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続  誰かの幸せを願う気持ち

誰かのために、何かをしてあげたい、と思う、

その気持ちはとっても大切なものだと思う。

でも、その「何か」をしてしまうことによって、結果その人のためにはならず

かえってダメにしてしまうことは、あると思う。

昔はその判断が上手く出来なかったように思う、

と言って、今ちゃんとできているのか?と考えると、よくわからない。

ただ、本当は自分で何とかできることであっただろうことについては

絶対手を貸さないようにしている。

先のことを考えないで生きていいのは、学生時代までで、

歳をとればとるほど、現実から目を逸らさないで生きていかざるを得ないのが

大人になること(の1つ)じゃないのだろうか

(たまの現実逃避は構わないと思うけど)

前の私は、現実を見ることが出来なかった

(今も全部見れているのか、よくわからないけれど)

リンカーンのことばにこんなものがある(らしい)

自分自身でやれること、
やらなければならないことを、
彼らの代わりにやってやる事で、
その人を永久に助けることはできない

今考えてみると

ひとつ前と、もうひとつ前の彼は、私よりずっとずっと大人だったのだと思う

どうして離れていったのか、何となくわかってきた気がする

自分の足で立てない人は、相手もダメにしてしまう

立てるように、手助けをすることは、『本当の助ける』ではなく

見せ掛けの偽者の愛、ただの甘やかし、なのだ、

その人のためではなく、自分のために、自分がその方が実は都合がよくて

(無意識に)行っている、

それは、本当の愛、本当の思い遣り、とは、違うのではないだろうか

私は自分の足で立てるようになったのだろうか?

人は思ってるほど簡単に変われるものじゃない、

でも、もし、あれから何年も経った自分を見てもらえたとしたら、

彼らは何て言うだろうか?

もっと成長して、本当の意味でちゃんと自立して

いい女になって、いい人(男女問わず)に出会って

よりよい人生を送りたいと心から願う、のと同時に

今まで関わった人たちも、よりよい幸せな日々を送って欲しいと心から願う

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