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2008年3月

そうだ京都、行こう③1日目編

土日に京都へ行ってきました。

朝イチの鈍行は空いていると思い、始発の浜松駅ではなく、家から最寄り駅の

高塚駅から乗車

しかし、既に席は埋まっており、しかも日曜は豊橋止まりのはずなのに

「この電車は引き続き米原行きの快速になります」

ぬぬぬぬーーー?!豊橋で誰も降りなきゃ、座れないじゃないかぁ

そうとわかっていたら浜松駅まで行ったのにっっ!

しかし、運よく立っていた横の席の3人組が降りたので、すかさず席を確保し

米原まではゆったり鈍行(実際は新快速だけど・・・)なはずだけど

人がどんどんどんどん乗り込んできて

しかも座っている人は皆どこの駅でも降りず(名古屋でも誰も降りない)

立っている人がどんどん増大し、名古屋過ぎてからは通勤状態

人の多さと熱気で、座っているけど息苦しさを感じ、

しかも乗り換え地点(米原)では、皆、電車を下りた途端、猛ダッシュ!!

しかし・・・乗り継ぎの電車には既に人が乗っており

結局その快速でやってきた人の殆どは座れず

しかも、途中で誰も降りず、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態

朝ごはんを食べる間もなく来てしまったので、ぴーは貧血になるし(笑)

でもなんとか京都駅に到着し、去年の教訓を生かし

まずバス地下鉄乗り放題チケット二日間分を購入し

そのあと、早目の昼ごはん

そして金閣と二条城に。どちらも20ウン年ぶりだなー

二条城内はなんと!車椅子で回れるようになっていたので、

足が痛くなっていた(片松葉杖使用なので)

ぴーを車椅子に乗せ見学。おかげでゆっくり見れました。

夜の特別拝観もという予定だったけど、桜が咲いてなかったので止めに(笑)

金閣ではお休み処で抹茶&和菓子

2人は抹茶初体験だったけど、渋好みの2人だけあって大好評(笑)

天気もよかったので、いい感じでしたよー

まだ松葉杖がとれていないぴーは、さすがに疲れたらしく、ホテルに入ったら

「もう外には出ない、それに今日は感謝祭やるから見たいし」

・・・・京都の街探索より、感謝祭かよ?

なので1人でちょろっと散策(?)してきました。

ホテルが京都駅のすぐ近くだったから、とっても便利でした、何が便利かって

荷物を当日も帰る日も預かってもらえる、というところでしょう

去年はこれでまずやられたから(笑)

二条城の桜は、来週かな

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月末の雑感

今日はお世話になった方(職場)へのお餞別(品物)を買いに

市内唯一の百貨店(なんで1件しかないのか・・・)へ行ってきました。

女性二人には、バーバーリーのハンカチ

ハンカチは定番ですよね、でもこれも好みがあるから、難しいんだけど

私が買いにいくときは男性女性とも、いつもバーバリーを選んでしまう。

柄がシンプルだから、好き嫌い激しくないかなということと、

ブランドとしてもあまり嫌いという人は聞かないから、という理由で(笑)

男性の方には、職場で使うお湯のみにしようか?と主任さんと話して

探しに行ったけれど、焼酎好きなので、焼酎カップに勝手に変更(笑)

お湯のみとしても使えるし(笑)

そのあと、文房具売り場へ久々に行き、お餞別につけるメッセージカードも

物色。

この売り場は、商品は少々高いけれど、「これ買いたい!」って思うものが

たくさんあって、いつも目移りしてしまい

ついでに自分用の便箋まで買ってしまった。

200803261959000 今回はグリーンの模様が入った爽やかな感じのものと

越前和紙4色セットのシンプルなもの、の2種類。

他にも欲しいなーって思うものがたくさんあったけれど、

セットで買うと約1000円くらいするので、

これ以上買うのは止めに(笑)

その帰りに、はかせの通っていた小学校の教頭先生(女性)が

退職されるので(公私共にすごいお世話になった)、

2000円くらいでアレンジメントを注文

離任式当日は私が仕事を休めないので、はかせに届けてもらうことに

勝手に決めた(笑)

そーいえば、ここでも書いた、昨年暮れに千羽鶴を送ったH先生からはがきが!

「退院することができました」

あぁーーーよかったぁ

でも歩行が困難らしく、リハビリ中らしい・・・でも元気みたいで一安心。

週末京都に行ったとき、写真を撮って、はがきにして送ろうと思っていたので

ちょうどよかった。

昼間には同期3人で集まってランチしてきたけれど

今回1人が行政職に異動。

私も今年は「異動したくない」と粘って(本来なら異動)、何とか通ったけど

「来年は(留任は)ないよ、って言われた」と個票を出しに行ったとき言われたとのこと

ここを出るときは私も行政職へ異動希望するつもりなので

この仕事もあと一年か・・・・?

今年は30代最後の歳だし、区切りとしては悪くないが

さてどうするか?まぁまだ1年が始まってもないので(笑)

そのときになったらまた考えることにするとして、とにかく、この季節、

なにかアンニュイな気分になるのは、私だけじゃないんだろうなぁ?

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「命を大切に」

よく、命を大切に、と言うけれど、

「命を大切にする」とは一体どういうことだろうか?と、自分はわからなかった。

最近、子供の自殺も増えていて、それらのニュース記事に

「自殺はよくない」

「自殺する前に、誰かに相談できなかったのでしょうか?」

ということがよく書かれているけれど

そういう人がいないから、本気で自分の思いをぶつけられる人が

誰一人いないから自殺してしまうのだと思う、

だから「誰かに相談」という考え方は、自殺しようなんてこれっぽっちも

考えたことのない人の発想だと私は思うのだ。

もっともっとそれ以前の問題。

本当は、本当は、誰も死にたくないと思う、

でも自分は一人ぼっちなのだ、誰もいない、

周りに人はたくさんいるけれど、実は誰もいない、

こんな感じか。。。上手く表現できないけれど。

だから、「命を大切にしましょう」と、何を見ても、何を言われても、なにを読んでも

全てうそ臭く思えてしまう、自分の中で、何かしっくりこない、

表面をかすり、そのままどこかに去っていってしまう、そのことば。

命を大切にする、ということは、自分自身の命(身体も含め)を大切にする、ということ

なんだと思う(し、そのようによく書かれてもいる)

じゃぁどうしたら自分を、自分の命を大切に思えるのか?

長年の疑問だった。

いくら考えても、全くわからない。

どんなに感動的に作られたテレビ番組や、本や、話を、見ても聞いても、

わからなかった。

つい最近まで、自分は子育てを終えたら(子供が無事社会人になったら)

死んでも全く構わないなぁ、と思っていた。

この世に未練なんて特になかった、本当に。

でも、今は、違うのだ。

自分でも驚いている。

ある日、突然、豆電球に灯りがついたのだ(笑)

自分自身、自分の命、身体、を大切にしようと感じられるには

自分だけじゃ無理なんじゃないか、と。

はかせやぴーの存在じゃないかって?

確かに子供は大切だし、彼らのことを心から愛している(笑)

彼らを残して逝くことは考えられない。

でも、子供はいつか巣立って行くし、私にとっては私の人生を形作る一部分に

過ぎない。子供が全てでは、ない。

じゃぁ何かというと、心から愛してくれる人がいること

(=心から愛することのできる人がいること)

それは別に恋人とかそーいう人じゃなくても

家族とか、友人とか、先生とか、別に誰でもいいのだと思う、

自分のことを「心から愛してくれる人」の存在が、自分の存在がとても大切な

ことなのだと、教えてくれる。

心から愛してくれる人と一緒に歩きたいから、自分も健康に気をつけて

自分自身を大切にして生きていこう、ずっと生きて行きたい(生きて生きたい)と

心から感じられる人の存在なしでは、人は生きられないのかもしれない、

いや、生物学的には生きていても、本質的にはただ生かされている(負の意味で)

という感じだったのだと、過去を振り返ってみて思ったりする。

そんなこと、当たり前のように子どもの頃から知っている人だって

たくさんいると思う。この文章を読んで「何を当たり前のこと言ってるの?」と

思う人は山ほどいるだろう。

でもそういう人ばかりじゃない。

でも、こうやって感覚的なことを文章にして、冷静に読み返してみると、

やはりうそ臭く見えてしまう(笑)自分が書いたものもやはりうそ臭い(笑)

ということは、『命を大切にしましょう』って第三者から言われてどうにもなるものじゃない、

ということにもなるのかもしれない。

言われれば言われるほどうそ臭く感じてしまう(私はひねくれ者・・・?!)

しかし、しかし。

ボラをやりたい背景にはこういうことがあるのかもしれない、と

また新たな自分の一面を発見できたのかもしれない。

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生と性

「favorite」のコーナーに二つのサイトを並べててみた。

私の好きな写真家、吉村氏と荒木氏のサイトだ。

私の部屋には吉村氏の写真やらカードやら本やらがたくさんころがっていて

アラーキーの写真集や本は部屋の本棚の隅に並んでいる(笑)

全く違うタイプの写真。

吉村氏は私の中にあると思われる少女の部分を揺さぶってくれる。

(自分で言うのもなんだけどさ・・)

子どもの頃好きだった、野の花畑をどこかで思い出す。

移り変わる風景、色、空気、それは自然の静かな生

一方、アラーキーは、激しい

昔は彼の撮った裸体を見て、本当に全く何も思わなかった

しかし今見てみると、私の中の大人の部分を揺さぶってくれる。

(自分で言うのもこれまたなんだけどさ・・)

大人になって知った自分の中の激しさ、情熱、孤独、をどこかで思い出す。

それは人間のありのままの醜態(いい意味で)、激しい性

昨年、吉村氏の個展を初めて見に行った

写真集で見るのとは全く違う迫力があり、あぁやっぱいいなぁと思ったし

それよりなによりご本人と直接お話ができ、サインまで貰ってしまい

超嬉しかった(超、って死語?)

話した感じは、私が思っていた通りな感じだった(自分が好きになるタイプ)

同じ年代だし、クラスにいたら間違いなく、私は告白している(笑)

(そして多分ふられるだろうけど)

アラーキーはどうだろうか?

年齢は私の父とそう変わりない

でも父じゃなくオトコを感じてしまう(変な意味じゃなく)

でも自分からは決して好きにならないタイプだろう。

さっきアラーキーは激しい、って書いたけれど

実は、激しさだけじゃなく、穏やかが存在している

何より、彼の写真には愛が詰まっている(と思う)

そして、その対となる、哀しみも。

最初、奥さんのヨーコさんがすごく好きで、そこからアラーキーの写真やら

本やらを読みまくった

昔は全然わからなかった『幸せ』とはなんぞや?という大ヒントを与えてくれたのも

彼の写真とヨーコさんの文章だ

(それについていつかまた書けたらいいなと思うけれど)。

話がそれているけれど、

作られたものや、わざとらしいものは、一見どんなにきれいに見えるものでも

うそ臭く見えてしまう。何かしっくり来ない、っていうか、自分の中にしみこんでこない。

写真や文章や生き方も、人間も。

どういうものが自分の中にしみこんでくるのか、という、その種類は

その人その人によって違うのだろうけれど。

でも自分の中に共存する静と性がごっちゃになったとき、どれが自分なのか?

わからなくなるけれど

多分どちらも私自身なのだろうか

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あきらめない

めちゃくちゃ久しぶりに彼に会った。

私は彼の、妙に自信家で傲慢なところがキライなところでもあるし

好きなところでもある。

私は頭の回転が悪いせいか、その瞬間に思ったことを上手く言葉にして

話せないんだけど(よって、後になってから、あの時ああいえばよかったと

思うことがよくある)

セックスしたあとだけは、どうしてか素直に、自然に、すぅっと言葉がでるのだ

(なぜだろうか?全くわからん)

「私はね、あきらめないよ。誰かが『何を今更』『そんなこと』って言っても、

ひとつひとつちょっとずつ山を登ってくから」

彼は、言った。

「お前がその『何か』をやることについて、俺は否定するつもりはないよ」

それは、私も、同じなのだ。

「あなたが『何か』をやることについて、私は否定するつもりはないよ」

でもそのことばは言わなかった。

私はもっと違うことばで、ストレートに伝えた。

よかったのか、悪かったのか

ただ、どうもならなくても、諦めない人が好き。

結果最後にどうもならなくても、諦めたら、それで終わりだから

少しずつでも回り道でも私は追いかけ続ける、

守りには決して入らない

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2学期単位認定試験成績

今日、やっと(?)届きました!

2学期単位認定試験の成績表が!

200803132059000_5 一番頑張った地域福祉論は○Aでした、ヽ(^◇^*)/ ワーイ

試験が思ったより難しかった「こころとからだ」と

テキストが簡単だったので、

手を抜いてしまった(←こんなこと堂々と言ってはいけないな・・)

「人口減少社会の生活像」も

合格してました。よかったぁ。

7月までの土日の予定のメドがたたず、来学期の面接授業は、夏季集中で

2科目くらいとりたいと考え中。

これで、卒業要件不足単位数は66に。

まだまだ先は長い(笑)

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皮膚が!垢が!

ぴーが骨折して早一ヶ月半

相変わらずギプスでしっかり固定なので、風呂には入れず、

上半身だけはごしごしタオルで洗い、そしてシャワーで流す、

頭はふつーにシャンプー

という生活を送っていた。

しかし・・・昨日。

「おかーーさんっっ、大変だ・・・垢が・・・」

清潔にはとんじゃかないぴーが慌てて左足(骨折していない方)のひざ部分を見せた。

そこには、垢がぽろぽろと勝手に剥けて、赤黒くなっている足が・・・

いやーーーー汚いっっっ  

w|;゚ロ゚|w ヌォオオオオ!!

すぐに、風呂に入れるように対策を練り、

かっぱのズボンを右足だけ穿き、お湯を少なめに溜め、

右足を浴槽の外に無理やり出して、お湯に浸かり、垢を浮かせ

ごしごしタオルの強力なやつでこすりまくる、ということにした。

そのおかげか?足の色はかなり元通りになったものの

こすりきれなかった部分は、なんだか赤黒い・・・( ̄_ ̄|||)

予定では今週ギプスカット後、洗浄してくれるらしく、やってもらったことのある人の

話では、かなり強力な圧力のシャワーをかけてくれるとのこと(?)

ここはお願いして、両足をやってもらおう!

しかし、汚れってこんなにたまるもんなんだなぁ

ぴーの入った後の浴槽は、恐ろしいことになっていましたよー(; ̄ー ̄川

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自我の社会学

今学期『自我の社会学』(船津先生)をとった。

生活と福祉専攻の私には一見関係ないようにも思えるけれど

研究(???)してみたいと思っていることと自我のあり方、というのは

必ずしも無関係ではなく、しかもアイデンティティとは一体なんぞや?という

素朴な疑問(言い換えれば基本的なことを知らない)を持っていて興味があったので

とってみた。

教科書はまだ届かないので、今日もサテのものをお借りしたけれど

まず教科書が薄い!(笑)

そして読んでみると、なんて内容がわかりやすいことか!(笑)

「21世紀の社会学」2回目(現代社会における自己の諸相)が、

なんだかわかりづらくて、全体的に用語が難解だし(社会学全般に言えるか)

人もいっぱい出てくるし、教科書を一通り読んだだけでは、私の頭では??だったけれど

この教科書はわかりやすい。

その中で、なるほどなぁ、って思ったのが

「自我はたまねぎのようなものである」(ノートに書いてないので誰のことばか今は不明)

「自我はキャベツである」(山田和夫 2004)

皮を剥いても、何も出てこない、実は剥いた皮がその人の自我を形作っているもので、

それは他の人の期待を意味している。

自我は他者の期待との関係において、社会的に形成されるもので

自分だけで出来上がっているというものではない。

また他者や社会から遊離したとき、自我は自己を見失い消滅するしかないことになる

この科目は「自我は他者との関係においてできるものである」という

前提において語られているので、「いやそうとは限らない」という学問が他にも

あるのかもしれない(私はまだそこまで勉強していないのでわからないが)

ただ、なんとなくなるほどなぁ、と思うことは確かにある。

自分は以前も、子供とか仕事とかボラとか趣味とか、その他もろもろは

自分を構成しているものの1つにすぎなく、それは全て平等に自分の周りに

位置づけられている(あえて言葉で表現するなら)、ということを書いたけれど

そうじゃない「ただの自分」というものが、どこかにあるのでは?と思ったりもしていた。

しかし、実はそんなものはどこにもないのではないか?(今はよくわからないが)

子供(の母であるということ)、仕事(における人との関係性)、ボラ(が好きな自分)、

というもろもろが全て「ただの自分自身」なのかもしれない?

まぁ考えても、何も出てはこないだろうから、そういうものかもしれない、そういう考えが

あるんだということを知ったということだけでも、大きな収穫だ(笑)

いや、「そんなこと今頃知ったのか?」と他の人に思われるかもしれないけど

「知る」ということが、単純にこんなに楽しいことかということがわかったのも

放送大学のおかげかもしれない。

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卒業式

昨日、はかせを習字に送ったついでに、サテに寄った。

おじさんが「今日は貸切だよー」と言うので「それはなんて贅沢な!」と(笑)

しかし狭いとはいえ、がらーんとしているサテは何か少し淋しい気も・・

でも好き勝手使えるのは嬉しいかも(笑)

昨日は「がんの健康科学」第三回

教科書がまだないので、借りて視聴。

この科目の2,3回目は、生物学的内容で、ホルモン名やら物質名が

やたらたくさん出てくるものの、発生のメカニズムについてなので、興味深い。

そして帰りにサテで発行している「キャンパススケジュール3月号」をもらって見ると

来週行われる(NHKホール)学位授与式の案内が。

「是非とも参加されることをおすすめします」って書いてあったけど

自分が卒業できることになったら、間違いなく参加したいぞ(笑)

謝恩会もあるのかぁ(ニューオータニ)

でも知らない人ばっかだと、淋しいし、つまらない気がするけど・・

とにかくまずは単位をためない事には、参加どころか卒業も出来ないな。

しかし、放送大学、実に孤独だ

Hサテもあれだけ人がいるのに、みんなそれぞれ孤独でやってるのかなぁ?

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自信をつける方法?

振り返ってみると、私は子どもの頃から何をやるにしても

『私には出来そうにない・・』『どうせやっても無理』という後ろ向きな思いがあった。

出来そうもない、と最初から思っているから、やはりその通りになってしまうわけで

「やっぱり出来なかった」という悪循環が繰り返されて行く。

そもそもどうして「私には出来そうもない」と思ってしまうのか

それには私なりの理由、同じように思う人がいたとして、その人なりの理由が

きっとあるんだと思うけれど

一度成功体験をすると「私にもできるんだ」って思えるのも事実。

じゃぁどうしたら成功体験に結び付けられるのだろうか?

私が勝手に思うに、「自分の心底好きなことに打ち込んでみること」

なんじゃないかなぁ?と。

「上手だね」「すごいね」などと褒められるために、何かをするのではなく

単に好きだからやってみる。

好きだから無意識に一生懸命にやっている、その姿に気が付いた誰かが

「本当の」意味で「すごいね」「がんばってるね」「ありがとう」などと言ってくれる、

そこから始まってゆくのではないだろうか・・???

私は大学に落ち(笑)最初の就職先ではダメだしの嵐(笑)どこへ行っても

思うようにできなくて(ならなくて)もうどうでもいいやぁ、なんて思ったこともあったけれど

4番目の就職先の面接で支社長に「あなたは受付」と言われるがまま、

職種を変更して働いた先が自分にはとても合っていた、

そして好きだった。かなり熱心に仕事も、仕事のための勉強もこなしていたと思う。

(そのときは熱心にやっているなんて思わないけど)

ただ好きで一生懸命やっている姿を患者さん達やNsなどスタッフに評価してもらったとき

「私にもできることがあったんだ」と、とても嬉しかった。

それは今の自分を支えてくれている柱になっているのかもしれない。

(他に柱がないというのが少し悲しいけど・・・笑)

どうやったら自分を大切にできるのか?

どうやったら自分を好きになれるのか?

どうやったら自分に自信が持てるのか?

そのことについて考えたり悩んでいる人が、たくさんいるんだなぁと知ったとき、

あぁ私だけじゃなかったんだ(笑)って思ってしまった。

じゃぁこれからちょっとでも得られるように、一緒にがんばりましょーか?(笑)

渡邊二郎先生はこんなことを言ってました

「情意を満足させない人生は、人間をけっして幸福にさせない」と。

「人生は理屈や知的判断だけでは割り切れないものだ」と。

何を欲しているのか、何ができるのか、可能性は?と

真剣に自分に問いかけてみて、その声を聞いてあげることが

自分を大切にし、自信をつけ、好きになれることにも

繋がっていくのかもしれないですね。

※渡邊二郎先生、先日お亡くなりになりましたね・・・

ご冥福をお祈りいたします。

先生の授業は来年度で本当に終了になるんでしょうかね。。。

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