

(だからその話になると結構衝突したりして・・・)

もう少し自分に渇を入れて、やってみたら、手に入れられるものは私にもあると思う、

だからその辺は大いに反省し、改善していく部分であると思う。

ただ努力して手に入るものは、多分目に見えるもの・・・(結果というもの)

私は結果という幸福とか成功とか、その他もろもろも手に入れたいと思うのは

確かに事実、

ただ、自分にあまりに自信を持ちすぎて傲慢になってしまう生き方は好きじゃない。

人は人との関係から色々学ぶんだと前の職場で教えてくれた人がたくさんいて、

それは自分が自信が無かったから、人のことばにイチイチ反応していた自分がいたから

そう感じれたのではないだろうか?と思ったりする。

剛鉄のような強さは私は要らない、そう思うようになった。

(いや、欲しいと思ったとしてもそれは私は手に入れられないと思うが。。。)

色んなものを吸収したり形を変えることのできる、柔らかい真綿のような強さを

もてる人間になりたいと思う。

折鶴のH先生や今のT主任さんのような、多分打たれて、転んで、ずり落ちたことが

あるからこそ得られた強さみたいなものを、

私も得られるように、彼女達から色んなことを吸収できたらいいなぁと思ったりします。

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はかせ、死んだ魚の目

水曜の夜、2泊3日のスキーから帰宅したはかせ

「おかぁさん・・・もうだめだ・・・・だるい・・」

熱を測ると38.5

昨日一旦7度台に下がったものの、昨日・・いや今日の午前2時ごろ

「おかぁさん・・・・気持ち悪い・・・・」

眠れないようだったので、超久々に夜間救急に連絡し、受診した。

私の住む市(浜松市)では「浜松方式」という救急体制がとられている。

市内の開業医が交代で、K町にある夜間救急の当番をし、必要であれば

総合病院(これも日によって担当病院が決まっている)に連絡、受診させてもらえる、

というシステム。

以前は内科医1人であったけれど、数年前より小児科医も居てくれるようになり

(24時まで)とても助かっている。

(詳しく知りたい方はこちらhttp://www.shizuoka.med.or.jp/hamatsu/KYUKYU.HTM

夜間救急の一番の思い出(?)は、2人とも保育園児のとき

夜中に1人が急に吐いたと思ったら、隣で「おかぁさ・・・ん」と泣きながら吐いていて(笑)

2人に洗面器もたせて慌てて車を飛ばしたものの

(当時存在していた旦那さんは、某国家機関のため、夜帰ってこないことはよくあった)

その日風が強く、子供が外に出た途端、洗面器がぴゅぅ~~と飛んでいってしまい(笑)

あのスヌーピーの桶は一体どこへ行ってしまったんでしょうか?(笑)

今はこうやって笑い話になってるけど、当時はかなり焦りましたよ(笑)

子育ての全てに言えることなんだろうって思うけど、

私はまだ青二才(笑)

10年やそこらやったからってわかることも多少はあるかもしれないけど

もっと先輩から見たら、まだまだこれから、まだまだ修行ですよ、ホント(汗)

さてさて、

ぴーも高学年になってからは風邪もひかないようになって、

しばらく救急どころか開業医も行ってなかったので、今回久々に弱ったはかせを見て

なんだか笑えてしまった・・・・

ちなみに、1回目に受診時には陰性だったインフルエンザA型に見事感染して

おりました!

学校の情報より、クラスで10人休み(全部で32人)学年で一気に9人インフルエンザが

でたとのこと。

長時間の密閉されたバス異動のおかげ(?)でしょうかね?

そんなわけで今日午前中は全く試験勉強などできず

今もブログなどやっているあたり、もう捨ててる?

いやいや、これから一夜漬けですよ(笑)

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食わず嫌い?

この前、桜井クンのことを少し書いた。

私はミスチルを聞くようになったのは、とっても最近のことで、

きっかけは、愛地球博の赤十字館で使われていた「タガタメ」だ。

私は赤十字館にいくのをとても楽しみにしていたんだけど、結局朝イチで

8時間待ちに耐え切れないと思い、見なかった、とても残念だった。

当時公式サイトで動画が少し流れていて、パビリオンの様子を知ることはできた。

それまでミスチルの印象は、今時のバンド、聞きやすいメロディ、覚えやすいサビ、

桜井クンの甘いフェイス(笑)

そんな程度で、ささっと聴いてみることはあったものの、じっくり聴いてみようなんて

思ったことがなかった(なんせ今時のバンド、と思っていたから)

ところが、動画と共に語りかけるように流れる桜井クンのボーカルに

ずきゅーーーんと胸を打たれ(笑)

それから好きになってしまった(笑)

歌詞を見ると、なんとも繊細、でもノリのよい言葉のテンポ、奥の深さなんかもあって

いやーホント好きです。

いや、桜井クンの話を書きたかったのではなく、何でもそうだけど、思い込みで

好きじゃない、って思ってしまってることってたくさんあるような気がする。

今年から家計調査のために家計簿をつけているけれど、書くとなると変なムダ使いは

出来ない、などと思って、上手に使おう、と思ってみたり、実際つけてみると

「結構おもしろいぞ」なんて思ったりして、一冊自分用に買ってしまった(笑)

人もそうで、何でも思ったことをすぐ言葉にする人が苦手だったけれど

(理由は定かじゃないが)、今では、わかりやすくていいなぁ、などと思ったりもするし

悪気が無い、ということにも気が付いた。

もちろん食べてみて、やっぱりヤダ!って思うこともあるけれど(笑)

今年はジャンル問わず色んな食わず嫌いに挑戦してみようかな・・・

まずは・・・・・あれから(笑)

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頭の中は疑問形

自分の決めたことに対して、いつも「これでいいのか?」と考えるクセ(習慣?)がある。

それは、決めたことを後悔するとか、あっちにすればよかった、と考えることではなく

決めた道を進んで行くにあたっての一つ一つに対して、

「もっと他の方法があるかも?」

「違ったらこっちをやってみようか?」などと思う、ということだ。

例えばはかせのことについて、こだわりを発揮して宿題を頑なに拒むとき

「彼の(私では理解不能な)理由を尊重して、このままやらない状態をしばらく

続けさせてあげようか」

「いや、こだわる理由をはっきりさせて、他のアプローチを試してみるか」

「宿題=やるべきこと、と教え込むか」

いつも頭の中は疑問形、だ。

自分の選んだ方法が「絶対だ」と思ってしまった瞬間から、何も進歩しないような

気がしてしまって、これでやってみよう!と思っても、もっといい方法があるかも・・

誰かに聞いてみようか、調べてみようか・・・

そんなことばっかやってるから能率が悪い、と思われるかもしれないけど(汗)

自分自身のことについても、「自分はこうだ、こうありたい、こうやりたい」という

思いは強いと思う、けれど、人の意見を聞ける人

(取り入れる、そのまま受け入れる、とは違う)でありたいとはいつも思う。

なかなか出来ないんだけどね(汗)

話はちょっと変わるけど、(いつも話がそれる)

この前、子供会の役員決めがあった。私は連合役員になったので

その中での役を決めるためだ。

会場にはくじを引く人(それぞれの字の連合役員担当の人)とそれぞれの字の子供会

会長が集まっていた。

(会長と連合役員は別にいる)

1人「春に(旦那さんが)異動になるかもしれないので

もしそうなったら、他の人に代わってもらってもいいですか?」と聞いている人がいた。

後ろのほう(会長)が「またあの人あんなこと言ってるよ」と言っていたようで

その話を聞いたとき

「そうやって役を逃げようとする人がいるから困るよねぇ」と言う人と

「実際役をもらって4月に異動です、じゃぁ申し訳ないって思ったんじゃない」と言う人と

分かれることに気が付いた。

実際その人はどちらの考えでその言葉を発したのかはわからないけれど

少なくとも上の発言には「本当はやりたくないので理由をつけたい」というズルさが

あるけれど、下の発言には「本当はやってもよいけれど、受けておいてやれません、じゃ

責任感が無さ過ぎるから、やれない」という謙虚さみたいなものがあるように思う。

そして受け取る側も、同じ言葉でも全く違った意味になってしまう。

難しいなぁ

だから言葉を発するときはちゃんとこうだから、こう思っています、まで言わないと

伝わらないんだろうな。でもそう言ってもやはり「あんなこと言ってる」って非難する人は

どこにもいるんだけどね・・気にしない気にしない(笑)

その辺はいつもの、主任さんの「見てる人は見てる」ことを信じて(笑)

とにかく、出来ようが出来まいが、役員になってしまったからには

1年間忙しいながらも楽しく会を進行していきたい、と思うんだけど

どうなることやら。。。。

私は仕事を持っているから思うように出来ないけれど、仕事とかシングルとかいうことを

理由にはしたくないのだ(他にもそういう人はたくさんいるから)

ただ、自分にはどうしても出来ないこともある(平日の午前中の仕事とか・・たまにしか

ないだろうけど)

だから、出来るときは積極的に協力して行くという気持ちだけは忘れたくない、と

思うなぁ。疲れるしめんどーくさっ、って思うときも正直あるけど

1年間だけだからね、仕事みたくずっと付きまとうもんじゃないし(笑)

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はかせのこと

はかせ(長男)は現在中1

小1のときアスペルガー症候群(AS)と診断されている。

診断がついたときは、正直ホッとした。

なんせ、1歳半健診の頃から、他の子供と比べて「はかせは何か違う」って

思っていたから。でもその「何か」がはっきりと、そして特別なもの、ではなかったから

周囲の「思い込みすぎ」「個人差」という言葉に

「まぁそうかもしれない・・・」と思いつつ、でも何か事件(?)が起こるたびに

その疑問が膨らんでいた。でも気のせいかと考えないようにしていた。

はかせは赤ちゃんの頃は、とてもおとなしく、よく飲み、よく寝て、機嫌よく遊ぶ、

手のかからない子供だった。

それが豹変(?!)したのは、2歳頃からだろうか??(よく覚えていないけど)

まぁよく泣く(いや・・叫ぶ)、よく居なくなる、そして会話しない子供だった・・・(笑)

診断がつく6歳まで、思い起こせば楽しい子育てなんてする間もなく、

当時の日記を読むとそれはもう暗い暗い(笑)

それでも保育園に入り、小学校途中で普通学級に転籍もして

(逆コースはよくあるけど普通級に転籍は難しい)

学校あまり好きじゃないといいながら、もうすぐ中学の1年間も終わりそうで。

悩みながらも、何とかなってきたのだ。

小学校に入ったばかりの頃は、はかせのことを考えるといつもドツボにはまり

「この先は真っ暗だ・・・」といつも後ろ向きだったけれど

はかせのおかげで、「まぁ何とかなるだろう」と考えることができるように

少しずつだけどなってきた気がする。

ASは基本的に手帳(療育、精神)が所得できないので

(いわゆるIQが高い場合が多いので)

(2次障害があれば精神も可能かもしれないけど、はかせはふつーに学校にも行っちゃってるし・・)

障害があるのに、福祉の恩恵を受けることが出来ない。

(手帳があれば、障害者枠で就職が可能になるし、職業訓練なども

充実している。もちろん、手当て等支給もある)

学校も、就職も、何もハンデの無い人と同じようにやることが難しい(いや、

はっきり言うと、できない)のに、フォローが何もない、しかも、見た目は普通なので

理解が得られにくい、国がフォローしてくれなくて、誰がフォローしてくれるのだろうか・・

親がしてあげられることは限度があるのだ(悲しいけれど、それも現実)

私より本人の方が苦しいことはきっと山ほどあるだろう。。。

そして、もっと大きな障害を抱えて生きている人はたくさんいるわけで

私の悩みなんか本当はちっぽけなものなんだろう、とも思ったりする

(でも本人にとっては重大な悩みなのだ・・)

去年の夏休みに、通院しているセンターで年に一度行われている母の会、みたいな

もの(対象が中学生以上の子供を持つ母)に、初めて参加した。

現在大学生や専門学校、既卒、という普段接することの無い経験豊な母たちの

ことばはとても参考になった、んだけど

終わった後、泣きながら心理の先生と話をしている大学生息子さんの母、を

見てしまった。無事大学に入っても、やはり悩みからは抜け出すことは

不可能なんだと、いや、自分が死ぬまでずっとこの悩みから抜け出すことは

不可能なんだと、悟ってしまった。

いくら福祉が全く充実していないとはいえ、はかせの世代は、まだ恵まれている方で

今大学生以上のAS当事者の頃は、診断さえつかなかった世代だろうから

今よりもっと何も無いところで自分で考えて、開拓して、道の無い道を手探りで

ただ前に向かって歩くしかない、ということをこれからもやっていくのは

とても大変なことだと思うと、私はまだ前の世代の人が残してくれた道を頼りに

進んで行けるから(例えばフォローが厚い高校は・・という情報が得られる)

恵まれているんだと、思う。

こういう話を書くと、「大変なのよ!」って訴えているみたいで、私はすごく

イヤなんだ。いや、傍から見たら大変なのかもしれない、でもそれが毎日毎日

延々と続いていると、当たり前になってしまう、というか感覚が麻痺してくる、というか(笑)

はかせは、自分がASである、ということに気が付いている。

「ぼくは障害者なんだね・・」と突然聞かれたときは、まさか聞かれるとは

思ってなかったので、答えも何も考えてなく、「どうかねぇ?」と濁してしまった。

でも他の人とは違うということ、生き辛さを抱えている、という事実、

それは性格でも育ち方のせいでもなんでもなく、単に脳機能障害なのだという

現実とちゃんと彼が向き合えるようになったら、ちゃんと話すかもしれない。

(告知は難しい問題だ・・)

私は、ずっと自分と向き合わずに生きてきた。

向き合わなくても生きれるのだ。

でもはかせが向き合うことの大切さを教えてくれた、というか向き合わないことが

許されない。

子供に障害がある、という事実を受け入れるのは容易くなんかできない。

大きな大きな葛藤がある。

私は本当の意味でちゃんと受け入れているのか自分でもわからない。

(時々完全にできていないのでは・・?と思うときがある。それは自分が

自分のことが受け入れられないことが多すぎるからだろうか)

時々私ははかせが無事就職してくれたら、ぽっくり死ぬんじゃないかと

思うときがある。

そうならないように、深刻にならないように、でも現実からは逃げないように

ボチボチとやって行くということを教えてもらって、はかせがいてくれて

よかったなぁとしみじみしたのでした(笑)

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スキーから帰宅したはかせ、私にもお土産(おこじょのマスコット)

を買ってきてくれて

          非常に嬉しいぞ(笑)

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AIDSチャリティProject - RED RIBBON Spiritual Song ~生まれ来る子供たちのために~

今日から水曜まで、はかせ(長男)が学校のスキー体験で新潟に行ったので

ぴーと2人の夕食

何かおもしろいテレビやってないよねー、と731(CS)をつけると

邦楽カウントダウン100をやっていたので見ることに。

この番組、731(M-ON TV)でやっている音楽番組、

その名のとおり100位から1位まで順にPVを流す番組なんだけど

大抵フルで流すので、番組がめちゃくちゃ長い(6時間)

なので、いつも肝心のトップ10を見る前に寝てしまったり、

用事で出かけてしまったりして、一度も最後まで見たことが無いのだ(笑)

そんな中でかかっていた「生まれ来る子供たちのために」

レッドリボンのキャンペーンソングで、もともとはオフコースが

1979に出した曲・・というのは多分多くの人が知っていると思うけれど、

最初、佐藤竹善がカバーしていたものは、原曲の雰囲気にかなり近かったけれど

昨年、偶然ラジオで聴いた、桜井和寿がカバーしている

(後にbank bandがカバーと発覚)ものを聴いたとき、いやーー桜井クン、すごい、

聴かせてくれるわぁ、と感動してしまった(笑)

雰囲気は原曲に近いんだけど、あの独特の世界に引き込まれてしまう、

胸に染み入る感じ、というか。

それに「生まれ来る子供たちのために何を語ろう」のところを

「こどもらのために」と歌っているところが、「近い」感じがする。

私は佐藤竹善(シングライクトーキング)はすごく好きだけど、この歌に関しては

きれいに出来すぎちゃってる感じが私にはする。

そういう意味じゃ、オフコースのも、きれいすぎるかも?(笑)

前回の小田さんのツアー最終日で、ピアノ一本でこれを歌ったときは、すごかった。

さすが小田さん!(笑)

でも、1回目のとき、間違えちゃって途中で曲が止まってしまい

「間違えちゃった、やりなおしていい?」って言ってて、いやぁ、小田さんも

歳をとったなぁ(変わったなぁ)としみじみしてしまったんだけど(笑)

私が10代の頃の小田さん、ライブのときなんて、ばりばり完璧主義って感じで

(なので歌はすごくいいものを聴かせてくれる)、にこりともしないし(笑)

話が大分それたけど

このキャンペーンソングはとっつきやすく出来てる感じがします。

でも30年近く前の曲とは思えない、いい曲って時代が変わっても

いいんですねー

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書くということ

(ブログを)書く、ということは、カウンセリングのような効果があるのでは?と

以前のブログでも書いた。

自分の頭の中で、もやもやとしていることを、整理せず、そのままばーーっと

書いてしまうことで、気持ちが落ち着いたり、あとで読み返してみたとき

気持ちを整理できたりすることができるからだ。

(よって、他の人が読んだとき、何が言いたいの????という文章も多いだろうね)

でも、文章にする、ということは、ダイレクトに自分の目(や思考)に訴えられるので

苦しいこともたくさんある。

それでも少しずつ、できる範囲で書き出してみることによって

前に進めるのであれば、私は書き続けるだろう、と思う。

でも、まだ私はブログという場所に書けないようなことが、ある、しかも山ほど、ある。

書かなくてもいいことかもしれないので

このままずっと書きたくなかったら書かずに終わることだってあると思う、

それはそれでいいって思う。

自分を見つめることは、本当に苦しい、

でも自分を知ることによって、胸のつかえがとれることも、たくさんある。

ブログという場所があって、本当によかった。

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心の傷

(注:今日の文章は暗いです・・笑)

私の高校時代の友人は、よくこんなことを私に言った

「(お父さんに)『お前は欠陥不良品だ』ってまた言われた」

彼女は私から見たらかなり成績優秀だったけれど、彼女のお父さんから見たら

成績という面で優秀じゃなかったらしく、しょっちゅうそのように言われていたらしい。

更に、彼女の妹は父の『優秀』の基準に当てはまるらしく

妹と比較されていた。

前の職場の友人もそうで、彼女は私なんか足元に及ばないほど自己評価が低く

しかも何かあると表面でわかるほど落ち込むので、時々仕事にも影響をあたえて

しまうため、周りの人からは煙たがれていた。

彼女もやはり成績優秀(しかも美人)な妹が居り、大人になった今でも

親に何かと比較されていることを時々ぼやいていたが、彼女にしたら

かなりそれはダメージを与えることばだったんだと思う。

私は妹より正直成績はよかったので、妹の方は私の知らない部分で

そういうイヤな思いをしてきたのかもしれない。

自分では知らないうちに、誰かにそんな思いをさせてしまうことが、あるのかもしれない。

逆に、誰かはそうしようと思っていなかったんだけど

私が(勝手に)そう思ってしまったことも、あるのかもしれない。

彼女らの苦しみや気持ちは、例え似たようなこども時代を過ごしたとしても、

その全部はわからない、

誰かの苦しみの全てとか本当とか、は、その人にしか多分、わからない、

そんな風に思うようになった。

言った側からすると、それは大したことでは無いのかもしれない。

でもそのことがずっと心のどこかでしこりとなって、いつもじゃないけれど

あるときふっとその姿を思い出し、苦しくなるときがあるものだと、思う。

私は、親に今のことばで言うと虐待、をされてきた

親にしたら教育だったと思うし、それが悪いこととは(多分)思っていない。

あるとき、私はずっと苦しかったんだ、と親に言った、

「そんな昔のこといつまでも覚えてるのはやめなさい。今頃そんなことを言っても

しょうがないでしょ?」

確かにその通りだ、

でも、そんな簡単に忘れられることじゃないから苦しいのであって

やはり「苦しかった」という「事実」を認めてもらうことは無駄なことなんだと

そのときから諦めている(いい意味でも悪い意味でも)。

それより自分がその時からずっと(大人になった今でも)

「とても悲しかったんだ、辛かったんだ」という気持ちを

感じないようになっている、感じないで生きないと、死にそうに苦しかったから。

でも、色んな所に書かれているように、辛いけど、少しずつ自分で自分を

慰め、癒し、頑張ったと褒めてあげられたらいいなと思ったりする。

もうしばらく彼女たちと会っていない。

今、彼女たちも少しずつ本当の幸せに向かって生きてくれていたら

とても嬉しい。

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ボラは栄養剤?

毎週土曜日、多いときで月に3回ほど、総合病院の入院受付にて

ボラをやっている。

その日入院する患者さんは、まず入院受付を通り、必要な手続きを済ませてから

病棟に上がるんだけど、ここの病院、建て増しの建て増しの建て増しで(笑)

非常にわかりづらいということもあり、病棟まで案内(カルテとかフィルム等あれば

それも持って)するのが私の役目だ。

土曜日の入院は少なく、多くて12人くらい、少ないときには5人程度なので

患者さんを待たせるということはあまりなく

ボラも1人いれば充分だ。

時々、単純な作業(カルテ表紙折りとかメモ用紙作り等)を頼まれたり

行き場所がわからずうろうろしている患者さんの案内をしたり

日曜入院の患者さんの資料を病棟に届けたり・・・・と

こまこまとやることは結構たくさんある。

始めて1年くらいになるけれど、最近やっと病棟クラークさんの顔を覚えてきた。

(患者さんの引渡しはクラークさんにお願いすることが多いので)

(しかし、その方の顔とどこの病棟担当かは一致しないけれど)

ルーティンワークは大分慣れてきたんだけど、困るのは、やはり突然何か

私に聞いてくる患者さんだ。

やっと病院内の位置関係がわかってきたところなので、『ここへいくには?』の

案内ができる程度だけど、ここの病院、例えば放科は50番、総合案内は100番、

といった風に、主に番号で示しているので、その番号を覚えなくては

ならないけれど、なかなか覚えられず(汗)

その他の困ったことは全部職員さんにお願いするようにしている。

書類系とか間違ったことを教えてしまってはいけないと思って・・・

一度外来清算機付近の案内をやったとき、患者さんにどこまでボラが手(口)をだして

いいのか困ったときがある。

でも多分だけど、専門的なことは望んでいない、私が職員だった頃、ボラさんには

大変お世話になったけれど、それは自分が忙しくて細かい所、たとえば

おばあちゃん1人で外来にきて、検査まわりをすることになったとき、一緒について

まわってあげたり、とか、歩くのがしんどそうだから車椅子を用意したいけど

とりに行っている余裕がない、とか、開業医の検査結果を大至急コピーしてとDrに

言われたけど、大混雑している受付を放置してコピーには行っておれん!とかいうとき

ボラさんは大活躍してくれた。無理なお願いを何度しただろうか・・・

なので、私もさり気なく、でもかゆい所に手が届くボラさんになれたらいいなぁと

思ったりする。

患者さんにはいろんな人がもちろんいて、せいぜい5分程度の接触にも係わらず

色んな空気を感じる。でもたった5分だけど、その5分はバカにはできない時間だと

私は思う。

あと、ボラをやっていると、いつもと違う組織(仕事として)に触れられるというのは

とても大きな刺激になる。

特に私の今の職場は独特なところだし、普段一般人との接点は何も無い。

でも病院にいると、多くの一般の人に触れられたり、全く違う組織の中に加わることで

大きな刺激も得られるし、たくさん教えてもらえることがある。

普段一杯一杯で生活しているので(笑)休日くらいはだらーーーんと過ごしたいという

思いもあるけれど、ボラは私にとっては栄養剤みたいなものか?

本当は今日は、今月唯一のボラ日だったものの、子供会行事とかぶってしまい・・

泣く泣くボラを休むことに(--,)ぐすん

単位認定試験が終わったら、また行けばいいか

なんでもぼちぼちとやっていきましょう。

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シンプルは難しい

先日出かけた際、荻窪ラーメンを食べた。

よって醤油味のシンプルなものだ。

スープの味がとても奥深く、久々に「全部飲みたいっっ」って思ってしまった(笑)

ほんの少しにんにくの香りがするのはわかる。

見た目もただのふつーのラーメンなのに、なかなかやるな・・(笑)

私は血圧が高めなので、全部飲むのはやめておいたけれど(笑)

そしてふと思った。

料理って、単純なほど難しいような気がする、ということを。

私が一番難しい、って思うのは焼き魚(笑)

下して塩をして焼くだけ。

なのになぜか難しいと感じるのは、単に料理の腕がないせいかもしれないけど

それだけじゃない、

塩の種類、加減、火の具合、焼き加減・・・

あらゆる基本が試される、そしてごまかしがきかない、

この世で一番恐ろしい料理、それが焼き魚(笑)

(注、あくまでも私にとって、です)

でもこれって料理に限らず、何でも同じかもなぁ

生き方も、シンプルに生きることは難しい(私にとっては)。

それは自分にごまかしもきかないからかな??(笑)

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学歴が欲しい?!

私は現在、放送大学に在学しているけれど

そもそも入学したのは、大卒の資格が欲しい、というよりは、福祉やその周辺

(心理など含む)について学びたかったからだ。

ボラの組織が無いので、だったら自分で作るしかない(今すぐにじゃないけど)

と思ったものの、なんせド素人だから、そりゃまずいだろ?と思ったわけだ。。。

もちろん、学んだ理論がそのまま役立つわけじゃなく、

(机上の理論だけじゃやっていけない)

実際やって失敗もして学んで自分で作り上げてゆくものだと思うけれど

でも土台はやはり必要だろう、と思ったからだ。

でも、正直言うと、大卒っていう肩書き(??)が欲しくない、といえば嘘になる

私は短卒だ。

私が高3の頃(昭和60年代)、世間では短大女子がもてはやされて(?)いたのだ。

就職するなら断然短卒と言われ、女子4大卒よりずっと就職率はよかった。

なので、私の学校でも、青短とか東女、南山、静女短(現在の県短)、

などが憧れ(?)の的であった。

そう、あくまでも憧れ(笑)実際は・・・(笑)もちろん入る人もいましたけど(笑)

話がそれたけど、今の時代、短大はなくなってきてますね。

確かに2年間ではたいした勉強は出来ないと思うし、就職の際、短卒は高卒と

同じ扱いですもんね。

あの頃もてはやされた短卒も今それを言うと、なんだ短卒なのね、となってしまう(笑)

私は親に短大にしなさいと言われたんだけど、本当は4大がよかったので

学部のある短大部ばかりを受験し、そこに入りその後上手くだまくらかして

3年次編入を計画していた(抜かりないな・・)

しかし、狙った学校が全滅し(笑)結局短卒のまま終わってしまった。

それがずっと心残りだったのは、確かに、ある。

今、実際仕事したり、生きて行く上で、大卒であるとか、大学の名前などは

私にはあまり関係ないけれど、実際問題、学歴、ってやはり必要なものなのかなぁ?

人間は生きて行くには、本当は学歴より人と上手くやって行く術の方が

よっぽど大事だと私は思う、けれど

学歴なんて全く関係ないよ、と言えない自分がいるのは事実。。。

両方持ってるのが一番いいんでしょうけど(笑)

私の周りでも、高卒でもばりばり働いている人もいれば

大卒でも特に・・という人もいるし

私は子どもには大学へいかせようと思っているけれど(下の子ども)

無意識のうちにより良い学校(高校も含め)と思ってしまうあたり、やはり

そういう時代に生きてきたからなのかなぁ、などと思ってしまったりする。

もちろん勉強だけやっていればいい、という教育はするつもりはないし

やっていないけれど、行くのであれば、そこそこの所へ行ってくれればなどと

思ってしまう自分がいることも否定できない。

私自身が、放送大学じゃなく、他の有名私立大学の通信をやる、という選択も

本当はできたはず。(実際考えていたし)

どうしてそれを選ばなかったのか?

例えば、名前も聞いたことの無いどこにあるのかもわからない大学と

そこそこ名前の通った大学のどちらを選びますか?

(両方合格圏内として)

多分名前の通った学校を選びますよね?(絶対とは言わないけど)

なんだかんだ言っても、結局多くの人がいい大学に行くという呪縛みたいなもんから

逃れられない(私も含め)のだろうか

なので、私はこんな人↓↓↓と知り合いになりたいです

有名大学を出たけど、学歴は関係ない!と断言できる人(笑)

なかなかいないんですよね・・・

高卒とかでも成功(?)した人は知っているし、そのような人が

「学歴は関係ないよ」というのはよく聞きますし、世間でも見かけますが

逆(有名大卒で関係ないという人)は私は会ったことも聞いたこともないので。。

学歴を否定することは、その人自身の生き方を否定してしまうことに繋がるので

(例えば、私に大学なんて出ても仕方ない、とかいう否定も含む)

実際、ちゃんとある程度の学校を出ている人にとって、そんなの関係ないと

言うことは不可能なことなのかもしれないですね????

(私はそうじゃないので、よくわからないんですが・・)

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自分を一番知らないのは自分?

私ってのん気で大雑把で、だけどこだわる所はとことんこだわるし、うるさいし・・

などと自分のことについて一番知っているのは自分だと思っていたけれど

そうでもないかも・・・と思うようになった

そのきっかけは、中学からの友人が乳がんにかかり、

そのことを私に報告しに来たときの会話だ。

「(彼女は私が)『欲しい』って思うようなものを何でも手に入れているようで

羨ましいなーっって思ったよ(笑)就職もちゃんとして、結婚もして、

子供もいて、でも遊んでて(笑)、趣味だって色々あるし、

いつも何かに一生懸命で、だけど私にはないナチュラルさがあって。」

「ヘぇ?私も昔からものすごいバイタリティに溢れてて、怖いもの知らずだし

ダメもとでどんどんチャレンジして行くし、そんな風にできることが羨ましかったよ(笑)

「へぇ?そうかな?(笑)」

私にしたら、ふつーに結婚して子供が居る、ということより

彼女の『高卒は絶対とらないといわれたのにダメもとでも受けてみる、と

大手某旅行会社の試験を受けて受かった』方がよっぽどすごいことだと思うんだけど

彼女にしたらそのことはあまり大したことではないらしい。

それより何より彼女が私の知らない性格の部分を指摘してきたときには

少しどっきりした。

それに私は自分に自身があるようで、まるで無く

人に褒められると、「そんなことないっっっ!」って思ってしまう。

「強情だし、頑固だし、カチカチに固まってるし、

なんでどこからナチュラルが出てくるのさ?適当に人を(悪い意味で)褒めてるに

違いないっっ」

そんな風に昔は思っていた。今は違うけど(笑)

あ、それに彼女は長い付き合いだから、いいことも悪いこともちゃんと言ってくれる、

って知ってるから、信じれるっていうのもあるかもしれないけれど。

話がそれたけど(←いつもだな・・)

自分は全てわかっているように思うけれどそれは一部なのかもしれない。

以前彼にこんなことを言われた

 自分に似ていない人に、
 人はストレスを覚えない。

 神経に触れてくる相手とは、
 自分と同じ短所を持った相手だから。

 嫌いな人の、
 嫌いな点を書き出していくと、
 全部、自分の姿になります。

もう2年くらい前のことだ。

最初、「えーー全然違うじゃん??っていうか意味わからん」と思った。

でも・・・この前の『人は本当のことを言われると怒れる』というのと同じで

自分の気が付いていない本当の自分の部分を見てしまっているから

いやなんだろうか???

これ、未だに自分の中では未解決のことばだ。

自分を知ってどうするのか?と思う人もいるかもしれない。

私は、自分とよりよく付き合うために、本当の自分を知りたいと思ってるのですが。。。

(それがいいか悪いかは置いといて。)

まぁ長所は短所にもなるし、短所は長所にもなる。

だから凸凹があって、全然いいんだと私は思うんだけどなー

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回答を見て思う

私は放送大学へ今年の4月に3年次編入をし

今回2回目の単位認定試験の勉強中・・・なはずなんだけど

ブログなど書いている(笑)息抜きっつーことでヾ(--;)ぉぃぉぃ

今回は一応6科目受ける予定なんだけど、先週最初の2科目の

通信指導問題の回答が送られてきた。

ひとつはマークシート式、もうひとつは記述式だった。

この記述式が本当に苦労して書き上げたものだったので、どのように添削されて

戻ってくるのかなぁと楽しみに待っていた

ところが・・・

適切に内容をまとめています

こ・・・これだけっっ・・・?!

確かに、ちゃんとまとめられていた、という事実は嬉しいんだけど

でも・・なにか・・こんなものかな?

「ここを足したほうがよかった」とか「ここを重点的にまとめてみるともっとよかった」

とか、ないのだろうか・・?!

素直に喜べない自分が悲しかったりする(笑)

でも、まぁ単純によく出来ていた、と捉えることにしよう(笑)

マークシート式の科目(今までこちらしか受けたことがなかった)の解説は

あっさり(簡潔に)まとめられているものが多いように感じていたけど

私の手元に戻ってきた解説は・・・ものすごく丁寧だった(笑)

正解のみならず間違いの選択肢についても、一つ一つ解説されており

更に「教材何ページを読んでみて下さい」とまで全てに書かれていて、びっくり(笑)

こういう何気ない所にも、先生の個性が表れて、おもしろかったりする。

でも顔の見えない先生(向こうからしたら生徒)っていうのは、やっぱイマイチ

淋しい感じがする。(向こうもそのように感じているのか??それはわからない・・)

何か学生として愛着が沸きにくい、というか、、、

何というか、孤独?そう、孤独っ(笑)

大変そうだけど、やはり卒研はとろうかなぁと思いつつ、

その前にまだまだ単位をとっていかねば

というか試験勉強進んでないヾ(--;)ぉぃぉぃ

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ことばにしてみる

私のブログ記事はコメントがつけ辛いとわかっていてでもあえて書いているので

つけられないと思ったらささっと読み逃げしてくれて構わないですよ(笑)

やり取りを求めているわけじゃない

共感を求めているわけでもない

ただ自分が誰かの文章を読んで考えるきっかけをもらっているのと同じように

気がつける場所でありたいと思っているんですよね

誰かのためじゃない、自分自身のために。

特定の誰かに発するには負担が大きいことも、ブログでは気にしないで書ける、

それは読む人が読みたければ読むし、読みたくなければ読まない、という前提で

書いているからです(そう、あくまでも前提)

私はいつか傾聴ボラをやりたいと公言している。

傾聴はその人の気持ちや思いをそのまま受け止めることだ、

ただ聴くことだ。

でも自分の気持ちや思いを聴けない人が、誰かの(それは重いであろう)気持ちや

思いを、ただそのまま受け止められるだろうか・・?

自分には弱音だったり、嫉妬だったり、色んな負の感情があって

でも「そういう気持ちも持っていい」と思えないと、もし誰かが弱音を吐いたとき

「そんな弱音言わないで、もっと強く生きなきゃ(ダメ)」って思ってしまうものなんじゃ

ないだろうか・・・?

自分に許可できないものは、他の人にも許可できない、

そういうのも心理学のどこかにあるみたいですが、難しい文章は苦手なんで

詳しく知りたい方は調べてみて下さいね。

仕事で完ぺき主義の人と一緒に組んでやると、異様に疲れるんですよ(笑)

確かにすごく仕事ができるし、見習わなきゃならないこともたくさんあるんだけど

そういう人は一緒に組んだ人にも同じようにやることを求めてくる、ような気がする。

(もちろん必ずそうだとは思わないけれど。しかもそれは多分

無意識に行われている)

そうすると「どうしてこうやらないの?」細かいことまで指示してきて

それを傍で見たとき「そんな人に厳しくしなくても・・・」と思ったのだ。

何でも最初から自分と同じようにできる、とは限らない、とも思う。

その人なりのペースもあると思う。(比較するのであれば、他人とではなく、過去の

自分自身となんじゃないでしょうか・・?)

それに完璧ってなんだろう?とも思う。

(私は自己満足なのでは?と思うんだけど・・・・)

話が大分それてしまったけれど、私に対する感想をメールで頂きました(笑)

ありがとうございます!

それを読んで思ったことは、私も子どもの頃そうだったけれど

言いたいことを我慢して飲み込んできた、それは何か言うと必ず

押さえつけられてきたからだ。小3か4の頃だ、親戚含め大勢で旅行に行ったとき

お昼がおにぎりだった、でも中身が梅干しかなく、当時梅干が苦手だったし

おなかもそんな空いていなかったので「私はいらない」って言ったら

ものすごく怒られて(笑)

ホントにおなか空いてたら梅干だけ抜いて食べようと思ってたけど

今は要らなかったからその通りに告げたのに、親からしたら「梅干が嫌いだから

わがままで言っている」と受け取ったのだろうね

ホントこっぴどく叱られた(笑)

まぁそんなことは序の口で、もっと理不尽なことが積み重なるうち、言ってもムダ

と思うようになり、私から一切口を開かなくなった。

言ったら怒られる、言ったら嫌われる、そういう間違った学習をしていたんだよね。

でも今の彼に

「思っていることは正直に伝えてよい、そうしたから嫌われる、というのとは

違う」と。

今思えば私の両親は心が健康じゃない人たちだったと思う(今も変わっていない)

でも相手の人が心が健康な人であれば、違うことを言っても

理不尽に怒ったり、不機嫌になったり、必要以上に落ち込んだりはしないんだと

いうことを知った。

(ということは自分は不健全だということにもなるんだけど。。。。まぁそれも事実)

「自分の持った感情は誰かのことばとかのせいではなく

自分の責任(自分の心の問題)だ」ということがやっと理解できた気がするのね。

(意味がわかんなかったから)

でも、いきなり人に向かって、自分の思っていることを伝えるのには

かなりかなりかなりの勇気が必要で(笑)

そうだ、誰も知らないブログだったら平気かもしれない?

そうやって自分の中に溜まった毒素をブログという公の場所を使わせてもらって

私は多分、多分だけど、少しずつ変化してきている、ような気がする。

ただ、それが他の人に向かうのはどうかなって思う。

誰か知らない人だから何でもいたいことを言ってもいい、というのは私は違うって思う。

あくまでも「自分の」場所(自分のブログ)において。自分自身に対して。

それに伴うリスク(批判等)はもちろん受ける覚悟(?)も必要かもしれない、

誰かに判断されるためにやっているのではなくって

自分が自分の何か(いい事、悪いこと含め)に気が付くためにやっているわけだから

気にしなくていいんだと思うな。(最初はそう思えないかもしれないけど)。

彼に「人に心配書けるような記事は書くな」っていわれたことがあるんだけど

私はね、確かにそうかもしれないけど、心配かけちゃいけないから書くなって

何か違うような気がして(上手く言えないんだけど)。

人の心配事は確かに背負うには重いかもしれない、

でも私はね、人には必ず汚い面があると思うから(もちろん自分にも)

それが見えたからと言って、その人が変な人とかいやな人とかは思わないね。

もちろん、そう思う人もいるだろうけど

思う人は思えばいいし、そうじゃないってわかる人はわかるんだって、思うんだ

ブログではリアルじゃない、顔も名前も住所も職業も知らない、現実的じゃない付き合い??

がどこか違和感を感じたときもあったけれど

今は知らないからいい部分もあるのかもしれない、って思ったりもする。

距離は近すぎても上手くいかない、って思うからね。

思ったままに書いてみたので、意味がわからない文章になってしまったけれど

とにかく、ことばにしてみること、って大事だなぁって

自分の本当の気持ちを感じることって大事なんだなぁって

しみじみしてしまいました(笑)

そして、私の彼のように「思ったことを言っていい」と言ってくれる人に

もし出遭えたら、その人をずっと大切にしていけたらいいですよね

(ノロケではありませんが・・・)

多分、そう言ってくれる人は、その人自身が実は私と同じような道を辿った結果

今のその人がいるんじゃないだろうか?と思うから。

だって、「思ったことを言ってはいけない」って思ってると

相手にもそれを多分無意識に求めている部分ってあると思うんだ

(私はそうだったけど、皆そうだとは言わないけれどね)

公の場(コメント)では残せないようなことで、でも何か伝えてみたいことが

もしありましたら、またメールを使ってみて下さいね!

私も率直な感想が聞けることは(それが自分と違う考えであっても)

とても嬉しいことですから。

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健全な証拠?

私には2人の子どもがいる

中1と小5、2人とも男だ。

上はO型だけど、とても几帳面、細かいことも気にし完璧主義、清潔にもうるさい。

下はA型だけど、大雑把、口が上手く、仕切るのが好き、世渡り上手

血液型というより、生まれた順番の方が大きいような気がする(笑)

上の子供には発達障害があるため、同年代の子供より幼い部分が多い。

私は彼らをおちょくるのが趣味だ(笑)

最近2人とも異性に興味を持ち始めたようで、

「好きなタイプってだれよー芸能人で言ったら誰?」と聞くと

「おかぁさんには教えない」

それでもめげず、

「えーーじゃぁイニシャルか出てる番組でいいで教えてよぅ」

するともともと素直な性格なのか?(笑)(私とは逆だな)

「えーと、歌姫」

・・・頭悪い・・すぐわかるじゃん・・(。・w・。 ) ププッ

「そっかーーあいぶさきなんだねーへぇーーーさきが好きなのね、さきがっっっ」

すると一瞬にして耳の先まで真っ赤になる子供を見て

またからかってしまう。

こんな低レベルな親でいいのだろうか・・・σ( ̄、 ̄=)

ちなみに下のこども(ぴー)は

「オレ、まさみだもんっ」

と堂々と開き直っている。でもクラスで好きな子の名前は絶対に教えてくれない(笑)

まだこんな感じだからいいものの、下のが中学に入る頃にはもっと難しく

なってるかもなぁ~私と話したくない、とか、隠し事が一杯だったり。

今も、自室(と言っても2人で1つ)に篭る時間が多くなってきているし。

まあそういうのって健全な証拠なのかな?

私は不健全だったから(笑)子供にはふつーに反抗してもらいたいと思ってます

本当に(笑)

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人間関係が変わるとき

同じことばを言われても、とり方によって全く違ったことになってしまう、

というかどんどん違う方向へ進んでしまう(?)ことがある、と思う。

例えば以前、「それ、ものすごい傘だね」って言われたことが、ある。

その時「えーそうですかぁ?」と返しながら心の中で

(趣味が悪いって事だろうか・・・)

(こんな傘を持っている自分って変な人ってことだろうか・・・)

と受け取っていた。

でも今だったら

「そう、なかなかいい趣味でしょ?(笑)」と受け流すことができるようになった。

これには自分でもびっくりなのだ。

というか、今思うと、昔の自分って付き合いづらい人間だったよなぁ・・(笑)

(いや今が付き合いづらくないかはわからないけど)

人の趣味なんて人それぞれなんだし、例え「すごい傘」だったりしても

それが=人間性を疑う、ということに繋がらない、ということが理解できるようになった。

だからと言って、私が誰かに

『その傘すごい傘だよね』ということばは使わないように心がけると思うけれど。

以前共感のみの世界では進歩しない、という文章を書いたことがあるけれど

確かに人は共感があって初めて繋がることができる、

でも自分を色んな角度から見るためには、指摘とか『こう思う』とか

自分とは違う考えを投げかけてくれる人がやはり私には必要なんだと思う。

でもそれを=否定、ととってしまう人には私も言えないし

向こうも言わないだろう

そのときは意味がわからなかったり、そんなことないっ、って思ったとしても

ずっと後になってわかることもたくさんあると思う

だからかけてもらったことばっていうは、できる限り大切にしたい。

(受け取らなくてもいいことばもあると思うけれど)

友達にもいろんな位置づけがあるけれど

本当の意味で親しくなりたい、と思ったとき、私は相手にどう思われても

違うことを投げかけることがある

(もちろんことばは選ぶし、でもそのことば選びが適切じゃないときもあるかもしれないけど)

(そしてそれが間違っているとか正しいとか突き詰めるためでは決してない。

物事に絶対はない、と私は今は思うようになった)

でもそれで上手くいかなくなる関係ということは

遅かれ早かれ疎遠になってゆく関係なのかもしれない。

(それか、微妙な位置付け)

ただ、以前のブログをやっていての反省として

「人の生き方には口出しをしない」

私はしたことがあるし、されたこともある

したい人はすればよいと思うけれど、私はこれだけは金輪際やめようと思う。

もうひとつは「人の心の奥を覗かない」

私は心理学が専攻じゃないけれど、学んだ心理学は自分のために

使いたいなーーって思っている。

ホント役立つ学問だと思う。これだけでも大学に入った甲斐が

あったなーと自己満足だけどね(笑)

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なるようになる?

今日は(一部の)職員旅行で、横浜に行くのだ。

ラーメン博物館で食事をしたあと、元町近辺で自由行動

(女性陣はショッピングorお茶か?)の後、中華街に集合し夕飯(梅蘭)、帰宅

・・・しかし私は途中で帰宅しなくちゃならない

子供会の役決めがあるのだ。

去年の暮れ、来年度の役員決めのとき、役が7つあるのに6人しかおらず

(何かしら1回やった人は免除される)

会長になるよりはマシと思い、連合をやることにした。

しかし・・・後で聞くと連合は仕事が多い上にうるさいらしい

今日のくじ引きも15分前に集まらないと、そのあとずっと言われるので気をつけてね、と

現会長さんから言われ

それだけで、もっとうるさいこと言われるんだろうなぁと予測される

どうしてオンナの集団は集団になるとあんな妙なパワーを発揮するのだろうか?

仕事のとき事務さんと

「明日、くじ引きなんで絶対自分が行かないと、○町に住めなくなるからっっ・・・」と言うと

「どうせやるなら楽しくやりたいよね」

そうなのだ、同じやるなら楽しくやりたい

でも無理だろうなぁー(笑)あぁめんどーーくさい

役をやりたくないわけじゃない、6年間散々子供会にはお世話になってきたわけだから

1年位何かやってもいいのだ、

でも結局みんなぐだぐだじめじめとした人間関係がイヤで

役どころか、子供を子供会に入れない人のほうが圧倒的に多い

ここは主任さんの「見てる人は見てる」のことばを信じ(笑)

まぁほどほどにやることにしましょう。

やらなくても言われ、やっても言われ、結局ぐずぐず言う人

(役じゃない人に限ってあれこれ変ないちゃもんつけたりするし・・)はどこにでもいるのだ

気にしないのが一番(開き直り)

ずっとその人間関係が続くわけじゃないのだし(開き治り)

ただ役員さん同士は仲良くやりたいなーそれが一番の不安要素か?

それで全て上手くいくか行かないか決まるだろうし。。

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ブログが面倒くさく感じるとき

Yブログから越してきた最後の理由は、

Yブログのシステムが面倒くさいと思った、からだ。

というか、私には合っていない、ということだろうか?

Yブログには「お気に入り登録」というシステムがある。

ブログを訪問して、そこのブログを読み続けたい、と思った時

「お気に入り登録」をすると、更新情報がでたり、そこのブログへすぐ行けたり

ファンしか読めない記事を読めたりする。

ここで言うと「マイリストに登録する」というものに近いのだろうか?

私が誰かの(ココログ)を登録すると、今度からは簡単にそこのページへ

いくことができる、それはYブログと変わらない。

じゃぁ何が違うのか、というと、それが登録された方の人はわからない、というところ

だろう。

逆に言うとYブログの場合、「○○さんがお気に入り登録しました」と通知されるのだ。

そして大抵その本人からのメッセージが「ゲスブ」に残される。

まぁそれが別に悪いわけじゃない。

でもそうなると、こちらからもそちらへ行かないわけにはいかない

(という気分にさせられる)

それが必ずしも私も読み続けてみたい、と思うものとは限らない。

でも何か暗黙の了解で、登録したら登録返しをする、というものが

あそこにはある(ような気がする)。

しばらく経ってわかったんだけど、Yブログではコメントをつけなければ

だんだんとその人は来なくなる、ということが。

でもそれって裏を返すと、コメントが欲しいから来ていた?ということにも

少しは繋がるのではないだろうか??

本当に読みたければ、コメントがあるとかないとかつけるとかつけないとか

関係なく読みに行くのではないだろうか?

多分それはその人が「コミュニケーション」をとる手段としてブログを使っているという

私とのスタンスの違いからなんだろうと思う。

ブログの目的は人によって違うので、そういうことも発生するだろう。

ある意味、ブログがアイデンティティになっている(若者の携帯と同じ)、

ということにも繋がるのかもしれないと思ったりする

(これについてはまたいつか)

そう思ったら、何か面倒くさくなってしまって(笑)

あと、「お気に入り登録」してくれている人は「ファン限定記事」を読むことができるわけ

だけど、これ、実際のところ、本当の意味で登録してなくても読むことができるのだ

夜中とかに一瞬ファン登録して記事を読み、その後ファン解除する、という方法で。

実際それでトラブルになった人も知っている。

ここは自分がパスワードをお知らせした人だけ読めるというシステムなので

とても安心だ(そのような記事を書くかどうかは・・今のところ予定はないけど・・笑)

そして、問題は、ファン登録してもらいたいという理由で登録していったり

(私は完全無視していたが・・・よってそのような人はすぐ登録解除してゆく)

「友達の友達」が入りやすいシステムに疲れた、ということだろうか?

私自身、実際、そのようなパターンで親しくなったこともあるので、

それを否定することはできないけれど、自分の意図しない所で、どんどん人間関係が

広がっていってしまうことに、戸惑いがある、というか、疲れるのだ(正直言ってしまうと。)

広がることは悪いことじゃないんだけど、私には私のキャパがあって

しかも深く狭くを好むし、じっくりやり取りを楽しみたいタイプ、

文章なんかも丁寧に読むほうだと自分では思う

(よって時間がかかる)それに何より、つけるコメントが一番頭を使う(笑)

なので結局普段読みに行く人は本当に限られているのだが

私が誰かのYブログを読みに行きコメントをつけると、結局そこで

あまり訪問しないブログの知り合いに遭遇してしまうわけで

「読みに行く」のと「行かない」のが、見えてしまい、気疲れするときがあるのだ・・・・

私だけだろうか???(よくわからないけど)

その点、ここは誰かが自分のリストに載せても私はわからないから気楽(笑)

読みたい人が読みたいブログに行けばいいんだと思うのだ、

なので誰かリストに乗せてくれている人がいたら、こんなわけのわからない文章の

どこかを気に入ってくれてそうしてくれたわけで

本当にありがとうございます。

でも、何となく感じるんだ。

読みたいと思ってくれる人の文章は、多分私も読みたいと思うということが(笑)

それは何か通じるものがあるから読みたいと思うんだと思うから

通じるものがないと読みたいって思わないよね?(私だけかな???)

意味不明な文章になってしまいました・・・。失礼しました。

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発想を変えてみる

今日の給食メニュー「七草」の行事献立

(イカフライ、七草すいとん、源平なます)

をつつきながらの会話。

「昔はどこにでも生えてましたねぇ」(校長T)

「そうそう、その辺でとったよね」(主任さん)

「昨日七草買いに行ったら、売り切れですっからかんでしたよー」(←私)

「七草なんてそこの川に生えてるよ」(校長T)

「そうですかー?」(私)

「買うのは図鑑だけでいいよ(笑)」(T)

「図鑑っっ???」(私)

「図鑑もって、子供と一緒に土手へ行って、探してみればいいんだよ。」(T)

「なるほどーー」(私)

お店に行けば何でも売っていて(しかも私の家の隣のジャスコは24時間営業だ)

何でもすぐ手に入る、という便利な生活を送っているせいか

何でもすぐ「買う」という発想に(買うことが悪いわけじゃなく)なってしまって

知恵を使ってみる、ということが頭の中からなくなってるなぁ

私はケチは好きじゃないんだけど(笑)こーいうのはケチとは違うね

上手に工夫して、楽しみながら生活をする、というのは、悪くないね

ここからは雑談

ところで、この源平なます、めちゃくちゃ美味いのだ!

もし職を失ったら、給食を食べられる食堂、でも開こうかな?

(↑あまり真剣に思っていない(。・w・。 ) ププッ)

確か、都内のどこかのホテルでそういうフェアをやっていて好評だ、という記事を

読んだぞ(笑)

学校を卒業したら二度と食べられないものだから、自分の中で特別化しちゃうのかな?

ふつーの家庭の食事と何も変わらないんだけどな

(センター給食は違うと思うけど)

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信じる?占い

正月に、毎年「新宿の母」の占いをネットで購入するのが恒例になってきた。

あとで振り返ってみると当たってることがあるし、

それより何より、母のことばの温かさが好きで、今年も買ってみた。

すると・・・・

金銭面はピンチに。とくに、ストレスからの散財に注意が必要

仕事面は何かと問題が起こりやすい
とくに職場での人間関係には苦労しそう。

2008年の健康面は、かなり不安定になります。

2008年に幸運を呼び込むには、自分の信念をもつことです。
この年は、ある意味、あなたの能力が試されるときです。あらゆる障害が壁となって立ちはだかるでしょう。

まず、中途半端になっていたことや、先送りしていたことを片づけることが先決

そして、いきなりステップアップを目指すより、現状で自分ができることを完ぺきにこなしていきましょう。

去年一年が本当によい年だったと思う

その前の年に比べ、何もかもが順調で(いやそうじゃないこともあるけど、全体的に)

だから「これがいつまでも続くわけがない・・・いつか落とし穴が・・・」

と思っていたのは事実(笑)

去年は新しいことを色々始めたので、それらをちゃんとやりなさいよ、って

ことなんでしょうかね?

しかし、人間関係かぁ・・・

仕事、というより子供会か?(かなり憂鬱)(役員なので)(早く終わりたい)

占いはいい事だけ信じて、気にしないようにしてきたけど

どうしてか、今回は気になってしまう(笑)

書かれていることの中で自分自身で何か身に覚えがあることがある、

ということだろうか?

でも自分の平成20年を作るのは、自分、

自分次第でどうにもなる!(笑)前向きにいきましょう~

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向き合うのは自分

去年、1つ、やっとわかったことがある。

よく言われているけれど、自分のごく身近にいる人は自分の鏡なんだということが。

例えば、こども。

何かしまりがなくて、よく言えばマイペース、悪く言うとだらしない(笑)

「ちょっと早く宿題やりなさいよー」

・・でもそれは実は自分なのかも。。。

例えば、彼。

彼は私とは正反対の性格や行動をとる人だから、鏡にならないだろう?と

思っていたけれど。

私に「あれはこうじゃない」というような上から目線で結構ものを言う所に

すぐかちーーーーんときていたけど(笑)

私も無意識にやっているのではないだろうか???

ことばに気をつけているつもりでも、それは「つもり」で、実は無神経な発言を

していないだろうか・・・

人にとやかく言う前に、自分がちゃんと行動できてるのかな

仕事では「慣れ」に甘えていないだろうか・・

それと。

「人は本当のことを言われるから怒れるんだ」

彼とそういう話になった。

「例えばさ、(私に)『はげ』って言われてもなんとも思わないだろ?

でも本当にはげている人に『はげ』というと怒るだろ?」

と言われ、確かにそうかも・・・

だから、私が彼に言われて、かちーーーんとくることは

本当のことなんだ

いや、本当はずっと前から本当だとわかっていたけど

それに向き合えない自分がいた

自分と向き合えないで、自分から逃げていて、何に向き合えるのか?

冷静に事実を見つめる勇気とか

自分にできること、出来ないことをしっかり見つめる時間を

今年はもう少しもてるようにしたいと思いますね。。。

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自分を大切にする

今年の抱負①で、「何か1つ始めてみる」と書いたけれど

今年は『自分を大切にする』ことをしてみようかと思っている。

彼と付き合い始めたばかりのころ、こんなことを言われたことがある

「(私は)自分を大切にしてこなかったんだよ」「不幸願望が強い」

その意味がずっとわからなかった。不幸願望??意味がわからんっ。

それに自分を大切にするとかしないとか、なんて考えたこともなかった。

今もその意味の本当がわかっているのかは、わからない。

でも、今、私は心から「幸せになりたい」と思う(思える)ようになったのだ、

昔は、自分の幸せとは何か、全くわからなかった。

幸せになりたい、とも思ったこと・考えたことも、なかった。

幸せになるために、自分を大切にして、そして周りの人も大切にできるように

なりたい、そんな風に思うようになったのだ(自分でも驚きだ)

大切にする、ということは、自分の本当の気持ちをちゃんと聞いてあげることだ、と

思うようになった。

嬉しさ、喜び、哀しみ、怒り・・

特に私の場合、負の感情だ、と思う。

子どもの頃からずっとやってきた、布団に篭ってただひたすら気持ちを抑えるのではなく、

正直に聞いてあげることだ

もうひとつ。

よく行くサイトの1つで、心の相談室、というところがあるんだけど

そこにこのように書かれている。

自分を好きになる方法

分を好きになる方法自尊心を高める方法のひとつとして
分の世話をするという方法があります。
なのは、一貫性を持って、自分の世話をし続けることです
しい時、苦しい時、辛い時、失敗した時、
分を慰める術を持っている人は、早めに立ち直ることができるものです。
特に、他人の世話をしても、自分の世話をするのが苦手な人は、次のページの方法を参考にして、継続して自分の世話をし続けて下さい。

書かれていることは、ごく単純なことだ。

散歩をする、スキップをする、ゆっくりお茶を飲む

などなど、え?こんなことでいいの?っていうことがたくさん並んでいる。

ほんとにこれで自分を好きになれるのだろうか?と思ってしまうけど(笑)

とりあえず始めてみることだよね

そういえば、私は人の好意、褒めことばなどを受け取れない人なのだ

(ということも最近知った・・)

すぐ「えーーーそんなことないですよぉ」などと答えてしまう。

褒められるに値しない、私など褒められるわけがない、

と思っているのだ(ということがわかった)

これからは素直に受け取れる人になれるといいなぁーとも。

受け取れて初めて本当に回すことができるような気がするから。

ということで、今年はここに書かれていること

http://www.f5.dion.ne.jp/~with/sewa.htm

を毎日1つずつ実行してみようと思っています。

そーそー、もうひとつだけ(笑)

朝晩腹筋10回ずつも忘れずに(笑)

歯磨きしないと気持ち悪いよね?そんな感じで習慣付けられるように

少しずつ(笑)

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人肌

人肌に触れると、とてもとても心地よく感じる。

私は低体温人間なので、そう感じる、ということもあるのかもしれないけれど

それだけじゃないだろう。

なんていうか、安心する。

その人がとても信頼している人なら、特に。

肌の温かさが私のずっと求めていたものだからかもしれないけれど。

ことばが上手く出なくても、肌に触れられると、感じる「何か」がある。

嬉しさ、喜び、哀しさ、辛さ、etc・・そして安心さ、も。

そういうものが私の肌を通して、身体の奥にじんじんと伝わってくる時がある。

ずっと前、付き合っていた医師の彼が

「この前、(患者さんの)おばあちゃんが突然『あなたの肌は温かい』って言ってね、

手を握ったら泣き出したんだ」

と話をしたことを、さっき思い出した。

おばあちゃんはどうやら彼に手を握って欲しい、とお願いしたらしい。

私は

「私は腕がいいけど人間的に最低な医師にはかかりたくない」

(裏側をたくさん見てしまったから)

そしたら

「外科医は切って治すのが本業だよ」

「治せない医師は医師じゃない」

って言われたけど、

やっぱり私は手を握ってくれない医師にはかかりたくない、

世間で言う一流の医師であっても。そのために自分の命の期限が短くなろうとも。

(もちろん逆に考える人だっているだろう)

私のそのことばをずっと黙って、無表情で聞いていた横顔が

今でも思い出される。

人肌は不思議な力がある。

私は今も人肌の温かさで助けられている。

それを教えてくれた人がいたから、そう思える自分がいるんだって思う。

だから、気の利いたことばもいいのかもしれないけど、

ただ黙ってそっと触れられる人になりたいと思う。

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楽しいお正月

気が付けば、もう3日ですねー

私は明日から(厳密に言うと、明日の午後から)仕事です

長期休暇のあとって、仕事に行くのがすごく憂鬱な気分に

なりませんか?ε~( ̄、 ̄;)ゞ

でも、まぁ、行ってしまえば、もう平気なんですよね。

だから今、すごーーく憂鬱(笑)

みなさんはどんなお正月でしたか?

私?楽しかったですよぉ(笑)

1日は実家へ行き、飲み食いし放題(笑)

2日は市内唯一の百貨店の初売り(セール)へ。

もちろん目的のショップの目的の品物は抜かりなく購入してきました(笑)

ホントすごい人で、どんどん商品が無くなって行くのをみて、オンナって怖いわー、と(笑)

って自分もその一人なんですけどね(;^_^A

そのあと、「初詣でも行く?」ってことになり、小国神社めざしたものの、

大渋滞だったので、途中で止めに(笑)

今日は部屋で箱根駅伝見ながら、ノンビリと過ごしました。

あと、お正月といえば年賀状。

みんなの近況がわかったり、子供の成長が感じられたり、毎年楽しみにしてるものの

ひとつです。

こんな感じで、あっという間に過ぎてしまいましたが

また明日から、気合入れていきましょう!\(*⌒0⌒)b

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許しまでの遠い道のり

実家に久々に帰った

私にとって実家は、相変わらず居心地がいい所では、ない

(以前ほどではないけれど)。

子供たちは「泊まる」というので、彼等だけ置いてきて

私は夜中に帰宅した。

自分の中では、「もういいか」という気持ちがずっと前からあるものの

でもなかなか、過去に抱いたマイナスの記憶とか思いを

手放さない(手放せない?)でいる。

それは、もう単に意地を張っている、というか、意固地になっている、というか

つまらない拘りを持っているだけ、というか

多分そいういうものだと自分でもわかっている、

わかっているけれど、なかなか素直になれないのは、まだどこかで

かれらのことを許せな