私のブログ記事はコメントがつけ辛いとわかっていてでもあえて書いているので
つけられないと思ったらささっと読み逃げしてくれて構わないですよ(笑)
やり取りを求めているわけじゃない
共感を求めているわけでもない
ただ自分が誰かの文章を読んで考えるきっかけをもらっているのと同じように
気がつける場所でありたいと思っているんですよね
誰かのためじゃない、自分自身のために。
特定の誰かに発するには負担が大きいことも、ブログでは気にしないで書ける、
それは読む人が読みたければ読むし、読みたくなければ読まない、という前提で
書いているからです(そう、あくまでも前提)
私はいつか傾聴ボラをやりたいと公言している。
傾聴はその人の気持ちや思いをそのまま受け止めることだ、
ただ聴くことだ。
でも自分の気持ちや思いを聴けない人が、誰かの(それは重いであろう)気持ちや
思いを、ただそのまま受け止められるだろうか・・?
自分には弱音だったり、嫉妬だったり、色んな負の感情があって
でも「そういう気持ちも持っていい」と思えないと、もし誰かが弱音を吐いたとき
「そんな弱音言わないで、もっと強く生きなきゃ(ダメ)」って思ってしまうものなんじゃ
ないだろうか・・・?
自分に許可できないものは、他の人にも許可できない、
そういうのも心理学のどこかにあるみたいですが、難しい文章は苦手なんで
詳しく知りたい方は調べてみて下さいね。
仕事で完ぺき主義の人と一緒に組んでやると、異様に疲れるんですよ(笑)
確かにすごく仕事ができるし、見習わなきゃならないこともたくさんあるんだけど
そういう人は一緒に組んだ人にも同じようにやることを求めてくる、ような気がする。
(もちろん必ずそうだとは思わないけれど。しかもそれは多分
無意識に行われている)
そうすると「どうしてこうやらないの?」細かいことまで指示してきて
それを傍で見たとき「そんな人に厳しくしなくても・・・」と思ったのだ。
何でも最初から自分と同じようにできる、とは限らない、とも思う。
その人なりのペースもあると思う。(比較するのであれば、他人とではなく、過去の
自分自身となんじゃないでしょうか・・?)
それに完璧ってなんだろう?とも思う。
(私は自己満足なのでは?と思うんだけど・・・・)
話が大分それてしまったけれど、私に対する感想をメールで頂きました(笑)
ありがとうございます!
それを読んで思ったことは、私も子どもの頃そうだったけれど
言いたいことを我慢して飲み込んできた、それは何か言うと必ず
押さえつけられてきたからだ。小3か4の頃だ、親戚含め大勢で旅行に行ったとき
お昼がおにぎりだった、でも中身が梅干しかなく、当時梅干が苦手だったし
おなかもそんな空いていなかったので「私はいらない」って言ったら
ものすごく怒られて(笑)
ホントにおなか空いてたら梅干だけ抜いて食べようと思ってたけど
今は要らなかったからその通りに告げたのに、親からしたら「梅干が嫌いだから
わがままで言っている」と受け取ったのだろうね
ホントこっぴどく叱られた(笑)
まぁそんなことは序の口で、もっと理不尽なことが積み重なるうち、言ってもムダ
と思うようになり、私から一切口を開かなくなった。
言ったら怒られる、言ったら嫌われる、そういう間違った学習をしていたんだよね。
でも今の彼に
「思っていることは正直に伝えてよい、そうしたから嫌われる、というのとは
違う」と。
今思えば私の両親は心が健康じゃない人たちだったと思う(今も変わっていない)
でも相手の人が心が健康な人であれば、違うことを言っても
理不尽に怒ったり、不機嫌になったり、必要以上に落ち込んだりはしないんだと
いうことを知った。
(ということは自分は不健全だということにもなるんだけど。。。。まぁそれも事実)
「自分の持った感情は誰かのことばとかのせいではなく
自分の責任(自分の心の問題)だ」ということがやっと理解できた気がするのね。
(意味がわかんなかったから)
でも、いきなり人に向かって、自分の思っていることを伝えるのには
かなりかなりかなりの勇気が必要で(笑)
そうだ、誰も知らないブログだったら平気かもしれない?
そうやって自分の中に溜まった毒素をブログという公の場所を使わせてもらって
私は多分、多分だけど、少しずつ変化してきている、ような気がする。
ただ、それが他の人に向かうのはどうかなって思う。
誰か知らない人だから何でもいたいことを言ってもいい、というのは私は違うって思う。
あくまでも「自分の」場所(自分のブログ)において。自分自身に対して。
それに伴うリスク(批判等)はもちろん受ける覚悟(?)も必要かもしれない、
誰かに判断されるためにやっているのではなくって
自分が自分の何か(いい事、悪いこと含め)に気が付くためにやっているわけだから
気にしなくていいんだと思うな。(最初はそう思えないかもしれないけど)。
彼に「人に心配書けるような記事は書くな」っていわれたことがあるんだけど
私はね、確かにそうかもしれないけど、心配かけちゃいけないから書くなって
何か違うような気がして(上手く言えないんだけど)。
人の心配事は確かに背負うには重いかもしれない、
でも私はね、人には必ず汚い面があると思うから(もちろん自分にも)
それが見えたからと言って、その人が変な人とかいやな人とかは思わないね。
もちろん、そう思う人もいるだろうけど
思う人は思えばいいし、そうじゃないってわかる人はわかるんだって、思うんだ
ブログではリアルじゃない、顔も名前も住所も職業も知らない、現実的じゃない付き合い??
がどこか違和感を感じたときもあったけれど
今は知らないからいい部分もあるのかもしれない、って思ったりもする。
距離は近すぎても上手くいかない、って思うからね。
思ったままに書いてみたので、意味がわからない文章になってしまったけれど
とにかく、ことばにしてみること、って大事だなぁって
自分の本当の気持ちを感じることって大事なんだなぁって
しみじみしてしまいました(笑)
そして、私の彼のように「思ったことを言っていい」と言ってくれる人に
もし出遭えたら、その人をずっと大切にしていけたらいいですよね
(ノロケではありませんが・・・)
多分、そう言ってくれる人は、その人自身が実は私と同じような道を辿った結果
今のその人がいるんじゃないだろうか?と思うから。
だって、「思ったことを言ってはいけない」って思ってると
相手にもそれを多分無意識に求めている部分ってあると思うんだ
(私はそうだったけど、皆そうだとは言わないけれどね)
公の場(コメント)では残せないようなことで、でも何か伝えてみたいことが
もしありましたら、またメールを使ってみて下さいね!
私も率直な感想が聞けることは(それが自分と違う考えであっても)
とても嬉しいことですから。
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