ボランティア

菊焼残月

先日、ボラの記念パーティがあり、参加してきた。

会場に着くと、病院長始め、偉い方々がずらっと並んでおり

「・・・・・ここ・・・・?」一歩下がって、案内看板を確認してしまった。

こんなに盛大に行われるとは思っておらず、超緊張sweat01

(よくよく考えてみりゃ、会場を聞いたときに想像できたことだと思うのだが・・・・)

私が知っている人(他のボラメンバー)は6人しかいないので

同じテーブルのご婦人方はもちろん、会場にいる人の殆どを知らず、

これはちょうどいい機会かも?

そう思い、まず最近お世話になっている役員のAさん(私より10コ位上か?)の

隣にいるご婦人も多分役員と思われたので、Aさんに頼んで紹介してもらい

流れで数人紹介してもらった。

といっても、この先また同じ日に活動することはほぼ無いので、

お互いすぐ忘れそうだけどcoldsweats01

会長のBさんとは2年前ボラに入ったとき、色々案内してもらって以来の再会なんだけど

正直、すごく歳をとったなぁ・・・という印象

高齢者の1年2年っていうのは、すごく大きいんだなぁ

あれだけ活発に活動している(と思われる)けど、だんだん歳をとってきているのが

目に見えてわかってしまう

前も書いたけど、昨年褒章を受章し、そのときの引き出物と同じ物を

今回用意してくれてあった。

Kikuyakihako 宮中晩餐会や園遊会など、祝宴の際の

引き出物として使われているお菓子、

だそうだ。

初めて知った!

Kukuyakinakami_2 中身は、菊の紋章が入った、大きなどら焼

みたいな感じ?

まだ食べてないので、わかりませんが。。。

同じテーブルに座っていた紳士&ご婦人が、ものすごく映画好きらしく

話しを聞いていて、とてもおもしろかった。

紳士の方は「(自分は)映画は(好きな)俳優で見る」

ご婦人は「私は俳優さんとか気にしたことないし、名前もすぐわすれちゃうのよねぇ、

でもストーリーにはこだわる」

本当にたくさん観てらっしゃるようで、その辺の紹介やレビューを読んでいるより

ずっと参考になったかも。

それより何よりそのバイタリティや吸収力、想像力、話題の豊富さに唖然。

私の方がある意味「年寄り」だったりして・・・・

紳士の方が言っていた、「もっといい映画を(みんな)お金を払って映画館で観て欲しい」

最近ぜーーーんぜん観に行ってないなぁ

映画に限らず、いい小説とか、音楽も、モノもきっと同じなんだよね

いいものはずっと残って、受け継がれてゆく

本当の意味での「いいもの」を私も見極められるようになりたいなぁ。

それに、ここのボラ、うん10年続いてきたわけで

続けるに当たっては、きっと苦労もたくさんあったと思われる。

この前も「世代交代」って課題があると聞いたけど、

なんとか途絶えずに引き継いで行けたら、すばらしいことだなぁ。

医療相談室の方から勧められるまま、今回のパーティに出席させてもらったけど

いい勉強させてもらいました。よかったぁ

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思い入れ

昨年は子供会とボーイスカウトが重なってしまったので、思うようにボラに行けず

このまま消え去ってしまったのか?と思われているのでは・・・と思っていたら、

先日、医療相談室のボラ担当職員さんから自宅に電話があり

「来月ボラの記念パーティ(光栄な某賞を受賞・・検索でひっかかると

個人が断定できてしまうので、控えさせてもらいますsweat02)を行うので出席できますか?」

運よくその日は用事がなかったので、参加させてもらうことに。

その時ついでに、と、以前より気になっていた、予定表のことについて

話しをしてみた。

毎月予定表に、どこの部署をやるか、というのを書き込み、それにしたがってボラを

するのね。

土曜日は基本的にボラに来る人は決まっていて、私と、以前書いた謎の男性、

もう一人、ここで一番の長老(30年間続けている)の男性。(年齢80超)

私は、それでも何十年も続けてきたお年寄り 大先輩を立てて(?)その方が

入れてない日の土曜日に入れていた・・・んだけど

なぜか、入れてない日にもやってきて活動を。。。

土曜日はあまり忙しくないので、人も一人いれば充分なので、まぁいいかぁと思って

入院係の方には「まぁ1人でいいと思うので帰ります」と言って帰っていた。

でもそれが何回もあると、さすがに・・・と思っていて

ちょうどいいので相談してみようと思って話してみた。

次の日、来月の予定を入れに病院へ行き、来週があいていたので予定を

入れてもらおうと思って、医療相談室に行き、昨日の電話のことが気になって

その話しをまたしてみた。

電話だと上手く伝わってないかも・・・てちょっと不安だったのだ。

担当者の方は、その辺よくわかっているみたいで、

「でも、高齢だし、こうありたいって想いが強い人だから、言ってもわからない

(聞かない、んじゃなく、わからない)と思うんですよね・・・」

私も

「わかります、○○さんは、悪い人じゃないと思うんです、

(わざと嫌がらせ的に行っているのではないと、私も思っている)

それを止めて下さいって言って下さい、って言ってるわけじゃなく、

もし(私が)予定していた日に、また同じようなことになったとき、

(私が)帰るという選択じゃなく、他にいい方法があったら、と思って相談させてもらったんです」

結局この件に関しては、レントゲン周りの案内を紹介してもらう、ということで

解決したんだけど、

この思い入れ、というのは、時として厄介なものになってしまうことも、あるんだよね。

私にも、あると思う。

ボラとして「こうありたい」「こうやりたい」っていう思い。

ここのボラ組織が30年続いたというのは、とてもすばらしいことで、

それは長年続けてこられた大先輩がいたからこそ、なんだけど

『自分はこうやって来た』っていうのが、ありすぎると、こっちとしては

やりにくいということも、正直、ある・・・

他の数人のボラさんともお話させてもらったり、一緒にやらせてもらったことがあるけど

皆、いい意味でも悪い意味でもこだわりが強い。

会社でも、あるよねぇ?「こうやって来たからこの方法が絶対だ」と譲らない人とか

それ以外の方法を認めない(受け入れられない)人、とか。

身内でもあるかもしれないよね。

「今時の育児は」というお姑さんとか?(笑)

でも、私ももしかしたらそうなっているかもしれない(これからそうなるかもしれない)、

そうならないように、柔軟な頭を持っていたい。

そのためには・・・・どうしたらいいんでしょうか???

色んな人がいて、色んな意見・考えがある、というのを持ち続ける、というのは

難しいことなんだろうか・・・・??

相談室の職員さんは、こう続けた。

「今、30年続いて、これからも続けて行きたいけど、『次に続いていかないと』

続かない、世代交代の時期が来ていて、でもそれが上手くいくのに

ちょっと難しい面もあるんですよね、私たちもそれが今のテーマだと思っていて。

あと、今、日曜日に図書をあけて欲しいという意見が出ていてね、日曜は

売店もレストランも休みで、何もなくて、図書があいていると嬉しい、という

患者さんから声が出ていて、検討中なのよね」

「その時はぜひ声をかけて下さい、毎週はちょっとムリですが、そうなるようであれば

ぜひやらせてもらいたいです」

相談室の人も大変だ、

○○さんは、私が入った2年前と比べて、かなりよぼよぼしてきた、という印象。

でも長年貢献してきてくれた方だし、

使う病院側としても、微妙な位置にいる方なんじゃないかと、会話から匂ってくる。

それに、一見上手くまわっているようなここのボラ組織も、やっぱ所詮組織なんだと

思う、ボラ内の人間関係で、ごたごたがあるという話も、聞いたことがある。

それに加え、世代交代・・・

まぁ、私としては、世代交代云々より、自分ができることを細々と

これからも続けて行きたいと思うだけ、なんだけど。。。。

「思い入れ」・・・難しい。。

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家みたいな病院

先週に続き、今週もボラ日。

入院受付から、病棟に案内するまでの数分間だけ、患者さんや家族の人と

一緒にいるわけなんだけど。

手続きが済んで、担当の職員さんから「お願いします」と言われ、

書類をもらったところで、患者さん(や家族の人)に

「それではご案内しますね」などと言うんだけど、

その一言を言った後の一瞬に、患者さんからの、色んなエネルギー(みたいなもん)を

非常に強く感じる。

「この人、入院するのに、すごく明るい感じだなー」とか

「この人、すごく不機嫌だ」とか、色々。

別に、会話をしたわけでもなく、明らかに顔に出ているわけでもないけど

何か感じてしまう。もちろん、感じたからといってもそれを感じていない風に(笑)

接するし、色んな人がいるわけだから、色んな感情があるのも当然だし、

不安を覚えるのも当然。

私と同じエプロンをつけた、(前に書いた)謎の男性ボラさんに連れられてきた、

車椅子に乗った60代後半くらいの女性が、病棟に着くまで

「ホントにごめんね」(車椅子を押してもらったり荷物を持ってもらったりすることに対して)

と何度も何度も言うので、その度に

「いいんですよーー(私はそれをやりたくてやってるし←これは言わないけど)」

「最近歩くのも辛くてね、迷惑かけちゃって本当にごめんね」

「いいんですよーー」

その会話の繰り返し。

迷惑・・・迷惑かな?できないときは頼んじゃっていいんですよー、、、、って

自分にも言ったりして。。。そして思った、もし私が車椅子を誰かに押してもらうときには

「ありがとうね」って言おうかな、と。

(別にごめんね、と謝ることはよくない、って言ってるわけじゃないから)

病棟から帰るためにエレベーターを待っていると

同じく待っていたおばあさん(入院している家族に会いにきたらしい)に

「なかなか来ないねぇ」

「ホントですねぇ」

「最近、どうも待てなくてねぇ、今日もバス停の直前で、バスが行っちゃってねぇ」

「待っている間って、長いですよねぇ」

などと、どうでもいい会話をエレベーターを降りるまで繰り返していた。

他愛無い会話・・・そのあと、緩和ケア病棟に行ったあと、思った。

他の病棟とは少しつくりを変えてあるけど、見た目やっぱいかにも病院、だよなぁ

閉塞感もあるし、緊張感も漂ってる(病院という雰囲気だけで)、

もちろんそういう風に感じない人もいるだろうけど(見た目で)、

私はやっぱこういうところだと、心からリラックスできるかなぁ・・・と、どうしても思えない、

病院には申し訳ないけど。

見た目というか雰囲気・・・難しいところなんだけど。

で。見た目、雰囲気も大事だけど、ふつーの日常、リラックスできる雰囲気、

そしてどうでもいい会話、家にいるみたいな。

話して、笑って、怒って、泣いて。自分だったらそういう感じの病院があったら

入りたいと思うなぁ。

そしてそういうところで最期を迎えたい、そんなことをずっと思っていた。

そんな時、そう、この前六法を買いに行ったとき、ふと目に入った一冊の本

緩和ケアでがんと共に生きる~ホスピスは「もう1つのあなたの家」~

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他にも緩和ケアやホスピスの本が並んでいたけど、なぜかこれに惹かれて

買って読んでみたんだけど

この本を書いた佐藤先生の考えにすごく共感してしまって。

この先生は人をちゃんと、1人の人として見てくれる、そんな風に思った。

それは患者、家族、スタッフ、そういうの関係なしに。

病院(やホスピス)のボラに対して、肯定的に見てくれるという病院は

実は意外と少ないのではないかと思ったりする。

肯定的、というか、ちゃんとした1人のスタッフとして見てくれる、と言ったほうがいいかな。

Nsは一見、結構プライド高い人が多かったりするから、(でもそれもお付き合いしていく

うちに、その理由もわかってくるし、思っているほど付き合いづらいわけでもない、

要するに偏見なんだけど)

中々その中に入って行くのは難しい部分ってあると思うんだよね。

それに。

患者さんに冷たくあたるDrを何人も見たことあって、その度に

「医者って治せばいいのか?」ってずっと思っていた。

それが、前付き合っていた外科医の彼に言った、

「私は、性格の最悪な一流の腕のいいDrより、腕はイマイチなのかもしれないけど

人の心のわかるDrにかかりたい」

するとその彼は

「外科医は切って、治すのが仕事だ・・・」

私は今でもよく覚えてる。

「もちろん治すことも大事かもしれないけど、人(患者)をバカにするような医者には

かかりたくない」

これは、実際患者さんを怒鳴りつけているDrを見たときから、ずっと思っていた。

どこか「治してやってる」という(もちろん口では言わないけど)気持ちがあって、

もちろん自分たちは自分じゃ治せなくて、頼ってるわけなんだけど、

何か違う、ってずっと思ってた。

今、心理学とか、心のケアとか色々言われているけど、まだそういうことが

あまり言われていなかった頃の話だ。

「私は、(その外科医の彼に)切って治してあげられて、でも心も見て(向き合って)

あげられるような医師になって欲しい、あなたならなれる」

その人は、それをただ黙って聞いていた。

乳がんの彼女(友人)が、

治療は今言われてる方法しかないだろうな、と思っていたけど、

それでもセカンドオピニオン受けたいって思って、他の病院を紹介してもらった時の

話しをしてくれた。

そのDrは一言、こう言ったと。

「それで、あなたは何をしたいの?」

もう何も言う気がしなかった、と。

私はなんて返事をしたらいいのか、わからなくて、黙っていた。

この本を読みながら、過去の色んな記憶が蘇ってきた。

でも、トップに立つ人がこういう考えの病院って、すごく魅力的。

そう思って裏表紙を見たら、なんと隣のT市(一応県外だけど)

バイパスも無料になって行きやすくなり、1時間かからない。

あぁ・・・・こういう病院でボラしてみたい・・・

いつかそれを必ず実現したい。

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愚痴と傾聴(ボラ)

昨日「私の親は愚痴を垂れ流すので嫌だった」という内容のことを書いた、んだけど

それはその通りで。

私は基本的に人の話を聴くことは、どんな内容でも好きなほうだと思う。

愚痴とか弱音って、誰も言いたくなるときがあると思うのだ

それを言うことを否定はしない。

でも例えば家族とか友人とか、という距離の近い人間と

患者さんみたいな距離の少しある人間とでは、少し意味合いが違ってくる。

もしくは基本的に問題を解決していこうという気持ちを持っている人と、

そうじゃない人の間、でも同じかもしれない。

愚痴をこぼすことで解決した気分になっているのだ、私の親は。

(そして、自分には落ち度は無い、ということも無意識かもしれないけど思っている)

話せばすっきりする、それでもうそのことは終わったかのような気分になっている、

でも問題を解決したわけじゃないから、また同じ問題が出てきて

するとまた愚痴を言い、言ったらすっきりして、また・・・・その繰り返し。

人の負の感情を受けるということが、どれだけエネルギーを必要とすることか、という

事を分かっているのだろうか?

私は子供のときから、自分の中にたまった他の人(親)の負のエネルギーを

自分で消化する方法を身につけることを覚えたので、今、基本的にそれ程

苦にならないんだろーなぁと思う。

そういう意味ではありがたい能力(?!)を得る事ができたわけで

親に感謝しなくてはならない、かも?smile

一度はなしを聴くと、距離の近い人は、どんどん言ってくるようになる、場合もある。

その量ははんぱじゃない。

(人によってそういう人とそうじゃない人がいるけれど)

それはキツイ言葉で言えば、甘えだと思う。知っている人になら言いやすいから。

でもある程度距離のある人は、それができないから、程ほどにこぼす、

そこの違いなのだろうか???

それとも患者さんは嫌でも自分(や自分の病気)と向かい合わないといけない、

そういう人たちは何か悟っているのかもしれない、

愚痴をそっとこぼしながら、弱音を出しながら。

そこでそっと受け止めてくれる人がいれば、また少し前に進める、

それを知っていたのではないだろうか。

私はそういうことを患者さんたちから教えてもらった。

決して言ってはいけない、とは思わない。

ただ私は私の親のように、愚痴を言うことで目の前の問題からいっつも目をそらして、

逃げているような人生、自分には落ち度は無いのだと思っているような人生は

尊敬できない。

というかあそこの職場で働くまでは自分だって同じように生きてきたのだ

(恥ずかしいけど・・・。)

自分の生を必死に生きていた人たちに、心から感謝してる、

彼ら彼女らには当時の私は必死に生きていないということが見抜けたから

色々話しをしてくれたのかもしれない、と、思ったりする。

人ってそれ位敏感なものなのかもしれない、

だから自分がこれからそういう人たちを相手にボラをしようとするには

技術よりも、それなりの自分の人生に対する自信、自分に対する自信、が

もしかしたら必要なんじゃないかと思ったりする。1人の人×人、として

立場は違うけれど向き合い寄り添って同じ方向に向いていくには。

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合う、合わない

ボランティアに合う性格、というか、向いている、向いていない、というのは

あるような気がする。

ボランティアに限らず、人のお世話をする何か(職業含め)、カウンセラーとか

もそうなんだろうけど、

私は前から自分って冷たいなぁと思っていた。

他の人の悲しさがどうしても分からない。

辛いんだろうなっていうことはわかるけど、それ以上はわからない。

いや、経験したことのあることは実際の痛みとしてわかるけど、

それでも、その人の悲しみと

私の感じた悲しみは=じゃない。

基本的に、自分を癒せるのは自分、

自分の問題を解決するのも自分、という考えがあるのかもしれない、

一応話は聴くけれど、その人とは距離をある程度置いたり、というか近づきすぎない

ようにしたり(それは仲良くしない、という意味ではない)

(そしてそれは意識的じゃなく、本能というか感覚でやっていると思う)

こちらから積極的に働きかけなかったりする(それも意識的じゃなく、本能、というか

感覚だ)消極的でもなく、普通に近所のおじさんに挨拶するようなときの

普段と同じ、行動。

そういう自分は人の助けになるようなことをすることには、向いていないのかもしれない

と思ったことがある。

もっと親身になった方がいい、とか、自分のことのように心配したり、世話をすることが

いいのだろうか?と考えたことがある。

でも今はなんとなく、それは相手にとって負担になるのかもしれない、

そして相手のためにならない、と、考えるようになった。

それより何より「あなたのためにやっている」という無意識は相手に伝わってしまう。

(患者さんは敏感だ)

それも理屈で思ったのではなく、実際仕事やボラで人を相手にして、

行動しているうちに、そう思うようになった。

自分が人に自分の中に侵入されることを苦手とするからかもしれない。

(逆に言うと、他の人の中に侵入することも苦手だ、というか好きではない)

それに誰かの話を聴く度に、自分の感情がかき乱されるのであれば

話しを聴く事なんてできない、

自分は自分、相手は相手という一人の人間×人間

それができて初めて、人のために何かできるのではないかと、思ったりする。

本当の思い遣りとか愛情って、温かくもあり、冷たいものでもある、

そんな気がする。

間違った愛情は時として人をだめにしてしまう。

人は(他)人から学ぶ、それがどんな他人であろうと。

どんな短い時間であろうと、ほんの少しの会話であろうと。

だから私は人の中にいることを、選んだ。

自分が成長するために。そしてそれを社会に還元していきたい(生きたい)、

私は一生修行だと、思うけど、自分のために生きることは

結果として誰かのために生きることになるということを信じて。

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チャンス?

今月は忙しかったので、一回もボラの予定を入れられなかった。

厳密に言うと入れてあったんだけど行けなくなったので

仕事を用事で1時間休みもらったときに病院によって、キャンセル&

来月の予定をもう入れてきてしまった(最近だんだん図々しくなりつつある)

ボラ室で張り紙を発見

50代男性の腕などをさすってくれる人を募集中

50代かぁ・・・・・・微妙だ・・・・・

おじいさんとか女性なら全然構わないんだけど、50代・・・

私がやってもいいのだろうか?

ってこういうことを気にしている時点で失格なのだろうか???

まぁでも今度往けるのが8月半ば過ぎだから、ムリなんだけど。

たまにこういう個人からの依頼が来るので、見逃さないようにしておかなきゃなぁ

そしてもうひとつ。

今年度から2年間、H市は緩和ケア普及のための地域プロジェクトの

研究対象地域なのだ

今は医療関係者が動いているけれど、普及すればボラが活躍できるチャンスも

できてくるかもしれない(あくまでも「かも」)

こちらもそのチャンスを静かに待ってみることにしよう

やっぱ、机上の勉強より経験!失敗もあるけどさ、理屈では人と向かい合えない

と私は思う。。。。

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めずらしい?!

今年は色んな役を掛け持ちしているので、ボラに行ける回数が月に1回くらいに

なってしまっている。しかも、今年はぴーの入院騒動があって、数ヶ月間は

休んでいたので、まだ数えるほどしか行ってないので

「もしかして、もう辞めちゃったって思われてるかなぁ?」と思って、久々に行ったら

そんなことはなかった(笑)よかったぁ

この前、久々に患者さんに話しかけられた。

50代男性と、付き添いの男性(同じく50代くらい・・・兄弟か?)

「普段は何をやってるの?(仕事)」

「いや、全然違う仕事です。医療関係じゃないです。」

「へぇ?どうしてやってるの?」

「えー(笑)好きだからです、こういうのが」

「へぇ?若いのにめずらしいねぇ」

別の女性(40代後半くらい)は

「よく来てるんですか?(ボラに)」

「いや、平日は仕事があるんで、用事のない土曜日だけ来てます」

「そうですよねー、お年寄りの人が多いですもんね」(再入院と思われる)

「そうですねー、若い人は数人しかいないですからね」

私の通う病院でも、基本的に退職後の方を募集しているし(いや、別に現役年代も

全然OKなんだけど)実際やっている人も圧倒的に60、70代が多い。

(多分若者?は私以外に一人しかいない←この若者♂がまた謎めいている・・)

まぁそう考えると、確かに珍しい存在なのかもしれないけど、

こーゆーどうでもいい雑談が楽しいから、今んとこあんまり行けないけど

地道に続けていこうか。

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聴き好き?

ぴーの付き添いをしていたとき、用があったので、エレベーターホールに向かい

携帯で話をしていた。

話が終わり、ふと横を見ると、いつの間にか車椅子のおじさん(いやおじいさん)が

ちゃっかり隣にいて、私に話しかけてきた。

「わし、犬を3匹飼っていて、散歩しててなぁ、転んでしまって骨が折れてな、

今日も『リハビ』行ってきたんだけどな、まぁ折れたときは痛かったで。

それがな、元旦に土手を・・・・・(延々と続く)」

私は時々「へぇー」「それでどうなったんですか」などとテキトーに相槌を打ちながら

きいてしまったもんだから、おじいさんの話は

「わしゃぁな、舞阪に住んでてな、猟師やっててな、船乗ったことあるか?

・・・・(延々と続く)」

「リハビ」(多分リハビリのことと思われる)の話から、突然魚を取っていた話に

なってしまい、どんどん内容が違う方向に・・

それでも何か気持ちよさそうに話すおじいさんを放って置けなくて(笑)

ぴーを少々放置して、おじいさんの延々繰り返される話を、

「へぇー」「そうなんですかぁ」と聴いていた。

それでもいつまでも時間があるわけじゃなかったので、話が一旦途切れた瞬間に

「じゃぁ子供が待ってますんで、また」

そういって切り上げてきてしまった。

おじいさん、ちょっぴり、いやかなり物足りなさそうに私を見たけど

多分ずっと話し続けそうだったんで(笑)

誰かの他愛無い話を聞く事が、すごく好きだ。

クラーク時代、話しかけてくれるおじさんやおばあさんの話を聞きたいんだけど

なんせ自分の仕事が山ほどあるので、ホントてきとーになってしまうときが多くて

いつも悪いなぁって思ってた。

でも気軽に話しかけてくれることがすごく嬉しくて、話を聞きたくて仕事していたような

感じだった。

昨日、病院から帰るとき、車椅子から解放された舞阪のおじいさんに遭遇した。

遠くからじぃーーーっとこちらを見ていたので(笑)

またホールにいると、あの話の続きを語りにくるかもしれない?(笑)

でも私も聞いてみたいかも(笑)

傾聴ボラってこんな感じで進むんだろうか?(やったことないんでよくわからないが・・)

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ボラは栄養剤?

毎週土曜日、多いときで月に3回ほど、総合病院の入院受付にて

ボラをやっている。

その日入院する患者さんは、まず入院受付を通り、必要な手続きを済ませてから

病棟に上がるんだけど、ここの病院、建て増しの建て増しの建て増しで(笑)

非常にわかりづらいということもあり、病棟まで案内(カルテとかフィルム等あれば

それも持って)するのが私の役目だ。

土曜日の入院は少なく、多くて12人くらい、少ないときには5人程度なので

患者さんを待たせるということはあまりなく

ボラも1人いれば充分だ。

時々、単純な作業(カルテ表紙折りとかメモ用紙作り等)を頼まれたり

行き場所がわからずうろうろしている患者さんの案内をしたり

日曜入院の患者さんの資料を病棟に届けたり・・・・と

こまこまとやることは結構たくさんある。

始めて1年くらいになるけれど、最近やっと病棟クラークさんの顔を覚えてきた。

(患者さんの引渡しはクラークさんにお願いすることが多いので)

(しかし、その方の顔とどこの病棟担当かは一致しないけれど)

ルーティンワークは大分慣れてきたんだけど、困るのは、やはり突然何か

私に聞いてくる患者さんだ。

やっと病院内の位置関係がわかってきたところなので、『ここへいくには?』の

案内ができる程度だけど、ここの病院、例えば放科は50番、総合案内は100番、

といった風に、主に番号で示しているので、その番号を覚えなくては

ならないけれど、なかなか覚えられず(汗)

その他の困ったことは全部職員さんにお願いするようにしている。

書類系とか間違ったことを教えてしまってはいけないと思って・・・

一度外来清算機付近の案内をやったとき、患者さんにどこまでボラが手(口)をだして

いいのか困ったときがある。

でも多分だけど、専門的なことは望んでいない、私が職員だった頃、ボラさんには

大変お世話になったけれど、それは自分が忙しくて細かい所、たとえば

おばあちゃん1人で外来にきて、検査まわりをすることになったとき、一緒について

まわってあげたり、とか、歩くのがしんどそうだから車椅子を用意したいけど

とりに行っている余裕がない、とか、開業医の検査結果を大至急コピーしてとDrに

言われたけど、大混雑している受付を放置してコピーには行っておれん!とかいうとき

ボラさんは大活躍してくれた。無理なお願いを何度しただろうか・・・

なので、私もさり気なく、でもかゆい所に手が届くボラさんになれたらいいなぁと

思ったりする。

患者さんにはいろんな人がもちろんいて、せいぜい5分程度の接触にも係わらず

色んな空気を感じる。でもたった5分だけど、その5分はバカにはできない時間だと

私は思う。

あと、ボラをやっていると、いつもと違う組織(仕事として)に触れられるというのは

とても大きな刺激になる。

特に私の今の職場は独特なところだし、普段一般人との接点は何も無い。

でも病院にいると、多くの一般の人に触れられたり、全く違う組織の中に加わることで

大きな刺激も得られるし、たくさん教えてもらえることがある。

普段一杯一杯で生活しているので(笑)休日くらいはだらーーーんと過ごしたいという

思いもあるけれど、ボラは私にとっては栄養剤みたいなものか?

本当は今日は、今月唯一のボラ日だったものの、子供会行事とかぶってしまい・・

泣く泣くボラを休むことに(--,)ぐすん

単位認定試験が終わったら、また行けばいいか

なんでもぼちぼちとやっていきましょう。

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傾聴ボランティア

今私は、総合病院(最初の勤務先)で、ボランティアをやっている。

内容は、当日入院する患者さん(とその家族)を入院受付から病棟まで

案内する、というもの。

ここの病院のボラは、他に、外来清算機付近での案内、院内図書館の運営、

レントゲン運搬、広報誌の発送、などがある。

私は直接人に接する部署をやりたかったので入院受付をすることにした。

本当は同じ系列の病院のホスピスボラをやりたかったけれど

そこの病院では平日昼間に行われる説明会の参加と

週1以上4時間程度活動ができる人という制限(?)付きのため

今の私には時間的に無理があると思い、そこは(今は)やめたのだ。

でも、本当の本当は、最終的には在宅緩和ケアのボラ(傾聴ボラ)を

やりたいと考えている(今のところ)。

自分があと僅かの命だと知ったとき、どこで過ごしたいだろう?

私だったら・・・やはり共に暮らしてきたパートナーと共に

(私には現在そのような人はいないけど・・笑)

住み慣れた家(これもまだ無いけど・・・笑)で、何も変わらない環境の中、

変わらない毎日を送りたい、と思う。

そう考える人は多分私だけでは、無いだろう。(実際そのような統計もあるようだ)

でも、まだそれが可能な状況が整っていない。

私の住む街では、在宅緩和ケアを行っている医院は本当に少なく、

ボラにおいては調べた限り活動していない(活動がない)

ではどうしてそのような活動をしてみたい、と思うようになったのか?

それは以前の仕事の影響だろう。

私は総合病院の外来クラークをしていた。

そこで本当にたくさんの患者さんが私に色々な話をしてくれた。

他愛ない日常のことから、実は悩んでいる・・という苦しさをそっと吐き出したり、

中にはあたる人もいた。

でもどうして私にぼやいてきたのだろうか

ずっとわからなかった。

でも後になって、多分私は「ただの人(に近い存在)」だったからなんだろうか、と

思うようになった。医療側の人間(Dr,Ns)とは少し違う存在、彼らには話せないような

こととか、話すようなことではないことを話す場所、

ガス抜きをする場所、というのは患者さんに限らず、誰にもあるような気もする。

今年は都内に出かける機会が何度かあって、その度に地元には無い、

大きな書店に立ち寄った。そのとき偶然発見したのが

Kotodama2_2

『命のことだま』岩崎瑞枝 著

ファイナルステージを考える会(がん患者と家族を支援するボラ団体)の代表である

著者が、実際の活動の中で起こったこと、感じたことが、淡々と、でも柔らかく

書かれている。この本を最初ささっと目を通したとき、同じコトを考えてた人が

いたんだ!とすごく嬉しく、またびっくりした。

この中に

『自分の今の不安や悲しみ、これからどうなるのか、遺していく家族へのメッセージを

聴いてくれる人がいない。家族に話すには辛すぎることがあるのよ』

と話した方がいたということが書かれている。

近い人じゃないから、冷静に語ることができ、また自分の中でまとめられることが

あるのかもしれない、と思う。

私はいつかここで傾聴とハウトケア(ここで開発された、

オリジナルの手足マッサージ)の修行に行きたいと考えている。

そしてその技術を地元で生かしたい、でもそんな大きなこと、できるのだろうか

わからない。

何もないところから作ることができるのだろうか?

わからない。

自分に誰かの想いを受け止められる度量が備わっているのだろうか?

・・・わからない。

でも、自分がそうしたいと思ったのだから、無ければ作るしかない。

そしてやってみるのだ、失敗もあると思うけど、

それを繰り返して少しずつ作り上げてゆく。

話が長くなってしまったけれど、このカテゴリー内では、そういう道のりで

時々ぼやきながら、悩みながら、思ったままを文字にすることで

また新たな発見をしたり、考えをまとめられたらいいなと考えています。

なんせ、私にとってブログとは・・・カウンセリングのような場所だから(笑)

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ボラ日記①

今年最後のボラ日

朝の待合は空いていて、久々にカルテ表紙折りの作業をしていると

続々と大きなカバンを持った人たちがやってきたので

皆入院か?と思ったらやっぱりそうで

1人送って帰って来ると既に次の人が待ち状態で

カルテ表紙を折る間も無く、あっという間に今日の予定人数が終わってしまった。

今日は外科入院が多かったなぁ

最近気になるのは、自分と同年代の女性が多いことだ。

私は健康にはすごく自信があると思ってきたけれど、いつまでも自分の思うように

身体が動いてくれるかどうかはわからない。

入院受付の表に出てくる人は3人いるけれど

今年中に名前を覚えることが出来なかった(笑)

名札をつけているけれど、なかなか凝視するときがなくて。

向こうはいつの間にか、私の名前を覚えてくれて、苗字で呼んでくれるようになったことは

とても嬉しいことだった。

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