雑感

独り言(グチっっ)

勝間和代の3毒追放の中に『愚痴を言わない』っていうのがあるんだよね

あの「3毒」は非常によくわかる

私の母は、私が子どもの頃から私に愚痴を常に垂れ流し(今でもそうだしsweat02

多分周りにも吐きまくって、嫌がっている人もいるのだろうけど

あのネガティブな感情(そしてそれは決して解決しない、愚痴として言っている限り)

をぐちぐちと横で言われ続けるあの苦痛は、多分同じような目に合っている人ならば

わかるのではないか?と思う

しかし

人はいやーーな気持ちにならないことなんて、無い(多分)

そのいやーーな気持ちが発生したときに、その発生した負の感情を

自分の中にずっと、そしてたくさん蓄えたままだと、しんどい、っていうのも

わかる

今の自分がそうだしcoldsweats01

矛盾しているといえばしているのかもしれないけど、

時として、出すということは、必要なんじゃないかって思う。

自分の場合で考えると、自分の力ではどうにもならないコトに対して

悶々とすることが多い(特に元だんなの言動に対して。ホントに腹がたつっdash

再婚してるんだけど、その現在の家に子どもを泊めようとするし。

ありえんっつーーーーのdash

運よく行く前にその事実が発覚したので、場所を変えてもらったけど

子ども達に対しても今の奥さんに対しても失礼じゃないのかっ?

奥さんの立場も考えないのかっ?

責任感無さ過ぎ。無責任極まりないっdash

都合のいいときだけ親の顔するしdash

それでも、私とは永遠に無関係であったとしても、子どもの親である、という

事実だけは変わらない(変えられない)

上手く付き合っていかなきゃいけないのよねぇ・・・

あーーー何か書いたらちょっとすっきりした

まだまだもっと腹たつ話がてんこ盛りにあるんだけど、もういいやぁ

これを読んだ人は決して気持ちがよくなる文章じゃないってわかってるけど

こういうときも必要だって、思うんだよね

いっつもえらそーに、ここに書いてるから

「ふらわーさんって愚痴も言わずいつも一生懸命ですごい」なんて

思われたらヤだし(笑)

(↑というか、最初から誰もそう思ってないと思うcoldsweats01

愚痴もたれちゃうときもあるし、だらぁ~~ってしてるときも

あるし(いつも一生懸命って疲れない?)

まぁそーいうことで、人生って上手くいくことばっかじゃないよねぇ

でもいい人生を自分で作りたいっっpunch

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何のため?

ぴーが学校に張り出されていた、公民館まつりのボラの応募をしたらしい。

ぴーはこのテの催しは小学校のときから興味があるようで

(私が「参加しなさい」といった覚えは全く無い)

少年の船や、社協のボラ、県・市で募集のキャンプに参加したりというのも

自分でチラシをみて「これ行く」と決めているらしい。

社会参加はとても良いことだと思うので、

「そう?行ってきな」ってそれだけ言う(笑)

しかし、今回のボラは

「先生に1年生は参加できるかわからない、って言われた」って言うもんで

「どうして?」と聞くと

「3年生優先だって」

この「3年優先」というのは、H市(いや、S県かな?)では、入試に関して

内申書というのが重視される傾向にあり(私が中学生のときほどではないようだが)

その中に「諸活動の記録」というのものがあり、校内外問わず、参加した

色んな活動について、記載される。

そう・・・受検のためにボラに参加するのだ

私はこれがどーーーしても納得できないっっ(-_-X)

もちろん、理由がどうであれ「社会参加」することは大事なこと、かもしれないけれど

書いてもらいたいだけの為にボラするのかぁ・・・

ボラってそういうもん?

しかも、ホントの意味でボラしたいと思うぴーや、他の3年以外の学年の人は

それで納得いくのかなぁ、って思う

あ。別に、ぴーが私の子どもだから、ボラに外れるのが許せないっ!って

思ってるのではないです。

形だけやったボラが内申書に記載されて、一体何になるのか?って

思うわけです。。。。

そんな記載欄はやめて欲しい

っていうか、継続的とか単発でも長期に渡って活動してきた子どもだけ

載せるような形に変えて欲しい

意味ないじゃん?やりゃぁいい、っていう形が許せんっっ

それに「部活で忙しかった」って

それって単に言い訳じゃないか?????(←厳しい?)

部活で忙しくて出来なかった、のではなくて

もともとやる気がなかった、の方が正しいんじゃないかい?(←厳しい?)

ホントにやりたい人は、部活が忙しくても、空いた時間に

ほんの少しでもやるものだと、私は思うのだが・・・

ボラをやっている大人から見ると(いや、個人的に見ると、の方がいいか)

そのような理由でボラに係わって欲しくない、とういのが正直な気持ちだよーーー

って、激怒してしまったけど(笑)

まぁ見る人は、わかるのかもしれないよね

本当と形だけの違いが。。

私個人の考えとしては、勉強だけとか、部活だけとか、偏るのじゃなくて

どれもバランスよく、経験して、失敗もして、自分で考える、っていうのが

大切じゃないかって思って

子ども時代の頭の柔らかさには、大人になった自分は戻れない・・・

どうしても固定観念に邪魔されることが多い

柔軟な時代に色々な人間や場面に遭遇することは

大人になってから(社会に出てから)すごく役立つような気がして、

それをぴーに言葉で話したことはないけど(無意識にあるのか???)

勉強やり(?)部活やり、塾行き、ボーイスカウトやり、ボラやり

もちろん遊ぶこともわすれない

どれも途中半端とも思えない、それをやっているときはそれに一生懸命、

そんな感じがする。

私は桑田が昔からすごく好きで、高校生のときは追っかけまでやってたんだけど

(追っかけは恥ずかしいな・・・・)

その桑田の(呼び捨ても失礼かな・・・)ブログも好きで

そこに時々書かれている

『バランス』だと。

言っている意味がとてもよくわかる。

子どもだけじゃなく、大人にも当てはまるような気がする。

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再出発するために必要なこと。

先日書いた↓「さぁ出発しよう」を読んでみると、

もしかすると相手のみに非があったように取れてしまう気もするけど

あそこに書いたことは全て自分にも当てはまると思うのです。

自分も真の意味で自立しているのか?

大いに疑問です・・・(自分でわかることじゃないのかもしれないけど)

自分で自分の面倒(精神的にも金銭的にもその他もろもろも)を見るというのは

基本だと思う、

でも1人より誰かそばにいてくれる人がいれば、助け合って、補いあって

生きていける。

そのバランスが悪い人は、寄りかかりすぎて、、、

これが自分でわからないというのが

困ったモンなんだけど・・・・以前の自分だって寄りかかりすぎて相手の

負担になっていたわけだから・・・冷静に見つめると、以前の自分って怖いです・・・sweat02

今はもしかすると寄りかからなすぎになっているのかもしれない・・

(これも客観的に見るのが難しい、そもそも理屈で行うことじゃないと思うし。。)

ずっと前に、ブログで親しくしていたyサンという人がいて

以前付き合っていた彼と辛い思い出があり、でもそれを乗り越え

すてきな彼と結婚したのですが

その彼女が私に向けてかけてくれた言葉が今でも忘れられないのです。

「幸せは棘の先にしかないような気がする。やっと手に入れた幸せを

大切に出来る人にしか幸せはやってこないような気がする」

彼女の背景を知っているので、この言葉が自分のことばとしてでてくることに

大いに納得できると同時に、深く心の奥に突き刺さって、

それは今もそのままだったりする。

でも、でも。

自分で自分を大切に、自分で自分を幸せに出来ない人は

周りの誰も幸せになれない(幸せを感じない、といったほうが適切か・・・

くどいようだけど誰かに幸せにしてもらうというものじゃないと思うから)

私は自分で自分を大切にしているのか?

「している!」とはっきり自信を持って答えられない。

と言って、大切にしていない、とも思わないけど、まだ昔の自分に引き戻されそうに

なるときがあるのかもしれない。

よく言われるけど、親との関係を清算できてないと

男女間の関係は上手くいかない(上手くいかなくなる)というのは

本当だと思う。

長年閉じ込めてきた自分の思いを、しっかり浄化しないと

また同じことの繰り返しになってしまう(それは彼も同じことだと思う)

何十年も積み重なってきた負の気持ちを浄化するのには

ものすごいエネルギーが必要だと思う。

でもこれを機会にもう一度しっかり見つめなおした方がいいような気がする。。。。

それと同時に、『1人』でも生きていける(決して子どもにも寄りかからない)

という強い生き方(と同時に弱い気持ちが生まれる自分をそっくり受け入れて。

だって、やっぱいざ1人になると淋しい気持ちが生じてしまう)

ができて、本当に誰かと一緒に生きていける、

そんな気がする。

私がそれを身につけることができたとして、そこから何年生きられるだろう?(笑)

でもそうだって構わない。

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さぁ出発しよう

以前、4年ほど付き合ってきた彼と距離を置いている、という文章を書いたけれど

その彼に別れのメールを送った。

思い起こせば、離婚したのが約6年前で、でもその時はまだ人に依存したいという

気持ちがあり、それで色々流されていた時期もあって(yahooブログ時代を知っている

方はお分かりだと思いますが・・)そんな時出会ったのがその彼で。

言い換えれば、自分がまだあらゆるものに翻弄されている時期で

だんだん自分が落ち着きを得たり、ACであるという事実や、親との関係

(親の共依存、精神的支配、等)を冷静に見つめることができたのも

ある意味その彼のおかげだったと思う。

今回のことで、真の意味での自立がなされていない人は、自分も周りの人も

幸せに出来ない、いや、幸せになれない、ということがわかった気がする。

(幸せって誰かにしてもらうものじゃないと思うけど・・)

yahooをやめて、ここに引っ越してきた頃から、実は違和感を覚えていた、

距離を置いて考えてみたかった。

でも情というか・・・・・、

その情が結局その人を本当にダメにしてしまう、

そういうことも学ばせてもらった。

私はこの40年間ずっと一人になることが怖かったのだと思う。

人は一人では生きてはいけない、これは本当だと思う、

でもそれが例えば「夫」とか「妻」とかそういう「近い」人

「でなければならない」とは少し違うような気がする。

「子どもがいるから」とかというのも、違う。

子どもがいるからこれからも生きていける、確かにそうだといえばそうなんだけど

子どもが全てというわけでもなく

仕事が全てというわけでもなく

やりたいこと(大学生活とか、ボラとか)というわけでもなく

そういう全てをひっくるめて自分が構成されている、ということだ。

この先もずっと独身のままかもしれないし、彼氏もいない生活がずっと続くかもしれないし

逆に、ある日「この人!」って感じる人が現れるかもしれないし

それは、意識して見つけようとは思ってなくて

そういう人が現れてそういう気持ちになったらそうなってもいいかな?

ぐらいの程度です。

yahooブログをやっている頃と大きな違いがあることを実感している。

いつからそう感じるようになったのだろうか?

よくわからない。

でも、思うのは、本当の意味で1人で生きていけない人は多分誰と一緒でも

生きていけない、

不健全な家族に囲まれれ暮らした実感ってのもあるけど

今回、本当の意味で確認できた気がする。

あ。彼のことが嫌いになったというわけではありません。

彼が望むなら友達としての付き合いはOKなのですが、向こうがいやって

言いそう・・・

「誰かと一緒じゃないと(結婚しないと)」って思わないのは

金銭的に自分でやっていけるという部分はかなり大きいと思います。

この先誰かと出会ったとして、その人に自分の分も稼いでくれなんて

死んでも思わない、この先、そういう考えでは生きていけないような気がします。

(ちょっと厳しい言い方かもしれないけど。終身雇用も崩れてるし)

そういう意味では、自分も「クビにならない」ということは絶対無い、とは

思っていないです、この先制度がどうかわるかなんてわからないし。

でもどっぷり浸かってると、「自分は絶対大丈夫」って思っちゃうんだよね・・

(周りを見てると)それってすごく怖い。

・・・話がいつもの通り思いっきりそれてますが

また新たな一歩を進んで行きたいと思いますので、これからもどうぞよろしくwink

今日はこれからツ〇ヤに行って、一本DVDを借りてこようと思ってます。

法学(家族法)の授業で紹介されていた映画が非常に気になってるので。

また感想等載せてみようと思います。

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やさしさとおせっかいの狭間

先日の面接授業は、単にHIVを病気という面から捉えるのみでなく、

自分のありかた、ものの見方、人生観、死生観まで広がって行くもので

私は久々に頭がパンパンになってしまった(いい意味で)

「想像力」というキーワードがあったけれど、この「想像力」をつけたり、働かせたり

するのは簡単じゃないと感じる。

(個人的考えだけど)意識して、とにかく経験を積み、失敗も繰り返し、自分も色々な

体験をしていくことによって、使うことができるようになって行く、

逆に言うと、単に「想像力を働かせてみよう」と思うだけでは想像力はつかない。

ということになるような気がする。

自分は、患者の家族として医療(者)と係わるとともに、ボラとして患者に係わったり

以前は直接職員として係わっていて思うことは

単に技術とか、理論だけでは、人×人の、本当の意味での信頼関係は

作れない、もうある意味での『向き不向き』みたいなもんが実際にはあるのでは

ないだろうか?と。

「この人は大丈夫」っていう「雰囲気」とか「ニオイ」って、本能、って本当だと思う。

これを理論で説明しろと言われても、難しすぎる。

だって「ニオイ」を説明して、って、例えば今ここにアロマオイルがあるけど

「レモン」みたいな、誰も知っているようなものなら、「さわやかなすっぱいニオイ」とか

言えるけど(それでもそれが正しく伝わるかはわからない)、「ベルガモット」の

説明を言葉で・・・って言われても、どうやって言えばいいのか、わからない。

アロマオイルも色々な種類があって、私は柑橘系が好みなんだけど

人それぞれ好きな香りがあって、

多分、それと似てるような気がする、「信頼」の「ニオイ」とか「本能」って。

なぜか感じる安心感・・・

人×人の相性って、だから、人によって違うわけで

でも、ちょっとこれも話に出ていたけれど、「自分の思うこれがいい」は

「誰かの思うこれがいい」とは、一致しない、

本当に当たり前のことなんだけど、それを勧められると本当にうんざりする。

そう、『自分主導』でいいのだと思う、(こう思うようになるまで時間がかかったけど)

「全員に理解してもらう」というのは多分ムリ。

「わかる人はわかる」というスタンスでいいのだと、それって、病気とかに限らず

普段の仕事の進め方もそうかもしれない。主任さんの言う「見てる人は見てる」に

繋がるのかもしれない。

以前書いたけれど、どうして患者さんが自分に色々ぼやいていくのか、

当時は「たまたまそこにいて、言いやすかっただけ」だと思っていたけど

ぼやきはある意味本音、自分が誰にでもぼやけれるかというと、違うな、と

講義を受けて思って、

そっか、他愛無い挨拶や日常会話の中で、もしかしたら信頼関係を作れていた

のかもしれない?自分はそんなこと意識したことなかったけど

それこそ何かそういう「ニオイ」を発していたのかもしれない。

そう思うと、なんだかすごく嬉しい気持ちになる。

「日常の普通の会話」が出来ることの大切さ、することによって発生するものへの

大切さ、そういうのを、講義で再確認できたような気がする。

もうひとつ、気になったのが「言葉の使い方」

これは私自身に対することで、ずっと人間を相手にしていると、言い回しで失敗したり

逆に使われてイヤだったこととかが、日常に常にあり

そうやって勉強していたと思う、

でも今みたく、外との接点が無い部署(決まりきった、しかも少ない人間関係)にいると

気をあまり使わなくていい、という利点(?)もあるんだけど、

いざ不特定多数の中で話す場面がきたりとか、初対面の人と話すときとか

何かぎこちなくなっちゃうんだよね、

必要以上に考えて発してしまう、(それが返って相手に気を使わせてしまう可能性もある)

というか。

言葉の発し方がずいぶん退化してしまった感じがして、ちょっと危機感も感じた。

そして今のボラは、やっぱり物足りない感があって、しかも職員の「お手伝いさん」的

という位置が明確な感じで、もう少し自発的に何かをすることを許されるような所

(部門)に係わりたいと、強く感じるようになった。

最初からわかっていたけれど、誤魔化し誤魔化しやってきた、

でもやっぱり違う。

「スタートするきっかけは自分でつくるしかない」

心の奥にじーーーんときた。

ことばとその人の間に隙間が無い

自分が信頼できると感じる人は、そういう人。

「理解した」と思っていてもそれは理解した「つもり」の場合が多い

(自分もそうかもしれない)

それが「やさしさ」と「おせっかい」の差になっていくのかもしれない。

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ブログの利用

ブログの使い方は人それぞれだと、ずっと前に書いた(ヤフーの頃だと思う)

私は、始めた時から、ありのままのこと、思ったことをそのまま、書いてきた

(なので文章としては読みづらいものが多いかもしれない)

ある意味、本当の自分。(ある意味、リアル生活の自分とはちょっと違った自分。)

なので、ヤフーの頃は、いくら自分のところに来て、コメントをいくつか

残してくれたとしても、その人の書く文章から受ける人柄とか、書いている内容とか、が

ちょっと違うな、と思ったら、付き合わない、なのでヤフーブログの

「友達の友達は友達」

みたいな付き合いが、うざったい(これは方言か?)と思って、こっちに越してきた、

という話は前に書いたっけ

(友達の友達が友達になる場合がある、ということは否定できないけどね)

文章を書いて、それを読んだ人が「この文章を書いた人は、こーゆー人なんだなぁ」と

判断するわけだけど、それは書き手によるものではなく、読み手の受け取り方によるもの

である、というのは、なにかの授業で受けた気がする

(コミュニケーション論か?)

(逆に言うと、私もそうやって見られているということもあるだろうし

誰かの文章を読んで受ける印象というのは、勝手な私の思い込みとか

印象付けの可能性はあると思う。)

以前私のブログを読んだ人に

「いかにも心配してって感じでいい印象ではない」と言われたことがあるけど

自分としては、心配されるのがまず好きじゃない(心配されるのがいやというのとは違う)

ので、「みんな心配して~~」と思って書いたつもりは100%無い。

(でも、もしかしたら無意識レベルではあるのかもしれない。それは私にはわからない)

女性に多いけど、辛さを共感して欲しいだけのために大したことのないことに

対して辛いふりをする、という人が、私は得意ではない。

ただこの人は淋しいんだろうなぁ、とは思う、自分にも淋しさはあるから

別の形で表現しているだけなのかもしれない、そう思うと

その気持ちもわからなくは無い。

ただ、文章というのは、一方通行なので、かなり読み手の受け取り方に

左右されてしまう。(しつこいようだけど、多分コミュニケーション論)

しかし、これを利用して(利用、っていうと、なんだかいやらしい感じがするけど・・・

いやらしいのかもしれない)

その人の考え方(ある意味、生き方)を垣間見ることは出来ると思っているので

あえて何度か利用したことがある。(ここに来てからは無い)

記事に専業主婦のことを書いたときと

誰かの書いた記事のコメントに敢えて反対意見を書く、ということだ。

(本当にいやらしいかもしれないが・・・・)

記事は、別になんでもよかった、でも専業主婦のことについては、意見が

はっきり分かれることが多いから、書いてみた。

コメントも、そう、ブログは基本「共感が基本」だ、と思う、

なので安心はあるけど、発展はないのが基本だ、と思っている。

これも前書いたけど、共感だけの世界にいると進歩がないし、違う世界に触れることも

ない(知らずに終わる)

それを求める人はそれでいいと思うし

でも私はそれを求めていないので、冷静に共感も、いやそれはそう思わない、という

考えも知りたいのだ(これも前書いた)

なので、時々この方法で試してみる。

絶対自分の意見が正しい人(とにかく押し通す)、

黙る人

相手の(私の)意見を認めつつ、自分は違うとはっきり言う人

相手の(私の)意見を認めつつ、言うけどやんわり言う人

自分自身も色々勉強させてもらった。

これも前書いたけど、その人のブログ記事より、コメントに対しての返事や

誰かのブログ内記事へのコメント、の方が、その人の素が分かる気がする

(というのも前書いた)

私は、文章はごまかせると思っている、

でも、発する言葉はごまかせない、

コメントやお返事は「ことば」に近い、と感じている。

それは、緊張感の違いではないかと思っている。(自分のブログに書く記事は

ある程度緊張感がある、量は人によるだろうけど。でも誰かのブログとか

自分の記事に寄せられたコメントに対するお返事には、それより緊張感は

少ないのではないだろうか??これも人によるだろうけど)

言葉を大切に出来ない人は、誰も何も大切にできない

そんな感じがする、

HPを開設したときに言葉の大切さについて書いたことがあったけれど

あれから10年近く経って、少しは進歩してるのだろうか?(←自分が。)

言葉ってその人そのものを表すものだろうから

自分が自分に対して使って嬉しい言葉を、まず自分にかけてあげると

もっと変われるような気がする、

そうだ、筋肉と一緒(笑)

筋肉を動かすときはそこを使ってるぞーーーって意識して行うと

効果が違うっていうのと同じで

自分を自分で優しくするぞーーーって意識して行うと

きっと効果が違う・・・・かな?(人体実験開始punch

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続  誰かの幸せを願う気持ち

誰かのために、何かをしてあげたい、と思う、

その気持ちはとっても大切なものだと思う。

でも、その「何か」をしてしまうことによって、結果その人のためにはならず

かえってダメにしてしまうことは、あると思う。

昔はその判断が上手く出来なかったように思う、

と言って、今ちゃんとできているのか?と考えると、よくわからない。

ただ、本当は自分で何とかできることであっただろうことについては

絶対手を貸さないようにしている。

先のことを考えないで生きていいのは、学生時代までで、

歳をとればとるほど、現実から目を逸らさないで生きていかざるを得ないのが

大人になること(の1つ)じゃないのだろうか

(たまの現実逃避は構わないと思うけど)

前の私は、現実を見ることが出来なかった

(今も全部見れているのか、よくわからないけれど)

リンカーンのことばにこんなものがある(らしい)

自分自身でやれること、
やらなければならないことを、
彼らの代わりにやってやる事で、
その人を永久に助けることはできない

今考えてみると

ひとつ前と、もうひとつ前の彼は、私よりずっとずっと大人だったのだと思う

どうして離れていったのか、何となくわかってきた気がする

自分の足で立てない人は、相手もダメにしてしまう

立てるように、手助けをすることは、『本当の助ける』ではなく

見せ掛けの偽者の愛、ただの甘やかし、なのだ、

その人のためではなく、自分のために、自分がその方が実は都合がよくて

(無意識に)行っている、

それは、本当の愛、本当の思い遣り、とは、違うのではないだろうか

私は自分の足で立てるようになったのだろうか?

人は思ってるほど簡単に変われるものじゃない、

でも、もし、あれから何年も経った自分を見てもらえたとしたら、

彼らは何て言うだろうか?

もっと成長して、本当の意味でちゃんと自立して

いい女になって、いい人(男女問わず)に出会って

よりよい人生を送りたいと心から願う、のと同時に

今まで関わった人たちも、よりよい幸せな日々を送って欲しいと心から願う

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10年先

年齢が40になり、10年前のことを思い出してみた。

私が再び外に働きに出るようになったのが29の時、

将来正規職員として働くには35が限界(一旦職場を離れてしまい、再び復活するには)

と思っていたからだ。

本当はブランクがあっても、関係なく働ければいいんだけど、

実際の世の中はそんなに甘くないとわかっていたからだ。

なので、とりあえずどんな形でも外に出ないと、あとで働きたくても働けないと思い、

最初は数時間パートで働きつつ、密かにいつか・・・と狙っていた(言い方がいやらしい

感じだけど、実際そうなのだ)

そこからフルタイムパート、そして今の職場にたどり着いた、

思っていたことが気が付けば達成されていた。

なので、区切りのよい今年、また10年先を考えてみようと思った。

そんな時ちょうどフランクリンの手帳と出会い、「目標設定」の欄に

書き込んでみた。さっき久々にそのページを開いてみたら

「む・・・こんなことを書いたんだ」(書いたことをすっかり忘れている・・)

しかも7つも書いてある(貪欲すぎ・・・?)

大昔の自分なら「まぁどーせムリだし」とかなんとか思っただろうけど

今は全然思わない(なんて図々しい)

ぜーーーーったい達成してみせるっっ

(そのための努力だけは惜しまない・・・つもり)

実はこつこつと積む努力の大切さは、はかせから教えてもらったのだ

はかせは小6まで、発達学級にいたので、いわゆる「勉強」というものを

殆どやっていなかった(なので小6~かなり大変だった、特に算数)

でも公文や学校の宿題など、別に特別とは思えない普通のことを

こつこつこつこつ・・・・・続けてきたおかげか、中1の最初のテストでビリから

数番目だったのが、今では下から40番目くらいを維持できるようになった!

(全部で120人ほど)

逆にいえば、普段自分に甘くしてしまった子が、はかせより下になったのだと

思う(しつこく言うけど、はかせは、普段たくさん勉強はしていない、毎日少しずつ)

体力(筋肉)も同じ、急に結果はでない(お兄さん曰く、私の場合は過去の貯金が

大きかったらしいが)

そこで止めてしまったら、結果は出ないまま。

なので、また10年間こつこつと地味を続けて、10年後どれだけ達成出来ているか・・・

気の長い楽しみだなぁcoldsweats01

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蒸し暑い日々、考える。

今年度に入った頃から、実は(って別に大げさに書くようなことでもないんだけど)

数年付き合ってきた彼と少し距離をおいている。

理由を書くと超長いので書かないけど、別に嫌いになったとか

そーいうわけではない。

私は(多分だけど)、男の人を甘やかす(→悪い意味で言うと)

甘えさせてあげる(→いい意味で言うと)

なんだろうなぁと思うけど、

これがいい方向に作用する人と、悪い方向に作用する人がいて

今の彼は間違いなく悪い方向に作用する人間だとわかったからだ。

甘えさせてくれる(甘やかしてくれる)人がそばにいると、(無意識に)その人を

あてにして生きるずるさ(→悪い意味で言うと。いい意味で言うとちゃっかりさ、といった

ところだろうか?)

が発生している感じが、いつからかするようになってきたので、

会話のところどころにそういう言葉を、意識して挟んできて、伝えてきた。

人間としてはとてもおもしろい人だと思っている。

でも本当にこれからずっと一緒に生きて行く人だろうか?と考えると

よくわからなくなってきた。

考え方、価値の置き方、置く場所、そういうものが違うことも結構あるんだけど

お互いの成長のためには、価値観とかは全く同じではない方がいい、ということは

わかる(男女関係なく、友人でも自分と違う意見を持っている人の方が、勉強になるのは

確か)

そう、、、、友人としてはとても勉強になることが多いんだけど

実生活を営むパートナーとしては、実際どうなんだろう。

自分の面倒を見れない人とは、いくら人間的におもしろくても

それ以前の問題だ、と、思ってしまう。

自分の面倒、とは、金銭的もそうだし、精神的でもそうだと思う。

人のことを言っておいて、自分はどうなのか?

ただ言えるのは、人の話や意見は素直に聞ける(時には受け入れる)度量を

持っていたい。

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王道なし

相変わらず、ふらわー家の家員(なんてことばはないんだろーけど)は

それぞれ忙しい いや慌しい、いや充実した日々を送っている、よーだ。

はかせは一応受験生なので夜遅くまで起きていたり、朝早く起きて勉強(宿題?)を

したりしている。(でも世間一般の受験生よりはきっとかなりのんびりしてるだろう)

ぴーは、部活がますますハードになり、毎日5000m程を2時間半程度かけて泳ぎ、

(2,3年はもっと泳いでいる)

ご飯をがっつり食べた後、週4(or週5)塾に通い、帰宅後は即就寝

(宿題は学校でやっているらしい)

私は、帰宅したら速攻夕飯を大量に作り、ぴーが帰宅したところですぐ食べ、

塾に送り出した後ジムに通い、1~2時間運動をして、放大の1教科の1章分の

教科書を読み、寝る。

朝も、もう1回同じ所を読んで、朝ごはん作って仕事に行き・・・

ぴー曰く「ゲームやる時間が無くなった」

確かにまるで無い(笑)多分テレビも減っている。

水泳部は、入部してすぐハードの頂点に達してしまったので

最初は「疲れたぁ・・・・・」と夕飯も食べずに寝てしまうことがあったけど

ちょっとずつ慣れてきているみたいで、泳げる距離も、体力もちょっとずつ

UPしている感じがする。(本人はあまり感じてないみたいだけど。)

身体つきも、この2ヶ月でずいぶん変わってきた。いわゆる「いい身体」(?!)

日焼けも程よく(笑)

毎日の積み重ねは本当にすごいなぁと、感じる。

私もトレーニングマシーンを、少しでも毎回行うようにしているけれど

最初は5キロがやっとだった部位もあるけど、今は5倍以上負荷をかけても

苦にならないようになってきた。

走るのも、今年初めは5分で息切れしてたけどsweat02、ちょっとずつだけど長い距離を

走ることができるようになってきたなぁってわかる。

上半身は自分でも引き締まってきた感じがわかる(先日主任さんにも指摘されたscissors

ダイエットも色々な方法があるけど、やっぱ王道なんて無いんだなぁ

地道にトレーニング(と食事)を積むしかない気がする。

勉強も同じで、色んな人が色んな方法を紹介しているけど、とにかく地道に

読み書き解く、読み書き解く、これしかないよーな気がする。

特に英語なんて、聞いて聞いて聞いて読む読む読む

これしかないよーな気がする。

ダイエットも勉強も結果なんてすぐにでないから、いやになるけど

すぐに簡単に手に入れた結果なんてきっとあっという間に無くなる、よーな気がする。

(一夜漬けの勉強も、急に食べないだけのダイエットも。どっちもやったことあるけどsweat02

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フマジメ

前学期「身体福祉論」という授業をとった。

この授業、とてもおもしろく、興味深い内容を扱っていた。

これからの福祉とは、単に弱い人を保護するものだけではなく、弱い人を強い人に

したり、強い人を強く維持できるようにするのもそうである、

という考え方の元に、色々なスポーツの紹介や、その効果の科学的説明、などが

なされている。

私は自分ではまだまだこれからよっっ!って思っているものの

実際の衰え(身体も頭も)は感じずにはいられない。

だからこれが更に年齢が進んだときのことを考えると、本当にやばい・・と思うのだ。

なので、自分で意識して行動していかないと、衰える一方だ。

「もうこれは仕方ない」と言ってしまったその瞬間から、ダメになっていくような気がする。

私の周りにも「腰が痛い」「肩がこる」「体力がない」「すぐ疲れる」など

すぐ言う人がいるんだけど(笑)

だったら、まず自分でできることを探してやってみりゃいいじゃん、って思うんだけど

そういう人に限って、「自分は既に最善を尽くしている」「これはもう年齢的な

ものだから仕方ない」と反論(?)してくるのだ。

「仕方ない」って言っちゃったら、もうそれ以上どうしようもない、って

私は思うんだけどなーーー

いや、「仕方ない」ことは確かに存在する、と思う。

何もしないことがいい事である、という場合もある、と思う。

でも、それは本当に「最善」なのか?

違う方向からアプローチしたら、違う結果が得られるかもしれない。

それをやってダメだったら、仕方ないと思うんだけどな???

同じ考え方の人だけと一緒にいると(職場もそうなんだけど)

その考え方(自分の考え方)だけが正しい、とか思ってしまうことってあって、

頭が固いっていうか、そんな枠にこだわらなくてもいいじゃん?ってことが

私はよくあって。

特に今の職場はかなり固定された人間なので、融通が利かない人が

割と多い気がする。

見方を変えればマジメってことなんだろうけど。

だから私は少しフマジメでいたいと思う。

そういう色の集団の中にいると、無意識のうちに

自分もいつの間にかマジメな考え方しか出来なくなってしまうので

意識して「フマジメでいるぞーーー」って思っていたい。

そのためには、色んな集団に属している(色んな人間と接触する)こと、

なのかなぁ。

(あ。上の、常に疲れている人は職場の人じゃありません・・・

もっと身近な人・・笑)

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新年度

始まりましたねーーー平成21年度が。

私は春休みにインフルエンザになってしまいまして、1週間寝込みましたsweat01

寝込むのは、何年ぶりか?!

体力とか健康には本当に自信があったので、寝込むなんて自分的には

許せないんだけど(笑)

異動やらなにやらで、精神的に疲れていたのかなぁ?なんて思ったりします。

結局異動はなくて、今年も引き続き同じところで仕事をすることになりました。

1年でも早く異動して、また新しい仕事を覚えたかったんだけど

仕方ないですね。今年はその準備期間ってことに(勝手に)しました。

それと、目の前で1年間建て直ししていた、ジャ◎◎スポーツ(とK’s電気)が

やっと完成して(電気の開店はまだこれからだけど)

先週オープンしたので、早速いそいそと通い始めました。

久々のスタジオプログラムは、どれもこれもすっごく楽しくて、平日は毎日行ってる(笑)

土日も用事が無い日は、開いている時間に多分行くので

ほぼ毎日か?(笑)これも徒歩30秒だから出来るのかもしれないよね。

なので、ここんとこ、

朝4時半起床

6時まで放大とか英語とか

30分間で朝食準備、曜日によっては買い物(早朝行くとパンが安い、農協の100円市)

7時半には家を出て

仕事は定時に速攻帰り、すぐ夕飯の支度をする

6時55分に家をでて、ジムに行き

1~2本スタジオで汗を流す

シャワーを浴び、お風呂に浸かって9時半頃(←2本やった場合)帰宅

テレビ見たり本を読んだりしてのんびりして、10時には寝る(笑)

(ぴーが塾のある日は10時半頃寝る)

ぴーの公文と塾のW通いのおかげで、彼は週4日夜に家に居ない(笑)

最初は「なんで二つも通わなきゃいけないのさ?お金どうするのさ?」って

思ったけど、居なきゃ居ないで、こっちも気楽にジム通いができて、ありがたい(笑)

ジムに通うと、まず肩こりが治る!体力もついて、仕事の能率がUPする!

汗をどばーーーっとかいて、シャワーを浴びるとすっきりする(ストレス解消)

それに、スタジオでの、あの妙な一体感?(笑)すごく楽しいよね?(笑)

体脂肪が減って(体重はあまり減らないけど)ラインがすっきりする

集中力がついて、勉強がはかどる(これ、ホント)

いいことずくめですよーーnote

いい新年度のスタートが切れたような気がします。

後は来年度に異動できるように、どうやって動くか。。。。

(何も考えていないようで、実は計算高い・・・・?!)

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異動希望②

希望を出したのがクリスマス前、

実際内示が出るまで3週間近くあり、

その間ずっとストレスがたまっているみたいで、夢にしょっちゅう出てくる(笑)

一体どこへ行くのか?私の場合は3種類あるので、余計悩ましく感じる(笑)

今の職場の場合、仕事内容は同じものの、細かい手順は違うのでそれを覚えるまで

少し時間がかかるけど、行政職の場合は異動のたびに全く違う仕事になるので

イチから全て覚えなおしだと、同期Nちゃん(先に異動している)聞いた。

それより何より、人間関係を一から作り直していくのが一番のストレスかも・・・

先日M先生(女性)と話したときも、

「もう正直面倒くさい、ここで(今いる職場で)終わりにしたいくらい」

明るくて活発で誰にもどんどん話しかけることが出来るM先生でも

そんな風に思ってるんだ、と意外に思った。

「そんなことあまり気にならない」って見えるような人でも、実際はかなりストレスなんだ

ろうなぁ。

「歳をとってくると(若い頃より、人間関係を作ることは)億劫になってくるよ」

私はストレスと言いながらも、M先生ほど実際は億劫じゃないのかもしれない。

でも全く知らない中に入って行くのは、相当なエネルギーが必要で、

バイトみたいに、知らない中に入って行っても、一定期間過ぎたらバイバイっていう

環境のそれと、これが一生続くのか・・というこれとは、

気持ち的に大分違う。

考えると本当に憂鬱になってくる(笑)

話は少し変わるけど、今回私が職種変更で異動できなかった場合の第二希望は

今のところに残るというもの。

その場合、来年度異動するということになり、契約の切れる一人のパートさんと

一緒に居なくなるので、職場的にその後大変(異動してきた誰かと新しく入った

パートさんを同時に教育しなくてはならないので)になるので、それを考えると

私もちょっとわがままを言ってしまったかな、と反省もしてるのだけど

もう一人のパートさんも「(正規で)働ける所を来年度中に探したい(よってあと1年で

辞めたい)」と言っていて、そうすると3人一緒にいなくなるわけで

現場としては相当ごたごたすると思われる。そのことも気にしていて

「(辞めたいけど)どうしよう・・・」と話してきて

私は止めることが出来なかった。

私は何かあるごとにパートさんたちに「働けるのなら正規のほうがいいと思う」って

言って来たからだ。

つい先日も年金の話になり、「将来3号はなくなっていく(現在は夫婦でセットという考え方

になっているけどそれが個人という方向になっていく)かもしれないから、

自分の年金として払っておいた方がいい、と思う」

(個人的には夫婦セットというシステムはなくなると思っている)

というような話しをしたばかりで、2人とも過去の厚生年金の年数を考えると

今ならなんとか間に合うらしい。

そういうこともあって、私は止められなかった(自分も自分の都合のいいように

しているし・・・・)

「主任さんに話してみたら?早く言ったほうがいいよ」と彼女に言い、

そしたら受け入れてくれたと。

(そうだろうと思っていたけど(゚ー゚))

遅くても来年には今のメンバーはばらばらになっていくんだよなぁ

そしてもう一生一緒に仕事することもない。

その繰り返しなんだよなぁ。

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意外と知らない?

フランクリン手帳、追加して頼んだ1か月分(3月から使用)のリフィルも届き、

その前に「プランナーガイド」のコーナーを埋めようと思い、

何日かかけて書いていて思った、

自分は自分の本当の気持ちと向かいあったことがなかったのだと。

向かいあうということを知らなかったのかもしれない。(親の支配が強すぎるため)

これを10代の頃に行っていたら、違う人生があったと言い切れる。

でも今それに気が付くことが出来たのだから、それはそれでよし、とも思うけれど。

いざ書き出してみると、これって本当に実現するのかなぁ?と思うようなことが

並んでいるけど、なんとなく、実現するような気がするのはなぜだろう?

セットに入っていた本についていたDVDがあり

こんな風に言っていた。

1)あなたの職場で責任ある立場についたとします。ひとつだけ何かを変えられるとしたら

何を変えますか?

2)あなたは私生活において1つだけ変えられることがあるとしたら何を変えたいですか?

3)あなたは巨万の富を持っています。時間とお金が好きなだけあるとしたら、何をしますか?

4)一日が26時間あるとします。一週間で14時間増えることになります。この時間を使って何をしたいですか?

5)有名週刊誌の表紙にあなたの写真が掲載されたとします。表紙にはあなたのことをなんと書いてありますか?

これらは自分の目標になりませんか?

そして、なぜこれを達成したいのでしょうか?

よかったらやってみて下さい。

意外な答えが見つかったりして・・・( ̄ー+ ̄)

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09年手帳

以前、今年の手帳を買ったとここで書いた。

能率協会と日経ウーマンの共同開発の「能率ダイアリー」(B6)(ウィークタイプ)

を数年愛用していた。

実際私にはとても使いやすく、何でも書き込みやすく、常に持ち歩き、

愛用していた(今でも愛用している)

日々の予定はもちろん、3行日記、子供会やら組合やらボーイスカウトやら

出席したときの記録、読んだ本リスト、読みたい本リスト、見たい映画リスト

気にかかった言葉、特別にかかった費用(誕生日とかクリスマスとか)

放大の科目登録番号まで(ネットで登録なので)。

書いておくと、「あの雑談時に聞いた店の名前はなんだっけ・・・?思い出せない、まぁいいや」

という事態にならず、実際店に言った後も、それを教えてくれた人に

「あの時のあのお店行ってみましたよ~~」と会話も出来る。

本当に役立つ(笑)

しかし、その「何でも書き込む」が仇になってきてしまい、

私の持っているタイプはフリーページが少ないので、既に書き込むスペースが無く、

どこに何が書いてあるのか、探すのに一苦労という事態が・・・

じかも、なんかごちゃごちゃしていて、気持ち悪い・・・

私の持っていたタイプは、ウィークリータイプで、よくある時間管理が出来るタイプでは

ないので(今まで管理しようと考えたことも、なかった)

変えてみるか・・・・・?でももう今年は買ってあるし、これでもいいか・・

と悩み、でもためしに使ってみるか?と思い、色々探してみたのだけど

朝早く起き、夜早めに休む習慣がある自分にあうものが無く

(早くて7時頃~22時とか)

今の自分の仕事は、仕事中は管理することが無いので、朝と夕方以降ができるものが

いいんだけど、それが無く。

結局、先日読んだ、「7つの習慣」の「フランクリン・プランナー」を買ってみた。

でもこれが自分に合うとか使いこなせるか?とかわからないので

「エントリーセット・コンパクトサイズ」にした。

4月~9月までのリフィル(見開き1日分タイプ)

バインダー、「第4世代手帳が人生を変える」という本、が付いて6300円。

店で見る手帳と比べると高いんだけど、フランクリンの商品としては、

安く設定されている。

(バラで買うと、このタイプのバインダーだけで5000円くらいするのでオトク感がある)

セットのバインダーはシンプルな黒で、かわいくないんだけど(笑)

これで使ってみて気に入れば、またバインダーだけ買い換えることもできるので

いいか?ということに。

時間管理については6時~12時(0時)までなんだけど、実際は5時~午前1時まで

書くことが出来る。

手帳自体は4月始まりなので、まだ使えないけど、

『プランニング』で10年間の計画

ミッションステートメントの作成、価値観の明確化

目標の設定

これらをしてから、週間計画、日々の計画、をしていくので

4月に入るまでに書き込んでおこうと思っている。

とにかく、分厚く、持ち歩くのにかさばるし、重くないか?!と思うんだけど・・

(それが欠点か?)

経費や、webサイト情報はもちろん、フリーのタブもあるので、オリジナルを作れる

(それこそ「読んだ本」みたいな)。

とりあえず使ってみないとわからないね。

まずは、ハンドブックを読んで、正しい使い方を理解しなきゃ(笑)

興味ある方は、こちらをどうぞ

http://www.franklincovey.co.jp/products/

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誰かを大切にする、とは?

以前、『自分を大切にするとは?』という文章を書いて、

そのときに、『自分の思いに正直になることなのかな?』みたいなことを

書いたんだけど。

「嫌だ、と思ったら、嫌なんだと思って、やめる」

「疲れたと思ったら、疲れたんだと思って、休む」

「嬉しいと思ったら、嬉しいんだって思って、喜ぶ」

・・・などなど、私は子供の頃から結構、いや、かなり自分の正直な気持ちを抑えてきたと

思うので、最初はそれに戸惑ったけど

今は、以前よりできてきた、かもしれない、と思ったりする。

疲れたなーって思ったら、自分が好きなことをして、のんびりして、休んで

また元気になって。

あぁこういうことが大切にする、ってことなのかな?って

まだ完全じゃないと思うけど、なんとなく、思う。

いつも読みにいくサイトで、先日、ある本のこの言葉が紹介されていた。

優しい言葉をかけることだけがけっして
「人を大切にすること」ではありません。
大切にするということは、時に
厳しい言葉を投げかけることかもしれないし、
ときにただ離れて見守ることかもしれません。

ただ、それが相手を大切にしようという
“決め”から生まれているものか、
なにかを守りたいという自分の側からの必要性から
生まれているものなのかによって、
おのずと引き起こされる結果は変わるでしょう。


あなたは、その人を大切にするためになにをしますか?

私は、大切に思う人を大切にするため、何をするのだろうか・・・・・・

考えること、数日・・・・

誰かを大切に思う、という気持ちは、わかるようになった。

(以前は、わからなかった。ついでに言えば、誰かの幸せを願う、という気持ちも

全くわからなかった)

厳密に言うと、私がわかっていたと思っていた「大切に思う」気持ちは

ニセモノだったんだ。

私には何ができる?

私は何をするのだろうか?

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「たかがブログ、されどブログ」

ヤフーからココログに移動してきたばかりの頃、ヤフーの欠点(?)を

ここで書いたんだけどcoldsweats01

私もここが4箇所目で、振り返るとヤフーのシステムは特殊というか

ブログというよりはSNSに近いものがあるかな?という印象。

結局、どこのブログでも最終的には「自分の使い方次第」なんだろうなぁ、って思う。

ヤフーの時、好きでよく読みに行っていたブログへ、ちょっと前から

また読みに行くようになって、(そのためにはお気に入り登録っていうのをしないと

全部読めないので、登録するためだけのブログというのを開設する必要があるの

だけど)

1年以上振りにその方の文章を読んでみて、

昔は「この人、ここまで断言しちゃうんだ」とか「ここまで言えちゃうんだ」って

(いい意味でよ)思ってたんだけど、

(自分もそうかもしれない、けど気にしない、いい意味でよcoldsweats01

それも裏を返せば

『自分』はこう思う!っていう考えをちゃんと持っているということで、

あぁだから私はそういうとこが好きだったんだなぁって、改めて実感。

年齢が若いとか古いとか関係なく、その人の資質というか?

もちろん欠点もあるんだろうけど、それ以上の魅力を再確認。

昔ヤフーで「たかがブログ、されどブログ」って書いたんだけど、

「『自分』はこうなのよ~~~~」って言ったところで、たかがブログな訳でもあり

されどブログな訳でも、あるんだよね。

『自分はこうなのよ~~」って一見同じように言っている人でも

魅力的に思える人と、思えない人が存在する。

その違いとは・・・・

無意識に感じ取る「何か」が存在している。(「何か」については、ここでは書かないけど)

それって結局(前も書いたけど)「類は友を呼ぶ」が

本当なんだなぁって実感だし、

言葉(文章は)嘘をつけない、っていうのも実感。

そう思うと、本当に言葉(文章)は恐ろしいものでもあり、面白いものだよね。

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インディになりたいっっ

図書館に昨年(半年以上前)に予約しておいた、

「勝間和代のインディペンデントな生き方」がやっと順番がまわってきた。

余談だけど、H市では人気のある本は、予約してから手元にくるまでに

本当に時間がかかる。

私の中では「負け犬の遠吠え」が最高記録(1年2ヶ月ほど)

「おひとりさまの老後」も一年ほどかかったsweat02

予約していたのを忘れていたくらいだし(笑)

「インディペンデント」と同じ時に予約した「一日30分を続けなさい」

「一日30分(勉強バージョン)」

は、まだ順番待ちcoldsweats01

どこの市でも、そうなんでしょうかねぇ?

さて、この本に書かれていた「インディ」に私もなりたいっっ!と

本当に単純?というか、いや、素直にそうそうそうなのよーーって思ったわけで。

インディの3つの条件というのが

①年収600万以上稼げること

②自慢できるパートナーがいること

③年をとるほど、すてきになっていくこと

インディになるために必要なものは

①じょうぶなこころ

(愚痴を言わない、笑う、笑う、笑う、姿勢を整える)

②学び続ける力

(手帳を持ち歩く、本やCDを持ち歩く、ブログを開く)

さて、そうなりたいと思ったら、即行動(笑)

既にやっていること(手帳、本、ブログ)はこれからも続けることにして

できていないことは、地道にやってみよう!

しかし、年収600万はともかく・・・

自慢できるパートナー

・・・自慢・・・勝間さんの定義(の中の1つ)に「年収1000万」と書いてあり(笑)

私の彼はそれに全く当てはまらないbomb

1人の『人間』としては、とても個性的で欠点だらけで(←人のこと言えないけど)

本当におもしろい人だなーと思う(そして、こーいう人はそうそう居ないとも思う)、

一応自活してるし、まぁいいか??と思うのは、やはり甘いだろうか?

いや、これから1000万稼げる人になると思ってるけどね?

(彼の周りにはそういう人ごろごろ?してるのに、どうしてだろうね?)

「7つの習慣」でもあったけど、最終目標があり、長期的な計画をたて、

そのために今何をしていくか、

という計画をたて、それを(手帳に)書いて実行する、というのは

大事なんだなぁ。

もちろん今自分も活用しているけど、もう少し使い方を変えたほうが

いいような気がしてきた。

それに、最終目的を達成するために、どのようにやっていくか?って

今、放大の卒業に関しても実際やっていたっけ。

4年間かけて授業を受け、卒研の分だけ単位を残し、5年目に卒研だけに取り組む、

そのために毎学期どの位こなしていけばいいか?

とか、

もっと先の、ボラに関しても、50歳で本格的に地元で活動したい、

でもあと2年BSをやっているから、その後にまず今のボラ回数を増やし、

6年後に(ぴーが大学生になるから)ホスピスを始められるように

勉強会に参加したり、その4年間のうちに、イギリスのホスピスか、アメリカの

在宅ボラのどちらかに短期留学(?)に行きたい、とか

色々あるわけで、そうだ、英語を話せるようになるために、勉強しておかなきゃ、とか

本格的ボラを始めたら、大学院を受験したいとか、

ホント次から次へと色んな「やりたいこと」が出てきて

計画的に、じゃぁ今は何を?ってやっていかないと

結局いつまで経っても「そうなりたい」のまま、終わってしまう、ような気がする。

そう思ったら、早速実行!

もう一度、自分のこれからを整理してみることに。

早速実行、といえば(話は全然変わるけど)今日、ジャ○○スポーツの入会手続き、

完了!あとは完成する3月末を待つだけ!

なんせ徒歩1分(笑)またエアロ復活できる日がくるとは・・・嬉しくてたまらないhappy01

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女だけの職場、って

仕事で新人さんに教えるのって、結構、いやかなり難しい・・・

転職してからは教えるってことは無くなったし

多分これからまた異動するわけだから、教えてもらう立場に居続けるわけでcoldsweats01

まぁそれはいいんだけど、

先日回転すし屋にて、目撃した。

週末の夜で店は混んでおり、パート(もしくはバイト)と思われるおばちゃんたちは

皆殺気立っていた。

私たちが座っていたテーブル席の隣のテーブルが空き

さささと2人のおばちゃんが飛んできて、皿を片付けていた。

片付けが終わり、1人のおばちゃんがその場を立ち去りながら、

もう一人のおばちゃんに

「だから、○○○○なのよっっっ!いい?わかったっっ?!」

(○○の部分はよく聞き取れなかった)

どうやら叫んだおばちゃんは教育係らしく、怒られていたおばちゃんの胸には

「アルバイト○○(苗字)」と手書きで書かれた札がつけられていた。

入ったばかりで、手際が悪かったんだろーなぁ・・?

でも思った、店は客で混んでいる、店内はざわついている、

でも、客の前であんな風に怒鳴るのは、教育云々以前の問題で

客商売としてよろしくないんじゃないだろーーか?と・・・

食べていて、気分が悪い(私だけか?)

指導するのは必要だけど、客のいないところで、吠えるなら吠えて欲しい

(と思うのは私だけか?)

それに怒鳴るのって、やっぱ感情入ってる、よねぇ・・・???

私の(今の仕事の)最初の上司って、普段から感情丸出しで、

さらに個人情報を逐一細かく聞きたい人で、

まさに仕事とプライベートをごっちゃにしているような人だった。

あーゆー人の下ではもう働きたくない(笑)

(上司として尊敬できない)

どこの職場にも、むむ?と思うような人はいるものの、

女性のみの、しかも人数が少なく、外の人間の出入りが無い職場は

行ってみてわかったんだけど、本当に独特で、

こういう人が発生しやすくなる。

卒業して最初に就職した職場にも、小さいところで問題起こした人が

次々異動させられてきた(規模が大きな所に異動させる)。

なぜだろう?

独裁政権が通用する、っていうか。

距離感が近すぎる、っていうか、女子高のノリ、みたいな、「みんな同じ並び」を

求める上司は正直疲れる。

個人的な場所でやるのはいいけど、仕事でそういうの、私は好きじゃない(笑)

(今の上司は人間的にすばらしいと思ってるので居心地よいけど)

でも、そういう世界で色々勉強させてもらったので、よかったといえばよかったけどね。

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続 自分のことばで。

ここ1,2年、はまって読んでいるのが、宇野千代さんの本。

名前は聞いたことがあったし、本屋でも並んでいるのを見たことはあったけれど

棚から取り出してみようとは一度とも思わなかった。

それが、ある日、しかもブックオフで、更にしかも他の本を探しているときに

何となく棚に手を伸ばして本をとり、ぱらぱらとめくってみたのが

「行動することが生きることである」

というタイトルのエッセイ本だった。

少し立ち読みをしてみて、とても興味深かったので購入。

新しい作家さんの本を読み始めるとき、私は大抵平積みされているものの中から

いくつか斜め読みをし、おもしろそうだなぁと思ったものを読んでみる、という

パターンばかりだったけれど

ある日突然出会えるときがあるんですよね(笑)これも縁なのか?!

さっきも試験勉強放置して(いけないと思いつつ・・・・)読み直してみたんだけど

私が以前書いたことを、数百倍上手に言い表わしている内容がある。

『失敗しない結婚生活のために』という章の中のひとつの一節に

こんな風に書かれている。

浮気をするということは決して好いことではない。

しかし悲しいことに私は浮気を一度もしないと断言する人には、

相手の気持ちがわからない。

こういうときにはこういう気持ちになる、ということがわからない。

(中略)

悪いことも出来る人が、人の気持ちがよく分かる。

私は決して浮気をしないといばって言う人には、人の気持ちはわからない。

ちょっと前に書いたけど、その人の本当のそのときの気持ちって

その人にしかわからないものだと、私は思っている(同じ経験をしたとしても)。

人の気持ちは色々あるものだし、

それより何より、やっぱり正論だけでは生きられない(これも前書いた)

それ位人の気持ちって複雑な面があるんだと思う。

だから、確かに浮気はよくないことだと思うし、しないに越したことはないけれど

そうなってしまう場合も、もしかしたらあるのかもしれないのだ、

私にも、相手にも。

悲しいけれど、仕方のないこともある。

浮気だけではない、どんなことも同じだと思う。

宇野さんは、妻という立場「でしか」見ることの出来ない人にとっては

自分勝手な人だと、捉えられてしまうだろう。

でも、思うのだ、結婚したら妻、子供が生まれたら母、として「だけ」生きて行くことが

「いいこと」であるとは、限らない、ということを。

それを「自分自身」が本当に望んで選んだ場合と

「世間(もしくは親、身内、などなど)」が望んでいるだろうと無意識に判断して選んだ

場合では、全く違うということも。

別に結婚や仕事じゃなくても、どんなことも同じかもしれない。

そしてそういう気持ちって、(多分)無意識のうちに、言葉の端々に表れてしまう

ものなんだろう。

ことばって、やっぱり怖い(笑)

でも正直に発したことばは、共感できるか否かは別として

きっと「何か」が伝わるのではないか?と私は信じている。

宇野さんは、欲しいと思ったものは手に入れてきた(と思われる)。

この時代の女性にしては、珍しいタイプ(こうあるべき、に全く逆行している)、

でもだからこそ、私は、魅力的だなぁと感じる。

世間の言う「いい、悪い」の判断ではない、宇野さん自身がそこにいる、

私も自分の人生は自分で作りたい。

まだまだこれからが本番!(笑)

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これだけは

はかせもぴーも身体がでかくなり、我が家のエンゲル係数は

ますます恐ろしいことになっているこの頃、

いかに安くおいしくボリュームのある食事を作るか?

そのために安くなるべくいいもの食材を手に入れるための労力は惜しまない(笑)

肉は、帰宅途中にある、この辺では有名な肉屋で購入。

魚はジャ○○の値引き時間帯を狙い、それだけのために夜7時以降に、

そそくさ出かけて購入。

パンはジャ○○の値引き時間帯を狙い、それだけのために朝5時半くらいに、

そそくさと出かけて購入。

その他は、遠回りになって嫌なんだけど、少し離れたスーパーが安いので

まとめて購入。

そのおかげか?何とか予算内で食材が収まっている( ̄ー+ ̄)

こんなに食材費を節約するために日々努力(?)(努力と言っていいのか・・・・?)

しているけど、これだけはお金を惜しまないというものがある。

本代

書店、ブッ○オフ、ネット、オークション・・・購入方法は色々だけど

基本的に好きな作家のものは買って読む。

小説以外にも、啓発本とかエッセイとかも買うので、月に費やす本代は

結構かかっていると思う。

最近では、ぴーもよく買うので、置き場所にも困っている。

私と同じ好みならいいんだけど、好きな作家が全然違う(お互い買ってきた小説を

読んだことが無い)

から効率は悪い(@Д@;

本のいいところは、いつでもどこでも読めること!

読むたびに感想が違ったりするところ!

歳をとっても、楽しめるところ!

(持っている本を定年後、また読み返すのが夢だったりする)

自分が児童向けの本以外で初めて買ったのが、赤毛のアン(シリーズ)で

いつかまた読み返したいと思っていたところに、

先日茂木サンの赤毛のアンに関してのエッセイ、というか解説本に近いものを

発見し、早速買い読んでみたら、ますますまたアンを読み返したくなってしまった。

子ども(と言っても中学生だが・・)の頃、どうしてあんなに夢中になったのか

そのときはわからなかったけど、大人になってみるとわかるね。

そういう楽しみ方って、本ならでは、だよね?

自分で登場人物や、風景、をイメージして、

時に主人公になり、時に別の人になり、色々考える、

それが私は楽しくてたまらない。

しかし、本を買うのはいいけど、狭いボロマンションに収納するのに、

何かいい方法がないでしょうか?知ってたら教えて下さいm(_ _)m

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後悔

先日、同窓会にてRちゃんと色々話しをした。

Rちゃんと私は高校も同じだった。

私が通っていた高校は、現在では偏差値という面では相当落ちぶれているんだけど

当時は女子にとっては、割と憧れの学校だった。

いや、その親たち、といったほうがいいだろうか。

伝統ある女学校で創立から100年くらいになるだろうか?

静岡県下では3番目の公立女学校、らしい。

私は女子高にはいきたくなかったんだけど、M校に行けない女子は

皆ここの学校に流れるので、勉強ができる子もかなり居た。

親やまたその親の時代には「嫁にするならK高」と言われていた様で

ここの学校に入ったということは、親やまたその親世代にとっては

バンザイという感じだった。

どこの高校、大学もそうかもしれない、校風っていうものがあると思う、

通っている当時は感じたことなかったけど

卒業してみると、何となくわかる。

この学校は全体的に「女子はそこそこでよい」という空気があった。

大学はどこでも入れればOK,

浪人は絶対反対、

遠くの有名私大より、地元の公立、

そんな空気に流され、私たちは皆、真剣に勉強するということを

忘れ去っていた。

女子高は私にはやっぱり合っていないと今でも思うけど、

学校生活はそれなりに楽しかった。

(女子のヤな面もいっぱいみれたことも、今ではよかったかも)

Rちゃんは、ぽつんとつぶやいた。

「もっと勉強しておけばよかった・・・・」

本当にそうなのだ。

いい大学に入るとか、結果もそうなんだけど、

それ以前の問題。

一生懸命やらなかったんだ。

そのことに対して、彼女は後悔している。

一生懸命やって、力を出し切って、その結果が現実であれば、

多分納得できるだろう(自分の実力はその程度だと思わざるを得ない)

私も「そう・・・同じだよ」

以前、「学歴は本当に必要?」って書いたけど、

自分の中では、思っていた。

結局、何を言っても、負け犬の遠吠えになってしまう。

そして、一社会人として生きて行くのには、無いよりあった方が全然いいのだ。

もちろん、学歴だけじゃ生きて行けなくて、人間性とか社会性とか必要なものは

あるけれど、

きれいごとだけじゃ、やっぱ生きられない。

一生懸命やらなかったことを、学校の校風のせいにするのは

卑怯なんだろうけど、

主任さんに言われた

「K高にいくと、みんなダメになるって(K高に行った)友人が言ってた」

流れに逆らって、自分を強く保つのは

10代の子供にとっては、思っている以上に難しい、のかもしれない。

いや、逆に、実は単に「保てない人」の集まりだったのかもしれない。

自分も、自分の周りにいる人間も。

皆「そこそこでよい」と思っているから、集まっただけ、それだけのことかもしれない。

ぴーには、同じようになっては欲しくない、

かといって、勉強勉強勉強って言い続ける教育ママゴンにはなりたくない。

でも、今の自分が一生懸命やってなくて、

どうして子供に言える?

私は、今までの生き方の結果が今の通りに出ているわけだから

このあとどういう結果を出すかは、自分の努力次第ということだろう。

同じ間違いだけは、繰り返すことは、しない。

ぴーにも、少しでも伝わるといいんだけど。。。

仮に伝わるとしても、すぐには伝わらないだろう。

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今年の目標①

ずっと疑問だったことがある。

「○○だから、できない」

ってよく使うけど、それは果たして本当なんだろうか?と。

本当に出来ない、として、結果それをやらないわけだから、

私個人的には「○○だから、やらない」と言った方がしっくりくるなぁ、と。

「できない」の奥には、「○○」のせいにして、やらないことを正当化してるような

気がする・・ような気がする

「忙しいから出来ない」

「子供がいるから出来ない」

「時間がないから出来ない」

「お金がないから出来ない」

・・・数えればいくらでも出てきそう。

果たして本当に、私は忙しい、のだろうか?

私は時間がない、のだろうか?

私はお金がない、のだろうか?

子供がいるせいで、出来ない、のだろうか?

よーーく考えてみると、必ずしもそうとは言い切れない。

『忙しい』って言っておけば、なんとなくそれなりの理由になってしまう。

結局、本当はやる気がない、やりたくない、といったところだろうか。

朝早く出勤し、夜中まで残業している、とかなら話は違うだろうけど

少なくとも自分は、それには当てはまらない。

完璧を求めたら、キリはない。

何かで読んだ、「完璧を求める人は、それしかやらないから、完璧に出来る」と。

なるほどなぁ。

私が思うのは、結局どんなことも、最後は自己満足なんだろう、ってこと。

だからその自己満足を他人に向けて見せびらかすことは、

はっきり言うと嫌いだし

(といいつつ、自分も無意識のうちに、やっているのかもしれない・・・・)

やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらなければいいだけ、

そう考えると、あぁなんてラクチンなんだろうーー

話がそれたけど、やるって決めたら、即実行

始めなきゃ、何も始まらない。

(と、その辺も、「グズ」につながるらしい)

だから私は今年も自分がチャレンジしてみたい、と思ったことには

積極的に取り組んでいこうかな、と。(もちろんやることは、選ぶけど。)

あ。やりっぱなしはまずいけどね( ̄○ ̄;)!

細々でも、休み休みでも、長く続けること。

(とにかくこれが苦手だったからね)

ん?ダイエットですか?続いてます、いちおー(笑)

体脂肪、現在-3%達成(v^ー゜)ヤッタネ!!

でも目標までは相当遠い・・・・まぁ地道に続けます( ^ω^ )

もしよければ、本気の今年の目標、教えて下さい!

自分の喝にしたいから(笑)(他人を利用するなって?)

私の具体的な目標は

体脂肪率を20%にすること!(1年じゃムリかな?)

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同窓会④~雑感

さっき延々と書いたのは、前置きっていうことで(長い?)

Hくんが、言った

「10年前は、女子が疲れていた、男子は元気いっぱいだったけどなぁ、

今は逆だな、女子がパワーがある、男子は疲れきってる」

「・・確かに・・・。10年前って言うと、第一次ベビーブームだから、子育てに

追われてたんだよね、女子は。でも今は子育ても一段落してて、余裕があるんだろうね」

40歳、かぁ・・・

男子は苦しいところかもしれない。。。

大阪に着いて、今日の出来事をさらっと話をしたら、彼にこんな風に言われた。

「今の自分にある程度満足してなきゃ、来れんだろ?お前だってそういう時だったら

行ってたか?」

「確かに・・・これがあのしんどい5,6,7年くらい前だったら、返信のはがきも

出す余裕なかったと思う。。。」

「それに、女子は見栄の張り合いだろ?(笑)」

「うーーん。。。どうだろ?でも確かにキラキラしすぎ、っていうか・・」

言われてみりゃ、多分女子に関しては、

今現在自分が幸せであると思ってる人が集まっている、と思う。

「キラキラ」っていうのは、化粧が濃いとか洋服がオシャレ、っていうことじゃなく

多分「満たされている、キラキラ」なんだと、思う。

不思議なモンで、小学校から一緒でも、全然話したことのない人も

結構居たりする。

中学から一緒になった人に関しては、名前を聞いても「???」っていう人も

たくさん居るんだけど

その場に行っちゃうと、なんか平気なんだよね。

あれは一体なんだろう?

でも一時だから、平気、なのかもしれない。

HくんもRちゃんも言っていた。

「話題に共通点がない。だから困る」

確かに・・同じ中学を卒業したというだけの共通点で、話題をつなげていくのは

難しい。

仮に同じクラスだったとしても、一体何を話せばいいのか?

そもそも自分のことを覚えている人がいるのか?

そう考えると、足が遠くなるというのも、わかる気がする。。。

「今日誰が来るか全然わかんなかったけど、こうやって話せて楽しかったよ」

そう思えることができる、というのは幸せなことかもしれない。

Hくんからメールが来ていたので、返事を送った。

「何の柵もなく、早く大人になりたーいって思ってたあの頃に戻してくれる場所とか

めちゃくちゃ久しぶりに会っても受け入れてくれる仲間がいるって、

幸せなことだね」

Mくんは同級生(だから、誰もが知っている)と結婚した。

でも、別れたらしい。

それを私は当日に別の女子から聞いた。

あぁ、だからかぁ・・・あの目の理由がわかった。

話しをしていると、つぶやいた

「別れちゃってさ」

私は上手く返せなかった。

でも、とっさに今知った風に答えた。

離婚して、その後復活が早いのは、女子の方かもしれない・・・

あの会場には、女子のキラキラの奥に秘められた、何かよどんだ空気、

そして男子から発せられる負のオーラ

もちろんすごく楽しかったんだけど、

私は大阪行きの新幹線の中で、具合が悪くなった。

そして妙に哀しかった。

人間の発するエネルギーって凄い。

でも生きてるから、色んなことがあって、色んな思いがあって、当然か。

あの頃のようには生きられない、だからこそ、楽しいんだろうなぁ、

こういう会って。

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同窓会③

正月2日に中学校の同窓会が10年ぶりにあり、そそくさと参加した。

今回私が声をかけた3人とも結局欠席で、

当日誰が来るのか、さっぱりわからない状態での参加は、ちょっと不安もあり

足が震えた(笑)

会場に着き、受付に行くと、ぱっと見ただけでは誰かわからない女性4人が

並んでおり、ますます緊張してしまう。

それでも、中に入ると、入り口付近に立っていた女性の顔を見て

「いやーーーん、久しぶりぃぃぃ」

すると彼女(Rちゃん)は真顔で

「・・・・・・・え・・・誰・・・」

ひ・・・ひどい、私、そんなに変わったか?

名乗ると、「ああーー」と叫び「髪型がね、全然違うじゃん、わからないよこれじゃぁ」

そう・・20年経つと、技術は進歩するのよ(笑)

(その後このセリフを20回くらい言うハメに・・・)

同級生は250人くらい居り、参加していたのは70人くらい

まずびっくりしたのが、女子が皆若い、そしてこの日のために皆整形したのか?

とマジ思ってしまった(笑)

そして、男子・・・老けている・・・10年前はすぐ誰かわかったのに

今は全然誰かわかりゃしない・・・(いや、昔より若返っている男子もいるけど)

だから、話しかけるときには、まず

「えーと、名前なんでしたっけ?」

ってお互い聞きあうのだ、「名札つけといた方がいいよね」なんて言ってたけど

ホント必要かも・・(お見合いパーティか?!)

私も仲良くしていた女子と一通り話したあとは、Rちゃんのところへ行き

この20年間の出来事をお互い話し合い、

ふと隣を見ると・・・そこに居たのは、以前「バレンタインの思い出」で書いた、

Sくんが!

うーん・・・ちょっと体型がおじさんぽくなってるけど、基本的にあまり変わってないなぁ

(゚m゚*)

私はさっそく図々しくSくんに色々話しかけ、話が盛り上がってきた所で

「ねね、中3の時、クッキーもらわんかった?」

って話しを切り出した。

Sくんは、そのときのことをよく覚えていて、私が『えーー何なに?その話っ』って

言ったことも覚えていた(^-^;

どうしよ、って思ったけど、まぁもう25年も前の話しだし、どーでもいいやって

思って、当時のことを全て暴露

するとSくんは

「そうだったんだぁ、名乗って欲しかったなぁ」

・・・うーーん、それって・・・~(°°;)))オロオロ(((;°°)~

でもね、当時は絶対言えなかったよ!

まぁ言えなくてよかったって思うよ。

だってそのおかげで、自分で突進することを覚えたし(笑)

今となってはお互いいい思い出だから、こーやって話せるわけだし。。。

そんな話しをしていると、うろうろしているHくんを発見!

彼は3年とき同じクラスで、これも前書いたけど、席替えんとき隣になりたい人、

なりたくない人を紙に書いて出すシステムで、

「ね、なりたいって書いていい?」って言われて、「えーーいやだぁ」って言ってしまった

ことを私はずっと気にしていて(私はHくんのことは好きでも嫌いでもなかった)

「あの時はごめんね」って言ったら、そのときのことを覚えていた( ̄◆ ̄;)

(みんな記憶力いいなぁ・・・・・)

HくんもRちゃんも同じクラスだったので、しばし3人で当時のクラスの

思い出話に花が咲き。

「うちのクラスってまとめる人、誰もいないじゃん、今度2人で集めよーよ」

って最後に上手くまとまって(笑)

そして気が付けば、今度は部活が同じだったKくんが前に居り、

私とRちゃんも同じ部活だったから、今度はその辺で盛り上がり(笑)

そして最後には、近所に住んでいたMくん(以前ここで書いたYくんじゃない)

と、しんみり語りあい・・・

最初顔を見たときから、気になっていた。

悲しい目が、気になって気になって。

「私も色々あったし、人生色々よぅーーー」って声かけたけど

帰るときも、10年前のような元気さはどこにもなくて

「ねね、また10年後、絶対来てよね!待ってるでwink

そう言ったら、左手を上げて、笑っていた。

駅までバスが出るというので、それに乗り込むと

同じクラスだったYちゃんが居て

「ちょっと見てみて!私が書いてもらったサイン帳、今日持ってきたんだ」

むむ・・・?

そこに書かれていたのは、私の文字だった!

書いたことなんて、全然覚えてなかったsweat01

自分で言うのもなんだけど・・・・めちゃくちゃきれいに字やらイラストやら書いてあった。

いやぁなんか恥ずかしいですねぇ、昔自分がこんな風に思ってたんだぁって見るとね。

Yちゃんにも

「今度Hくんと一緒に企画するで!そん時は来てね、待ってるで」

そう言ってバスを降りた。

Rちゃんとも駅前で別れ、

私は・・・

速攻ひかりに乗り、大阪へ向かったわけでしたcoldsweats01

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異動希望

この時期恒例の、異動希望票を今日提出した。

先日、また同期のAちゃん(彼女は既に一般行政職へ異動済)と飲みにでかけ、

色んな情報やら、話しを聞いて、

やはり今年は私も異動の希望を出そうと決心した。

(注:一般行政には、試験に合格していないと異動不可)

今の職場はとても働きやすい。

とても人間の出来た主任さんを始め、他の職員、パートさん、

他の部署の人たち、

みんなと上手くやれているし(と勝手に?思っている・・・笑)

そのおかげか仕事も上手くまわっている。

はっきり言えば、とても居心地が良い。

ムリを言って、今年も残りたいとお願いすれば何とかなる気もするし、

遠まわしに「まだ残ったらどう?」と声をかけてもらったりもする。

でも、決めた、

居心地がよいからこそ、もう出ようと。

(でもここを出るときは、一般行政職へ、だけど。だからこの希望が通らなかったら

居残りを希望するけど・・・)

そして、今日提出した。

してから、思い出した。

どっかでこんな状況があったなぁ・・・・どこだっけ?

そうだ、前の病院を辞める時だ。

同じクラーク同士はもちろん、NsやDr,検査や書類係etc

色んな部署の人と上手くやっていくまでは色々あったけど、本当に人に恵まれ

いい環境の中で仕事ができた(と、思っている)。

(もちろんヤな人はどこにでも居るけど)

正直辞めたくなかった(まさか受かるとは思ってなかったし、結局最後は給料で

決めたんだよな・・・)

当時の上司の方に「仕方ないよね、きっとふらわーさんならどこでも上手くやっていけるよ」

って送り出してもらって。

(今思うと、とってもありがたく、そして勇気がわいてくる言葉だなぁ)

でも転職してからなかなか上手くいかなくって。

「やっぱ辞めるんじゃなかった(給料安いけど)」

って何度も思った。でも、辞めてよかった。(別の道が開けたから)

(そして今の職場を辞めなくて、よかった)

今、流れを感じている。

言葉で、文章で上手く言えないんだけど。

あの時と同じ、流れ、空気、感じ。

きっと、今なんだろう、だから希望する、と書いて出した。

今の環境を捨てるのはとても惜しい、でもだからこそ、書いた。

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少しずつ。

何か、何でもいいから、目標があって、それに向かって進んでいる人が好き。

男女関係無く。

近況を知ると、自分も自分なりに頑張っていこうって思える、

いい刺激をもらえる、

そう思わせてくれる人に出会えたことに、感謝している。

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楽しい買い物③その後の雑感・・・

今日静岡にて買い物をして、感じたこと。

①買い物は買う+見る(だけ)+選ぶ、 の3つが揃ってないと楽しくない・・・

②街を歩かないと、刺激がない・・・

③オシャレに興味がなくなったら、本物のオバサン、かも・・・?

私の住むH市には、百貨店が現在1つしかない

その百貨店はまぁまぁ大きいし、ブランドの入れ替えも時々行われており

(そのおかげで、私のいきつけのお店が無くなってしまったわけだが・・)

かつてあったもう1つの百貨店(もう潰れた)よりずっと垢抜けた感じがして

私は好きなんだけど、なんせ1件しかないから、何か物足りなさ感がある(私は)。

名古屋に時々(いや、たまにかな?)行くようになって、

H市とは全く違うお店の数&規模で、買う前の、見る楽しさとか選ぶ楽しさが

全然違う。

買うつもりは全くなくて、見るだけでも、種類がたくさんあると、楽しいよね。

やっぱ都会は違うわぁーて思ってて。

で、今日久々に静岡で買い物をしてみて、ちょっと違和感が・・・

「あれ・・・これだけだっけ・・・???」

お店は何件かあるものの、規模が(私にとっては)大きくなくて

商品の数も、正直少ない。

見てて、すぐ終わっちゃうし、何よりつまらなくて。。。。

昔はそんな風に思わなかったのになぁ

やっぱ名古屋の大きさには敵わないのか

H市からだと、名古屋に行くのにも、静岡に行くのにも、まぁそれ程時間が変わらない

(名古屋の方が多少遠いが・・)

それに、豊橋からすごいお得な切符があるので、3000円程あれば往復できるし

年末は新幹線のお得な切符もあり4000円ほどで行って来れる。

・・H市の街中に、もう百貨店は要らないなぁ(あくまでも個人的意見)

というか、自分の周りでは、ずっと前から買い物は名古屋派(?)が

多かったわけで、私はずっと「わざわざそこまで行くのはめんどーくさい」

と思っていたんだけど、結局遅れてその仲間入りをしただけか・・・・

で。H市の街中は人が全然居ない(笑)

郊外の超大型ショッピングセンター(うちの近くにもイ○ンがあるが)が

何件もあり、皆そこへ行っている、ようなんだけど

先週めちゃくちゃ人の多い名古屋の街中を歩いていて、

今日も静岡市内を歩いていて、

思った。

オシャレな人が多い・・・・

すれ違う人の服装、髪型、バックなどなどなど見て

ホント皆オシャレで、びっくりした。

ショッピングセンターは、やはり所詮「ショッピングセンター」なのかもしれない。

刺激が全く違う。

そして、ふと自分が映ったショーウインドウを見て

「もっと身体を絞らなければ・・・・服が似合わない・・・・・・・・・・・」

子供が小さいと、特に私は男2人だったから、毎日走り回っていた

(1人は背中にくくりつけていた)

したがって自然とジーンズ&スニーカーばかりになってしまい、

そのまま雪崩れるように「まぁいいか地獄」に陥った時期もあったんだけど

やっぱ体型とか服装とか、どーでもよくなると、ただのおばさん、になってしまう・・・

よーな気がした。

いや、高い服を着ればいいってことじゃなくって、

何ていうんだろ?悪い意味で気にしない、というか?

心がけっつーか?

あぁ、やっぱ普段の心がけって大事かもしれない。

お洒落に限らず、健康とか、肌の調子とか、体型とか、勉強もcoldsweats01

地道に積み上げたものって、大きいんだろーなぁ

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どん底とは?

自分は、「逃げている」人が好きじゃない。

何から逃げている、って、現実から。

それはかつての自分でもあるんだけど。

そんでもって、別れた元だんなさんもそうだけど。

だから私は今、元だんなさんのこと、大ーーーー嫌いなんだけどcoldsweats01

はっきり言えば、一人の人間として、軽蔑に値する、あの生き方だけは

真似しまいと別れたときに心に決めた。

ついでに言えば、うちの親もそうなんだな。

彼らの生き方も全く尊敬できない(今はどうだろうか?会ってないのでわからないけど)

そっか、私の周りは、自分も含め、現実から逃げまくっている集団だったわけなのだ。

(まぁこの辺はどーーでもいい話だな)

現実から逃げるのは、簡単だ。

見なければいい、気にしなければいい、適当にやりすごせばいい。

真剣に、一生懸命に、人や仕事やその他もろもろと向き合うと

きっと必ず摩擦とか、嫌なこととか、嫌な気分とか、あるわけで

なぁなぁに流しているそれと、向き合いながら流しているそれとは

明らかに違いがあり、それが何かと言われても言葉では説明が難しい、

それこそ「ニオイ」なわけで。

「類は友を呼ぶ」というけど、これって本当だなぁって感じる。

(上に書いた、現実から逃げまくっている集団からも言えるように。)

類って、例えば、年齢とか境遇とかはもちろん、「一見同じように見える考え方」

とも違うんだと感じる。

もっと底辺なもの、

「生き方」なんだと思う。

誰かと真剣に向き合えるか?ということも、そうかもしれない。

(現実から逃げまくっている集団にいたときは、誰も向き合わなきゃいけないときに

逃げまくる人たちばかりだった・・・もちろん後から思えば、なんだけど。)

それを皆、無意識で感じ取って、「同じように生きている人」としか

仲良くなれないんだと、思う。

あともうひとつ、「どの程度の底辺を見たか?」

実は、この「底辺」が、自分がどの程度の底辺なのか、とか、そもそも底辺を見たのか?

とか、底辺とは何ぞや、というのが、よくわからない、

でも、自分抜きで周りを見渡してみると、底辺、っていうか、落ちたところから

どれだけ這い上がってきたか、という部分、

そもそも落ちたことがあるかないか、っていう部分も含め

そういう意味での底辺。

時々「どうしてこの人とこの人が友人?」って思うことがあって

それは、彼と彼の友人関係も、同じで。

どうしてあの偏屈な彼と

(そしてそれは、その人と付き合っている自分も偏屈、

っていうことにつながるんだろうけど(笑))

どうしてあんなまっとうな生き方・考え方をしている人が仲がよいのか

ほんっっっと理解できなかったけど

あぁそういうことかな?って思うようになった。

私には彼らがすごく魅力的で、しかも何も無い所から何かを築き上げたり、

上からズドーンと落ちたことがあったり、

それよりなにより、ストイックな中にも人間臭さがある。

完璧なストイック、じゃなくて、ストイックな中に隙間がある(見える)というか。

そう考えると、私にはストイックさって無いじゃん?

どん底から這い上がったとも思えないし。。。。

未だにわからないことがあるんだ、

彼に言われた、「お前が(自分と)付き合えるのは、(私が)どん底を見たからだ」と。

どん底ってなんだろう?

私の落ちたどん底とは一体なんだろう

もう3年も経つのに、未だにわからない。

ただわかるのは、彼の落ちたどん底と私の落ちたらしいどん底とは多分違うものだと

いうことだけ。

本当に自分のこと、というのは、考えれば考えるほどわからないものだなぁ。

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ことば②

私はいつか人の話を聴くようなことをやりたい、と思っているんだけど

どうしてやりたいか、っていうと、ただ好きだから。それだけなんだよね。

どうして好きかって考えても、わからない。本能の部分で好きなんだろう。

でも人の話を聴くのは、簡単そうで実は難しい。

前も書いたけど、基本的にその人の本当は、その人にしかわからない、という考えで。

同じ経験(例えば離婚とか)していても、似た様な状況だとしても

本当は誰にもわからない、

そんな気がしている。

経験したことのあることでも、本当はわからないんだから、

経験したことのないことは、もっともっとわからない、んだと私は思っている。

なのに、そのわからない(経験したことのない状況の人の話を聴く)ことを

どうして私はしたいのか?

これもよくわからないのだ、自分のことなのに。

バチスタを見ていて、こんなセリフがあった。

「話しを聴くのが好きだって言ってたけど、聴いてその人のことがわかったような気に

なっていただけじゃないのか?

その人がわかるというのは、その人の嫌な面も丸ごと受け入れるということじゃないのか?」

(実際のセリフとは違うと思う、こんな感じということで)

そう、そうなのだ。

誰かの本当をわかるなんて、出来ない気がする、

だって自分のことだってわからないんだもん。

わかった気になるのは簡単だ。

そして、わかってもらった気になるのも簡単だ、誰かに「あーわかるー」って

言ってもらえれば、確かに少し心は晴れる、そしてそれが大事なときも確かにある。

近くの人に言えない愚痴のようなことを、そっと漏らしたいときがあって

でもそれは近くにいる人じゃないほうが、いい(と私は思う)、

こういうブログとかも同じじゃないかと思う、

それに人には相性がある、同性でも異性でも。

話したいと感じる人のタイプは人それぞれ。

私がその1人になれればいいなと思う、んだけど、はるか彼方遠い道のりだ。

思った、私は飢えているんだな、そういう優しさとか、心を「なんとなく」許せる人、と

いうものに。

そう考えると、何でも、何かに飢える、ということは大事なのかもしれない。

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ことば

以前も書いたような気がするけど、今の主任さんに言われた

「見てる人は見てるから」

ということばに、私は助けられている。

いつどんな場面で言われたのか、覚えてないんだけど

時々自分のしてることに自信がなくなったときとか迷ったときとか

いつものこのことばを思い出す。

多分「自分の信念に自信を持って」ということをいいたかったんだと思う。

でもそれは、頑固になることではなく、人の意見も聞き、時に取り入れながら

自分はこうやっていく、と決めたら迷わないで、ということなんだと、思う。

言われたその時は、表面上だけの意味にとっていたけど

それだけじゃないんだろうなぁ、と主任さんと何年か一緒にやてみて、感じた。

人のことばって、すごくじんとくるときがある。

その時はわからなくて、でも心のどこかにずっとひっかかっていて、

何年か経ってやっと少しわかってくる。

今まで色んな人のことばに助けられてきた。

でもそれは「助けよう」として発したことばではないんだと思う。

あくまで、自然に出てきた、「その人自身の」ことば、

だから心に響いたんだと思う。

一見きれいなことばでも、きれい過ぎることばは心に響かないのは

(前も書いたかもしれないけど)、

自分のためのことばだから、

(自分が誰かに嫌われないようにしようという意味での)(もしくはマニュアルことば)

なんじゃないだろうか、って思う。

使うことばは選ぶけど、伝えたい内容は、「自分の心」を上手に伝えたい、

それが相手に響くかというのは、その次の問題、っていうか。

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森の中

時々自分が「どこに向かって進んでいるのか??」とわからなく

なるときがある。

仕事でもプライベートでも、目標があって、そのために自分なりに今できることを

している、つもり。

(それが的外れかもしれないけれど)

でも、その今やっていることが必ずいつか実を結ぶとは限らないわけで。

そう考えるとちょっと悶々としたりする。

自分としては、森を抜けることができると思って今をすごしているけれど

どうにもならないかもと思わないわけでもない。

でも、諦めたらそこで終わり。

どうして医療ボラの人間関係が難しいかって考えると

(私が今やっているボラはそれ程感じない。やっている部署が事務部門だから

かもしれないけれど。それに他の人はどう思っているかはわからない)

医療の現場で働く人は皆専門職で、プロ意識をかなり持っている。

(言い換えるとプライドが高い、っていうことだけど)

日々それなりの勉強を積んでいるのは事実だと思う

(実際そういう人をいっぱい見てきた)

だからあれだけ(いい意味でも悪い意味でも)プライドが高い、だからこそ

素人と見えるボラが(言葉は悪いけど)邪魔くさく思えたり、

「何もしらない素人」「お手伝いさん」と見られたり、ということもある。

専門職の職場は狭くなりがちだと何かで読んだ。

自分にプライドを持ちすぎるがゆえ、自分の考えが絶対だと思ってしまい

他の意見を取り入れることが出来なくなる、と。

以前付き合っていた男性が、言っていた、「『先生』と呼ばれる人がいる職場は

扱いにくい」と。

自分が森の中を抜けたとき、自信を持って自分の選んだことができるためには

多分だけど、専門的な知識を持って行う、というよりは

自分の生き方にいい意味でのプライド(誇り、といったほうが良いだろうか?)を

持ち続けて行うことが大事なような気がする。(知識も無しじゃいけないだろうけど)

自分のやり方や考え方に固執すると言う意味でのプライドではなく

・・・なんて書いたらいいのだろうか??

人の気持ちとかって理屈じゃないし、上手く言い表わせないことがたくさんあって

(それは私の表現力の無さのせいかもしれない?)

上手く書けないんだけど。(だったら書くな、って?)

来年の今頃、何をしているのだろうか?

予想できないところが、不安に感じるけれど、自分次第でどうにもなると考えると

ちょっとおもしろいかな、とも思ったり。

さて、大学の課題を開いてみようかー(まだ開いてなかったのかsign02

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本音

本音を言える人がいる人は一体どれくらいいるのだろうか?

心の奥底から、その人に心を開き、自分の正直な思いを伝えることのできる人が

いる人は、どれくらいいるのだろうか?

私は物心ついたときから、しゃべらない子供だった。

親にも言われたこともある「あなたは何もしゃべらないのね」

どうして自分は話したくないのか、その時は説明できなかったけれど

今思えば、自分を守るためだったと、思う。

言わないことで平穏だった。

それ位「言うこと」は、恐怖を伴うことでも、あった。

その結果、誰にも心を開きたくないとも思っていたと、思う。

今でも基本的には変わっていないんじゃないかって、思う。

そのほうが傷つかないから、自分が。

なので「何を考えているかわからない」と言われたこともあるし

でも言われても「何を考えているかわかってもらいたくないからそれでいいのだ」と

思っていた。

大人になるとは、もしかすると上手に嘘がつけるようになること、

なのかもしれないと思ったりする。

それが嘘だとわかってしまったとしても、こちらも嘘で返す、

傷つくことを知った大人は、そうやって自分を守り

誰かも守るのかもしれない。

ずっと自分に嘘をついて(=誰かに嘘をついて)生きてきたので

自分に正直に生きたかった。

でも私が一番なりたくなかったものが、大人というものなのかもしれない。

(よくわからないけれど)

話が脱線してしまったけれど、

今では、相手に自分の思っていることを伝えることは

とても大切なことだと、思うようになった。

でも物心ついたときからやってこなかったことを、今やろうとしても

方法がわからないので、回りくどくなってしまったり、遠まわしすぎたりする。

やらなければやらないほうが、自分もラクだから、逃げようとしてしまう。

できる人には、本当に簡単にできることだろうけれど、してこなかった人にとっては

本当に難しい。

でも同じコトを繰り返したくもないので、

地道にやって行くしかないんだろうけれど。

伝えるには、きっと経験が必要なんだよ。
受け取るには、きっと心が必要だと思う。

そう言われて、少し嬉しかった。

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オシャレのこだわりは生きるこだわり?

大人になって、働くようになり、そしてだんだん歳をとってきて(?!)変わってきたのは

(出来れば)良いものを1つ手に入れ、それを長く使いたい、ということだ。

消耗品でよいものと、出来れば違う方がよいものと、あるように私は思うんだよね。

そういう考え方が同じとしても、それが何か、ということは、人によって違うかもしれない。

私は

「毎日使うものほど、(可能である範囲で)良いものを」という考えで

(毎日使わないからてきとーでいい、というわけでもないんだけど)

例えば、時計、かばん、靴、ジャケット、コート、下着、アクセサリー・・など。

洋服も毎日着るけれど、枚数が欲しいし(毎日変えるし)、多少流行も追いたいという

部分もあるし・・・ということで、これは適当な価格(高くも安くも無い、という感じか)

なものを、適当に揃え、適当に買い換えていく。

でも、コート、ジャケット(スーツ類)は、定番モノを長く着る、というのが

昔からのこだわりなんだなぁ。

レロレロになったスーツって、なんかね・・・・(笑)

コートもいいものが1枚あると、その時は「高っっっ」って思っても、ずっと

着られるんだよね(定番モノに限るけど)

そして、下着(特にブラ)

これは絶対!(笑)ブラは私はT社しかつけない。それは他のメーカーは

私の胸に合わないんだよねぇ(笑)。

例えばW社はアンダーに合わせるとカップ(の特に形)が

全然フィットしなくて、心地悪い。安物を買うと、金具の部分が痛かったり

すぐヨレヨレになって心地悪くなってしまう。

ブラも一着買うと結構高いんだよねぇ、でもなかなか壊れないし(笑)

おかげで中々新しい1着を買う機会もないんだけど(笑)

バックは実はタンスの半分を占めているんだけど(笑)仕事用、プライベート用、

遊び用、ちゃんとした時用(って何だ?!)とか、色々な場面に備えてたくさん持っている、

ということで、どれも結構長年使ってるかも。。。。

たまに流行モノを買ったりしてたけど、すぐ飽きる(笑)手持ちの服にも合わせにくいし。

アクセサリーも、ネックレスは普段用とちゃんとした時用(ってホントなんだろう?)

の2個しか持ってない!(笑)←昔は色々持ってたけど、最後に残るのは結局

定番モン

ピアスに関しては、いつでもどこでも同じ2個(笑)←2つ穴があるので

どちらも安くなかったけど、どこでも使えるので重宝している。

昨年の彼の誕生日に「靴が欲しい」と言われ、私は結構奮発した(笑)

電車&徒歩で結構時間がかかるので(しかも徒歩だけで往復40分ほど)

歩きやすく、疲れにくく、雨に強い、という3点にこだわって、探しまくったんだよね

彼は、それまで通勤には、安ーーーーーーーい靴ばかりはいていたので

「そんなのありえん!」って思って(笑)

しかも私の中では、本当は

「試し履き(しかも両方履く)をしないで靴を買うなんてありえん!!!!!(゚ロ゚屮)屮」

って思ったんだけど。

いつも「足が疲れた」とか言ってるのは、靴が悪いせいもあるんじゃないかって

ずっと思ってて。こだわって探した甲斐があったみたいで、かなり気に入ってくれた

みたいでよかったんだけど、

結構、安物買いの銭失い、って部分があってね。

別に、有名ブランドじゃなきゃいけない、とか、高いものじゃなきゃいけない、

というわけじゃなくて、自分に合った、本当にいいものは、

ブランドとか高いから合うというわけじゃなく、使ったり着たりしてみた結果

自分はこれが合っていて好き!と思えるのものが、本当の意味での良い物、

なんじゃないだろーか、と思ったりする。

(ただ、実際は値段と性能はある程度までは比例する、とも思う。

超高級有名ブランドはこれに当てはまらないとも、私は思うけれど)

だから、色々試してみて失敗もした結果、辿り付ける、という部分もあるんだろうね。

そしてそうやって色々見てきたから、目が鍛えられるというのもあるかもしれないね。

それはモノに限らず、人、仕事、生き方・・・・もろもろにも通じるのかも、しれない。

私?まだまだ修行が足りないよーな気がする(笑)

全てにおいてねcoldsweats01

まぁまだ平均寿命の半分だから、わかるほうがおかしいかな?coldsweats01

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ブログだからこそ

ブログの使い方はホント人それぞれだと思う。

そしてこれじゃなきゃいけない、こういうのはいけない、っていうのは

無いようにも思う。

私は以前yブログにて、恋愛系をやっていたんだけど

やはり「ブログ」だから書ける、ということがたくさんあった。

「ブログだけで書いているだけでは、何も変わらない」という考えだけれども、

とりあえず書くだけ書いてみて、気持ちを落ち着けてみると、何となく、いつの間にか

次に進めていた、ということも、たくさんあったように思う

そして単なる共感でもなく、批判でもなく、その人自身の考え「私はこう思う」という

ものをたくさん寄せてもらい、その時は「そうかなぁ??」なんて思ったけれど

今その言葉を読み返してみると、「なるほど」と思えたりも、する。

先日、そのyブログで知り合ったAちゃんから

「彼氏が出来ました!多分ですが、春に結婚します」という内容の連絡が届き

あまりの急展開に一瞬「?????」だったけれど

いやぁ、嬉しいですねぇhappy01ホント良かったheart01

「近くの友達よりあの時の私の色々を知っている人だから」

不思議なもんですね、

近くにいる親しい友人じゃない、顔も知らないどこかの人になら話せる、という

ブログという場所は、使い方によってはかなり大きな役割を果たしてくれる。

いや、近くの友人だって全然構わないんですよ、私も話したことがある。

でもなぜブログなんだろう。

よくわからない。

よくわからないけど、自分の負の感情を直接「人」に向けて(その方法が

実際会う、電話、メールなどに限らず)発する、ということが、どれだけ相手に

苦痛を伴わせる、ということなのか、どこかで知っているから

ブログ、なんだろうか、と思ったりする。

ブログも、その向こうには読んでいる「誰か」がいるわけだけど、ブログがクッションに

なっているし、知らない誰か、なので、嫌ならスルーできる。

(これが相手が友人なら、スルー出来ないよね)

逆に「うわー自分と同じだ」って思ったら、それがどんなに負の内容としても

引き寄せられることも、ある。

友人って難しいモンで、何でも話せる、何でも聞いてくれる、のが友人、かというと

ちょっと違うかな?と私は思ったりする。

聞きたくない、ということじゃない。友人だから適当な距離も必要だし、

(いい意味で)気を遣うというのも友人だからこそ、なのかもしれない。

そういうある意味でのありのままの自分をさらけ出した結果、

近くの友人、とはまた別の種類の友人、が出来たりするのは

嬉しいことでもあるね。

彼女とは実際会ったことがあるんだけど、見た目とても華奢でかわいいんだけど

大阪弁でずーっとしゃべるところは、おもしろいというか?(笑)

あぁ関西の人、みたいな感じでsmile

以前も書いたけれど、べたべた感の強いyブログのシステムや空気が

私は好きではなかったので、ここに移動してきたんだけど、

私が顔も知らない誰かの言葉に助けられてきたように

私が顔も知らない誰かの心の助けにほんの少しでもなれれば

嬉しいというのが、ここの場所のある意味になるのではないかと思っているわけです。

(文章力が足りないけど・・・sweat02

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昨日見た夢③

のだめ21巻、この前読んだのね。

のだめ、って単なる音楽漫画(?)とか、キャラがおもしろい、とか

そういうだけじゃなく、登場人物のそれぞれが結構奥深くて、

私はそこがかなり好きなんだけど。

今回は、千秋とRuiがマルレで競演するんだけど、Ruiの演奏が千秋の思うような

演奏で、息ぴったりなのね。さらに、千秋がRuiを一皮むけさせてあげるんだけど、

その演奏を聴いたのだめが、かなりショックを受けて、千秋に結婚を申し込む。

(この結婚はあきらかに「逃げ」だろうなぁ)

千秋はそれをかわすんだけど(「逃げ」を読んでいる)

のだめはやる気が一気にゼロになって

そこへシュトレーゼマンがやってきて・・・

そんなあらすじなんだけど。

千秋は努力家の完璧主義、しかも天才肌。

Ruiも天才なんだろうね、のだめは天性の才能を持っていて(それは天才とは違った

才能)2人は間逆で、だから意識しあい、お互い自分に無い才能と比べてしまい

ショックを受けたりするわけなんだけど。

これをガラスの仮面に例えてみると(例えるなって?)

のだめがマヤで、Ruiは姫川亜由美って感じだろう(勝手な例えだ)。

おもしろいセリフがあって。

わたしはわたしでしかないし、わたしが見て聴いて

経験したことの中にすごいときめきや興奮があったってわかったし

それに

私は経験しなきゃ感じないタイプと違う

小説と同じね、経験しか描けない人もいる

ある意味 のだめには感謝しているのよ

みんな自分にないものに憧れちゃうのよね~~~(Rui)

のだめはのだめでRuiに勝てないと思っていて。

のだめの才能を羨ましく思う自分を乗り越えたRuiは大きなものを掴む。

ここで気になるのが「経験しなきゃ感じないタイプとは違う」

私は経験しないとわからないというタイプだし、誰も経験しないと「本当」は

わからないのでは??という考えなので

このRuiのことばがイマイチ自分の中でしっくりこない。

いつだって自分が最高だと思う演奏を目指さなきゃ

次なんてないかもしれないんだぞ

最高の演奏をして そしてまたそれを超えるものを目指す

若いくせに小さいこと言うな 

守りに入ってどうする?!守るものなんかないくせに(オケのコンマスのおじさん←確か)

あぁ・・・奥が深い

自分が掲げた目標を達成して初めて、次があるのだ。。。

自分がどこまでできるのか・・・・試すためには、枠の外に出ないと。

マンガも下手な小説読むよりよっぽどおもしろいものがたくさんあるんだよね(笑)

久々に漫喫に行きたくなってきた・・・

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義務と権利

先日大阪に向かうとき、名古屋でのぞみに乗換えをした。

夕方ということもあり、サラリーマンが大半を占めていた。

私は前から3人目に並んでいたので、何とか席に座ることが出来たけれど

座れず、車両を行ったり来たりするおじさんも多く、デッキに立っている人もいた。

私とぴーは、3人がけのシートの真ん中と通路側に座った。

窓側には50歳くらいのサラリーマンが座っていた。

車両に乗るとき、私の前に並んでいた(一人目、二人目)

20代後半くらいのサラリーマンは、私が座った前の席の、窓側と通路側に座り

真ん中の席は荷物を置き、そして真ん中と通路側のシートをマックスに倒し

お酒を飲みながら、しゃべっていた。

私は、シートを最大限倒すのは別に構わないけど、寄りかかってないのに

倒すのかぁ・・・?それに、こんなに混んでいるのに、真ん中をわざわざ空けて

座るのかぁ・・・?

席を探して通路を歩いている人も、端と端に座る人がわいわいやっているところに

割って座ろうとは誰も思わないだろう、ちらとみて、通り過ぎていた。

しばらく経って、私の列の窓側に座っていたサラリーマンが、トイレに行くのか、

席をたち通路に出るときに、前の2人組にさらりと何か言っていた。

何を言ったのか聞こえなかったんだけど、そのおじさんがデッキに消えたあと

2人組みの通路側に座っていた男性が、真ん中の席に移動し、シートの傾斜を

少し緩くした。

・・・あぁ、あの人、注意したんだ・・・

すごいなぁ。

「こーいう上司だったら、私どこまでもついて行きますっっ!!って、思うなぁ」

その夜、彼に話したら

「俺だったら、相手を怒らせるからな、怒らせないように言えるのって大人だし

自分も(そういう上司だったら)ついて行きたい」

「でもさぁ、子供ならともかく、社会人のいい大人がそんな子供みたいなことして

ちょっとがっかりだったよ・・・」

「会社で怒られなきゃいいんだろうな、会社でも注意されるから○○はしない、

でも会社以外のところでは関係ないんだろうな」

「ふーーん・・・そういうもん?」

「いや・・でもそういう人って仕事できないだろーな」

「あぁそうかも」

「でもあの注意したおじさん、すごい。思ってもなかなか言えないよね」

(私も黙ってたし)

「見て見ぬふりしたほうがラクだもんな」

電車といえば。

ぴーが校外学習時、JRに乗って学校に帰って来る時に

「券の買い方を知らない人がいた」

「自動改札が何かわからない人がいた」

「知らない人がいるんだね・・・・」

最近はカードが多いから、バス料金の払い方、電車料金の図の見方、を

知らなくても通ってしまう。

まぁそれはそれでいいのかもしれないけど、カードを忘れたとか、使えないとか

いう時もあるから、基本はやっぱ知らないといけないかな、と思って

私は子供達には教えたんだけど、こういうのを「学校で教えてくれる」と思っている人が

いる・・・そういうものかな??

何か違う、と思うのは私だけだろうか。。。。

義務を果たさないで、権利だけ主張する、っていうのが、私はどうも嫌で。

それが一番いえるのが、今私がいる職場かもしれないsweat02

いや、一応義務は果たしている、んだと思うけれど、

何か違うなーとずっと思ってることがあって。

それはこの前の体育祭のとき。終了が遅くなって、片づけをしているんだけど、

この世界(私の職種)では「定時の時間が来たら速やかに帰宅する」のだ。

(どこの学校でも。今回は、手伝って帰宅しましたが・・稀です)

よって片づけをしていても、先に帰るのだ。

うーーーーーーーん・・・・

私の中ではすごく嫌なんだ。職種は違えど、同じところで勤務している人間として

どうも嫌で。

とにかく「残業はしない」という考え。

(なぜしないかというと、手当てがつかないから)

「自分の業務以外のことは基本的にしなくてよい(する必要がない)」

という考えが強い。

ずっと会社や団体などに属していたので、最初はびっくりした。

会社じゃありえん・・・・

そういう職場っていつか必ず廃れると思っていたけど、

(残業をすること=いい事、とも思わないけど)

こんなに早くそれがされてゆくとは思わなかった。

「私たちの職場はどうなっていくのか」と言っているけど、私は正直、

「それは自業自得な部分もあるのでは」と思っている。

他の職種や、職場の人も、口に出して言わないだけで、心の奥では私と同じように

思っているのではないだろうか。。。

一回、事務さんにはっきり言われたことがある。

(当時はどうして私に言ったのだろーか、と思ったけど、見抜いてたのかな)

「○○(私の職種)はダメだよね、そういう考え方してるとこれからやっていけなくなるよ」

この事務さんは、私に結構よくしてくれたので、きっと私個人に対してではなく

一般論的に言ったんだろうけど、彼女の言うことはその通りだった。

自分たちの権利を主張しすぎて、他の職種の人とも結構色々あった時期も

あったみたいで、それによく

「私たちの仕事は本当に大変だよね、事務なんて一日中座ってれば良いから楽。」

「それなのにあの人たちのほうが給料がいい」

などとぐちぐち言う人の多いこと。

それぞれ大変な面があって、傍からはそれが見えないだけ(と思う)

そんなことばっか言ってるから、職場が奪われるじゃん。

私は運よく職種変更試験に合格したので、この職場とも今年でさよならの

可能性が大になってきた。

色々あったけど、ここで学んだことは本当に多かったなぁ(しみじみ・・)

いい経験でした、本当に。

(ってまだ異動が決まったわけでは、ないんだけど)

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昨日見た夢②

少し前の話なんだけど、彼と直接対決(?)してみたんです。

誰も言わないだろうと思って(笑)

いきなり大きな目標を立てたって、それが達成できる可能性は殆どないでしょ?

オリンピックの金メダル選手だって、いきなり金メダル目指す人はいない、

最初は地元の小さな試合、そして地区大会、全国大会、世界・・、

いきなり大きな試合に出て、負けるのはある意味当然で、だって

自分の実力にあってないんだもん、

私だったら、今自分にできること、それがどんなに小さいことでも、

それをこつこつ積み上げて、だんだん大きくしていくけど?

周りの人は、その目標に向かって『頑張って』とか言うけど、

ずっと思ってた、頑張ったって頑張ったって、結果が全然でないじゃん?

それって方法を変えたほうがいいってことじゃん??

だから、ただ、頑張れとは言いたくない(偏屈?)

だからずっと「自分が本当に考えた結果、それにチャレンジしたければ私は止めない」

というある意味ずるい言葉(でも基本的にこの考えは変わらないけれど)

をずっと投げかけてきたんだけどcoldsweats02

頑張れ頑張れ言って、ちやほや(?)され続けたら、

あの人も自分の実力を大きく勘違いして

ますます悪い方向に・・・・(いや、実力は多分あると、思うんだけど、

頑張る目標の方向が違いすぎるから結果が出ないのでは?と感じていたのだ)

だから、あえて言ってしまった。

もっと小さな何かからチャレンジしてみるとか、方向性を変えてみるとか、

同じとこ、ぐるぐる回ってるだけじゃ、意味ないじゃん。

先週会ったときも、別のことで言ってしまった。

最後に、嫌味かな、と思ったけど、この言葉も付け加えてしまった。

このクソ女が言うことだから、まぁそういう考え方もあるんだっていう感じで

流して聞いといて。

私は彼の思う(彼の持っている)頭のよさ、が無いから(笑)

どこか「このクソ女」と思っている節が多々あってね(笑)

私も「この頭の硬いおっさん」とか思ってるんだけど(笑)

だからお互いさまなんだけど、

先週は、このセリフを言った後、妙に納得した真顔をしていたので、

私の方が拍子抜けしてしまった。

いつもなら「何言ってるんだ?このクソ女」という顔を必ずするのに。

もしかして、私にとっては何のこともない一言が、彼にとってはキツイ一言だったの

かなぁ・・・・と反省したりして。。。。

誰かにぶつかることができる、というのは、その人を心から信用してるから

(私は)できるような気がする。

もちろん前提に、人間×人間の関係が出来上がっていることが、あるんだけど。

・・信用、というのは、ぶつかることによってその人が自分から去っていかない、という

意味での信用、ではなく、その人自身の持っているモノ、

現実から逃げないという心があるということ、

(相手が言ったことが正しいとか間違っている、という次元ではなく、

あくまでも目の前にある現実、という意味で)

を信用しているからできるような気がする。

私の対決(?)を真正面から受けてくれたことに

そして、自分も自分が思っている気持ちを、冷静に、感情的にならずに

伝えることができて、そして伝わったことが

私はとても嬉しかった。

お互い「こうして欲しい」「こうあって欲しい」っていうエゴがあって、でも

お互いが100%満足って難しいんだろうけど

なるべくそれに近づけるように、私ができることはしていきたい、

と思うけど、果たして自分は相手に伝えるだけで、

相手の思いをちゃんと聴けているだろうか?受け止めているのだろうか?

そんな思いが心の奥底のどこかにあって、だからあんな変な?夢を見たのかなぁ

・・まぁいいや(笑)

(まだ続く・・・もういい?)

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昨日見た夢①

小田さんの曲について、ではありませんcoldsweats01

昨日(今日と言うべきか?)見た夢が、気になってしかたがない。

どういう内容かというと、

20人くらいの男女が共同生活を何日かするのね。

そして最後の日に、男性が女性に告白をして、返事をするんだけどcoldsweats01

私はずっと男女関係なく皆と少し距離を置いているのね。

すると1人の男性(その人は、なぜか極楽の加藤なんだけど)が、

告白タイムの前の日の夜に

「どうしてお前はそうやって距離を置くんだ!」

「どうして俺にぶつかってこない?」

と怒鳴りながら言うのだ。

私は「・・怒られちゃった・・・」と、(´・ω・`)ショボーン

とするんだけど、その夜布団の中で考えるのだ、

「彼は確かに私に真正面からぶつかってきてくれたのに、私は・・・」

そして、告白タイムのとき、私の目の前に来たのは、全く別の3人、

そのどの人もその彼とはタイプが違うし、おっさんばかりでイマイチなんだけど

「・・・まぁこの人でいいか・・・」と一番無難な、その中で一番若い男性を選ぶんだけど

その彼(くどいようだけど、加藤)が、告白タイムに自分のところに来てくれなかった

ことに、ショックを受けるのだ

そこで目が覚めた(笑)

夢の内容って、非現実的なことが多いし、時に全く知らない人が登場してきて

朝起きたとき「あの人は一体・・・・・」って思うこともよくあるんだけど

どうしてそういう内容を見るんだろうか???

自分の潜在意識の奥深くに、そういうものがあるのだろうか・・???

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猫と暮らしたい

ちょっと前(だいぶ前?)から流行っている「猫カフェ」

すごーーーーーーく行ってみたいんだ・・・けど、私の住むH市には

無いのだ。。。。

猫カフェって、猫と戯れながら、猫とまったりしながら、お茶するんだよね???

あぁ・・・・行きたい・・・(* ̄ー ̄*)

耳の前の、毛の薄いところを、すりすりすり・・・ってしたり

にゃおーんといいながら、近づいてきて、おなかをべろんと出して、

なでなですると、うっとりした目をして・・・

あぁ・・かわいい(* ̄ー ̄*)

10ウン年前、死にかけの赤ちゃん猫にスポイトでミルクを与え、

寝るときはタオルで巻いてあげ、

ダンボールから脱走してこちらに来るので、胸の上に乗せてあげると

肉球をちゅうちゅうと吸い、そのうち寝てしまう、

その猫に私は「ねっちゃん」と名をつけた(笑)センスないなぁ(;´▽`A``

ねっちゃんはしゃべる猫だった。

ご飯の時間になると、私の顔を見て、大きな声で

ごはーーーーーーん」と言うのだ!ホント!!

寒い冬の夜中に私の背中をたたくので

「・・・・・・・」(私)

「・・・・・・・」(ねっちゃん)

しばらく見つめ合う、2人。

「・・・・・布団?」

「・・・・・にゃおん」(超小声)

布団をあげると、もぞもぞと奥に入り、一緒に寝るのだ。

赤ちゃんの頃を時々思い出すようで、じーーーと見つめた後、私のおなかの上に

「どっこいしょ」と乗ってくる(8キロ以上あったので、息が止まりそう)

ねっちゃんとは、生き別れたのだ(´;ω;`)ウウ・・・

最後の日も、ねっちゃんと一緒に寝た。

まだ元気らしい。よかった(* ̄ー ̄*)

話がだいぶそれたけど、ねっちゃんは、私が初めて飼った猫なのだ。

小学生の頃から、犬とか鳥とかもろもろの同居人(?)がずっといたけど

猫は『愛想無さそうだから』という思い込みがあった。

でもでも。

そんなこと全然無くて。めちゃくちゃかわいい。

あぁ・・・また一緒に暮らしたい!犬でもネコでも。

いつか死んじゃうから悲しいんだけど・・・でもやっぱり暮らしたい!

今のボロマンションを引っ越すときには絶対。

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24時間テレビの違和感

「24時間テレビを見ないと夏休みが終わった気がしない」

って書いたけど、確かにその通りで。

でも楽しみにしている、というわけではなくて。

でも夏の終わりの番組として定着してるわけで。

そもそもこの番組の趣旨はなんなんだろう??

24時間テレビの公式サイトを読んでみた。

趣旨、というコーナーはなかったものの、やはり、最初は障害をもつ子供のために

学校へ行けるように福祉車両を寄付したり、介護が必要になったお年寄りのために

必要な設備を整えたり、ということなんだと、思う。

http://www.ntv.co.jp/24h/contents/how.html

寄付されたお金の使われ方のコーナーにこんなことが書いてあった。

それぞれの活動を通して思いやりのある地域づくりができれば、

誰もが暮らしやすい地球をつくることができるのではないでしょうか。

そう、私もそう思う。

ここに書いてあることは、確かにその通りだと感じる。

でも、あんな風に、お祭り騒ぎすることとか(番組名をジャニーズ祭りに変えて欲しい)

障害があっても一生懸命生きていること(これはすばらしいことだと思う)を

変に美化してしまうこととか、

(この時点で、障害がある、ということを、特別なこととして見ているような

気が、私にはしてしまう)

が、なんだかうそ臭く感じてしまう。

なんか、全て「作られている」感、がしてならない。

目的が、福祉とか災害支援とかに使われる、ということから、障害のある人の

色々を紹介したり、何かやったりしているのかもしれないけど、

きれいな面だけみせられても、私にはなんだかなぁ・・・・って感じなのだ。

いや、色々なことにチャレンジすることを、非難しているわけじゃなくて、

本当の「誰もが暮らしやすい地球」を作ることは、あの番組には

できないんじゃないかと、毎年思ってしまう。

(お金は集まるけど。だから役立つモノは買えるけど。)

番組が始まった昭和53年当時は、今のようなスタイルだったのだろうか?

今回私がいいなぁって思ったのは、津軽海峡の横断のやつ。

(っていうか他に気になるのが無かったから見てないんだけど)

障害があろうが無かろうが、一緒に同じ目標に向かって進めるっていいなと思った。

ちょうど裏番組で、タイトルはわからないんだけど

「数字は嘘をつかない」っていうのをやっていて、その中のワンコーナーに

カンボジアのゴミ広いの少女の話があった。

彼女は言うのだ「私はゴミ山しか知らない」「夢はない」

夢がない、という世界が存在するのだ。

私自身の視野はかなり狭いんだなぁと、この番組を見て実感。

胸に深く刺さりました。

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うーむ。

「発言小町」というサイトがあるんだけど、ここについてyahooに紹介されていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080819-00000043-zdn_n-sci

私、以前にここについて書いたことがあるんだけど、

そんなに人気だったのね・・・

一時よく読みに行っていたけれど、途中から止めてしまった。

何かね、違和感を感じて。

(前も書いたけど。)

言っている(書いてある)ことは正論なんだろうけど、生きてく上で、

正論だけじゃ生きられなくて、でも「これが正しいのよ」って言い切ってしまうところとか

あと妙に男性に批判的だし、

枠から外れてしまった人にも批判的、

愚痴が多くて、なにかが渦巻いている(笑)

好きな人は好きなんだろうけど、私は好きになれなかったんだよなぁ・・・

まぁ嫌なら読みに行かなきゃいいだけの話なんで、あるときを境にぱたっと行くのを

止めたんだけど、確かに女性は好きかもしれないなぁーー

って私も一応女性だけど(笑)

日常の井戸端会議がネット上に移ったという感じなのかな

これに馴染めない私は、女性の集団に馴染めないってことなんだろうか?

まぁいいけど(笑)

でも、物事を客観的に見るということは、結構難しい、

どうしても感情が先立ってしまうから(女性の特性か?)

これからはそういうことを少なくしていきたいなぁ。

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人を呼ぶ力

今日で試験が終わりーーー

あと2科目っ!でも、しっかり読み込まないと回答不可能であろう2科目が

残ってしまった・・・休日は少しゆっくり寝たいところだけど

いつもより早く起きて教科書と格闘

小学校のプール解放当番で行ってきたんだけど、連合(子供会)の方から頼まれたので

私がもう1人お願いして、自分とこの字の会長さんにも来てもらったのね。

今年の子供会、子供達が主導で計画、実行、など行われているようで

(私は字の方には直接係わっていないのでよくわからないけれど)、

この前も行事を1人の親としてみていたとき、子供達なりにしっかりやってるなぁ、と

感動したのね。

子供達主体に行うには、それを仕切る親(役員)に忍耐が必要だろうし

それなりにはっきり言う必要も時としてあるだろうし(良い悪いということを)

口もつい出したくなるときもぐっとこらえて

・・・・いやーまとめ上手なんだろうなぁと常々思ってた

彼女は自分でもよく言うんだけど、ものをはっきり言う人なんだよね、

(昔、この手の人は苦手だったんだけど)

だから誤解されるときもあって(実際連合の方とちょっとあったときがあって)

私も「そこまではっきり言っちゃうか?」と思うときも確かにある、んだけど

彼女のいいとこは、筋が通ってる、というか信念がしっかりしてる、というか

周りに流されない、というか。そういう意味じゃ、敵(?)も多いのかもしれない。

そして彼女曰く

「やるなら楽しい方がいいじゃんね?」

その通りっshineと私も思うのだ。

いやいややっているのは、伝染する。

いや、何でも伝染する(だから類は友を呼ぶって本当だと思う)

彼女の周りには前向きで楽しいことを追及する人が集まってるんだろうなぁ

人を上手くまとめるのって、技術もあるかもしれないけど

それ以前に自分が持っているエネルギーによるのかもしれない。

(+のエネルギーには+のエネルギーが反応する、っていうか)

自分の意識って大事なんだなぁ。

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「毒になる親」からの脱出

以前「毒になる親」という本の紹介(?)をしたけれど

この本、ACの間では有名らしい

よって読んだことのある人も多数いるかと思うけど

この本が最後まできちんと読めた人は、斉藤学氏の本もオススメします。

http://www.iff.co.jp/saito/

どちらもきっっつーい事書いてあるけど(笑)

毒親が読めるならラクチンだと思います。

うちの親は、All Aboutに載っているコラムに出てくる親そっくりで

http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20040525A/

これに近い内容のことを、12年ほど前に育児雑誌に投稿した私(笑)

そしてそれが載り、しかもそれに対する意見が多数寄せられ

それがまた載ったという過去が!(笑)

そのころはACだの共依存だのいう言葉は全然知らなかったんだけど。

妹が結婚するときも、泣きついてくる始末

(「私はどうすればいいの?」って・・・・大人とは思えない発言・・・

てきとーにあしらいましたが、自分で何とかしてくれ、って感じです)

未だに自分にとってヤなことがあれば愚痴のオンパレード

(話すことはいつも後ろ向きで、決して解決の方向へは向かない)

小学生の頃から延々と聞かされてきたんですよ、今でも変わってないですcoldsweats01

勘弁してくれーって感じですcoldsweats01

って私も思いっきり愚痴ってますがcoldsweats01

愚痴は話す相手を選ばないといけないですよね。

最近思うのは、

自分としっかり向き合って問題を解決した人と、直にお話してみたい、ってこと!!

(もしくは現在向き合っている最中で、格闘中の方でも)

よかったらメール下さいwink

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自分の人生

以前「じぶんのため」という文章を書いたけど、

日本では「自分のために生きる」という選択は、良くとられないんじゃないかと思う。

誰かのために生きる、ということが美しいととられる傾向がある、

子供ため、とかだんなのため、とか

良妻賢母という言葉もあるしね

私は良妻賢母ということばは好きじゃないけど、だって、その言葉の裏には

「自分が支えているおかげ」という共依存的な感じを受けてしまう。

それに「1人の人間」としてみてない言葉、のような気もしてしまう。

母、妻であれば(他は)要らない、というか。他の生き方は要らない、というか。

それは本当に人(女性)を大切にする言葉とは私には、思えないのだ。

私はこの10年間、ずっと幸せになりたいっ、って思ってきたけど

私にとっての幸せとは「自分の足で歩く」ということだということに気が付いてしまった。

自らの意思で、考えで、自分自身で、人生の選択肢を選びとり、その選んだものを

大切にし、その繰り返し。

社会で言う「いい母親」とか親の言う「いい子供」は

本当に「いい」ものなんだろうか?「いい」という言葉の中には「正しい」という意味も

多分に含まれていると思うけれど。

女は結婚し子供を産み母として生きることが「素晴らしい」「よいことだ」という

(世間の)考えに洗脳されているだけかもしれない。

(もちろん、自分自身の考えとしてそう思っている人もいるだろう。その違いは

すぐに分かってしまうけれど。)

世間で言う常識は本当に常識だろうか?

テレビ、雑誌、本、誰かのことば・・に操作されているだけかもしれない。

私の考えはもしかすると日本的ではないかもしれない、だから

自分勝手って言われるかもしれないけれど、

少なくても私は日本のために生きているわけじゃないし、世間のために生きているわけ

でもない!(笑)

自分で考えて選び取った人生があって、その結果、例えば子どもがいたり、

今の仕事についていたり、友人がいたり、社会活動に参加したり・・・

自分を大切にする、ということはどういうことか?

自分を大切にすることができない人は、誰も大切にできない、

それは気持ちとか波長とか念(?)とか言うものは、無意識にまわりに飛び散るもので、

だから上辺だけ幸せとか大切とか思っていても

伝わるときには歪んで伝わってしまう、ということだ。

私の家族関係はそうだった。(私の親は自分を大切にしてなかったと今ははっきり分かる)

今の彼もそうだし。(彼は自分を大切にしていない)

私もできてるかっつーと、大いに疑問、だけど、

はっきり言えるのは、私はもう共依存には戻りたくないということだけだ。

自分の足でしっかり立ちたい。

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価値観

私の親は、自分が良いと思うことは絶対良いことで

悪いと思うことは絶対悪いこと、という考えだった(と思う)

というか自分の考えに違うことをすると、おもしろくなかったんだと思う。

小学生の頃から、私は思っていた、

「私は考えが違う」と。

でもそれを口にすると恐ろしいことになるので、口にはしなかったけれど。

大人になった今は、どんどん言っている。

(言い方は考えるけどcoldsweats01

自分と子供は別物だということを、親に分かって欲しいとは今は思わないけど、

私は今は大人になったので、それで親に何か言われても、勝手に言っていれば?

(てきとーに流す)というような感じだろうか?(笑)

世の中の「これが正しい」といわれているものは果たして本当に正しいのだろうか?

と疑問に思うことはよくある。

(逆に言うと、自分が良い、と思っていることはホントに正しいのだろうか?とも)

いや、間違っているということじゃなく、それがいい場面もあれば、よくない場面もある、

何にでもリスクはあるような気がする。

自分の価値観だけに添って子供を育てると、多分子供は自分と同じ価値観を

持つようになるものなんだろうか?

そこで子供に「違う」「私はそう思わない」って言われて

それを認められる親はどの位いるんだろうか?

親は子供に、自分が思うような大人になって欲しい、と思うものなんだろうけど

(私にもある程度、それはある)

私は親が思うような大人にならなかったように(それは自分で望んだこと)、

私の子供は私の思うような大人にならないかもしれない、

まぁそれはそれで構わない、だって自分がしなかったことを子供にしろなんて

言うのは好きじゃない。

私にとって生きることは哲学することなんだろうなぁ

答えなんてどこにもないし、正解なんてものもどこにもない、

だから迷うし悩むけど

親からの人生支配でもなく、世の中の価値観でもなく、他人の評価でもなく

自分で自分に問い続けるだろう、なぁ。

自分で自分に問い続けるためには、多くの、色んな人と出遭い、そこから色んな何かを

感じ取ることが必要な気がする。

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適度な運動

今日はバドミントンの大会日。

私のチームは残念ながら決勝トーナメントには行けなかったけれど

かなり楽しく、でも真剣に試合ができた。

体育館はとっても暑く、開会式から汗だく(笑)

試合も3試合あって、結構疲れた・・と思いきや、午後から学習センターへ行き

4回分授業を見てきた。

その間ずっと頭はさえているし、集中力もあるし、

なにより肩こりが解消されている!

10年ほど前の数年間スポーツクラブに通い、主にスタジオプログラム中心に

トレーニングを積んでいたとき、

仕事が終わった後でくたくた(もしくは仕事がハードな週の休みでくたくた)なはずなのに

いざ始めると、身体が軽くなり、汗をかいて、すっきり。

悩んでいた肩こりもすっかり無くなり、体脂肪は減るし、体力はつくし

ぐっすり眠って次の日一日がすっきり過ごせていた、という事実を経験済みなので

肩こりには適度な運動が効く、とずっと思っていた。

でも、集中力がつく、っていうか頭も冴えるんだよね、不思議と・・・(私だけか?)

今の仕事になって夜になると眠くて仕方んなくて、あまり思うように好きなことが

できなかったけど、スポーツすれば、体力もついて、少しのことじゃへこたれなく

なるんだろーなぁ、、、、と。

そんな風に思っていたら、丁度試合合間の雑談中にいい情報を仕入れた。

うちのすぐ目の前の建物が以前ゲーセン&某スポーツクラブが入っていたけれど

今それが解体されていて。で、何ができるのかなぁって思っていたら

また某スポーツクラブが入るらしい。

よし!入会しよう!

徒歩1分だし(笑)できる頃には2人とも中学生で帰宅も遅いし、

2時間くらいいなくても(今でも)全然平気だし。

ついでに、前から言っているテニスも(笑)どこでもいいから入ろうかな。

(まぁ今年の役員掛け持ちが終わったら、だけど)

とにかく、改めてスポーツの楽しさを味わえてよかった一日でしたhappy01

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好きだった人の現在

以前、すごく好きだった人がいて。

その人と「将来どういう風になりたいか?」という話しをしたことが、あった。

私は「今みたいな大病院じゃなくて、小さな医院で仕事をしたい(できれば

ここの病院から開業するDrについていきたい)どうしてかっていうと、

ひとりひとりともう少し丁寧に係わりたいから」というような内容のことを言った。

その人は

「自分はいつか地元に帰って、小児外科をやりたい」と言った。

(当時は普通の消化器外科にいた)

「自分の地元にはあまり専門医がいないんだ」と。

「子供の病気は、子供には罪は全くないから」と。

具体的に、どこの病院でやりたいかも、聞いた。

私は「じゃぁ私ががんになったら見て貰うからね」と笑いながら言ったら

意味がわからなそうな顔をしていた。

「だからーー、私を治してもらわないと困るから、ちゃんと腕を磨いてよね、っていう

意味だってば」って付け足すと、笑っていた。

あれから10年近く経って、私はそれに近づいては、いない。

むしろ遠ざかっている。

その人は、今、とある大学病院で「助教」になっていた。ってことは

今大学で教えてるんだろなぁ。外来ももって、オペもたくさんして。

そして、いずれ助教授になって、もしかすると教授になるのかもしれない

それとも経験を積んで、あの時言った病院へ行くつもりなのかもしれない

とにかく、着々と自分がなりたいと思った自分に近づいているんだなぁ・・・

別の人は、東京に行って、大きな会社のコンサルタントをしていた。

こつこつと地道に勉強をする人で、難しい資格にもチャレンジしていた。

今は大きなセミナーの講師なんかもしているらしい。

私に心理学の世界を教えてくれたのは、その人だった。

「その頃(30代~40代)は、大きな壁があって。でもそれに気が付いて、乗り越えられるか

どうかによってその後が大きく変わるから」と何度も言ってくれた。

私は、あの頃の私と、何も変わっていない。

「絶対なるから」って言ったのに、まだ何も変わっていない、それがとっても悔しい。

でも、いつかきっと必ず、私も実現するから、

そのために少しずつこつこつとやることを、忘れないように。

おだっちの「風のように」が、数年前から突然心に染み入るようになった。

ここから先へはもう進めないと くじけそうになるときはいつでも

きみのことを思い出して 歩き始める もういちど

そこから逃げれば 夢はないだろう

振り返るのは 最後だけでいい

誇りある道を歩いてく どんな時も

やがていつか ひとりだけに なってしまうとしても

「好き」でも「嫌い」でも「愛してる」でも「愛していない」でもない、

説明のできない存在の人。

その人たちから会いたいって連絡が来たとしても、決してそうしないと思う、

過去の人だから。

でも大切に思っている。

大切な色々を教えてくれた、大切な人。

そのおかげで、今の彼に出遭えたんだろうから。

私も、がんばる。

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自立を嫌がる?親

私の親は、とにかく私を支配したがっていた。(後から思えば、だけど。)

そして私はそれが苦痛で仕方なかったんだけど、それでも従っていた。

以前『毒になる親』を紹介したけれど、あれにぴったり当てはまる私の親は

まさに『毒になる親』だったというわけだ。

それは私自身がそのことに気が付くまでは毒になる親、だったということにも繋がる

わけなんだけどsweat02それに気が付いたらからすぐに治るっつーモンでも無いとも

思うけれど、取り合えず気が付いただけでもよかったと、思っている。

さてさて。

ここで冷静に振り返ってみると、私の親はよく

「私達のいうことを聞いていれば間違いないのよ」と本当にしょっちゅう言っていた。

本当にそうなのか?と疑問を持ちつつ、そうしないと恐ろしいことになるとも

知っていたので、従っていたわけだけど、それを初めて破ったのは

結婚したとき、だろうか。

でも結果として離婚したわけで(今思えば離婚したことは大正解)

その時「ほら、やっぱり」「言うことを聞かないからだ」としつこくしつこく言われ

その頃からやはり私は親の考えとは違うんだということにはっきりと気が付いた。

「失敗することはよくないことだ」という考えが根底にあると思われる。

そのほかに「離婚することは恥ずかしいことだ」という考えもある。まぁこれは親の年代

では仕方ないことなのかもしれない。でもそれをはっきりいわれた私って一体・・・

ここで関係ない話になるんだけど、いつも行く美容院のお兄ちゃん(30歳だけど)も

バツイチ、しかも結婚して1年くらいで別れてしまい、現在は子持ちバツイチ女性と

再婚し、幸せに暮らしているようなんだけど、その彼が離婚したとき

「おやじに、しばらく黙っていた後『まーそーいうこともあるな』て笑っていわれて

拍子抜けしたんですよ」って言われたという話をして、私は「うーんいいお父さんですねぇ」

と答えたら「え?そうですかっ?」って言っていたけど、離婚したことがいい事という

意味で言っているんじゃなく、「そういう選択をした息子」そのものを認めてあげている

ということが伝わってきて、そういう意味でいいお父さんだと私は答えた、んだけど。

話しを元に戻すけれど

だから私は親に、何事においてもいつも先回りして、失敗しないように設定されてきた。

でも思うんだ、失敗することはほんとによくないことなんだろうか?と。

大切なのは自分が悩み、考え、決めたことを実行してみる、ということなのでは

ないだろうか?と。そして、その結果の責任も自分でとる、それが自立すると

いうことなんじゃないのかな??

もちろん、小さいときは自分で決める、責任を取る、ということは困難だろうから

親が示してあげたり、カバーしてあげなきゃならないのだろうけれど

(これは以前付き合っていた彼に言われた)。

「失敗しないように」してあげたい、というのは、実は親のエゴというか支配したいという

気持ちの裏返しのような気がする。

支配したいという気持ちは、子供の自立を妨げることだと、思う。

失敗しないようにさせたいということは、無意識のうちにそのように親が設定している、

というか、親の思うような人生(失敗しない=上手くいっている人生)を歩ませたいという

やはり一種の支配、そんな気がする。

私は、失敗するときもあるんだと、思う。間違えてもいいんだと、思う。

大切なのは、失敗してもあなたはあなただ、という気持ち、っていうか

それでもいいんだよ、という目というか。上手く言えないんだけど。

そこから立ち直るのも、自分自身の力、でもそっとフォローしてあげる、

どこが悪かったのか、どこを変えればいいのか、それを見つけるのも自分自身、

でもそっとフォローしてあげる、難しいけど。

何でも失敗なく、完璧にできることなんて、あるんだろうか??

間違える時だってあるし、至らないことだってあるし、不完全なときもある

・・むむ・・・レミオの「Wonderful&Beautiful」の歌詞に似てるぞ(笑)

でもそういう自分も自分なのだと思えることのほうが、失敗しないということより

大事なような気がする。

もちろん同じ間違いを何度もするのはどうかと思うけれど・・

(そーいう意味では私はあまり言えないんだけど・・・coldsweats01

失敗するときもある、でも反省はしっかりしたい、そして次に生かす、

まず私自身がそのようにすることなのかな。

(親に関しては、他にも書いてみたいことが山ほどある・・・coldsweats01ホント子供に依存する親

なんだよね・・・coldsweats01重いっつーか、自分自身のことや、自分の気持ちの面倒を

人に見させることがこれほど不快且つ恥ずかしいことなのかということが嫌ほど分かり、

自分自身の反省にも繋がっている、だから

それはそれでいい経験なんだろーけどさcoldsweats01

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世渡り上手

昨年の話だけど。

修学旅行のお土産を先輩から貰ったはかせ。

もらったものは、地域限定ハイチュウ。

それをうっかりパソコン室のデスクの上に置きっぱなしにしてしまい

「おかぁさん、貰ったお菓子を学校に忘れてきちゃった、どうしようぅぅ」

学校はお菓子禁止(まぁどこもそうだろうけど)

それを知っているので、見つかったらやばい、とあせるはかせ。

なんてバカな・・・・すぐしまえばいいのに・・・

仕方ないので先生に事情を話したところ、修学旅行の後はそれぞれの部活で

お土産のやりとりがあるから、ということで見逃して(?)もらったんだけど、

実は普段の部活の最中でも、飴とかやり取りがあるみたいで

「おかぁさん、今日先輩にキャンディーもらったけど、よかったのかな?」

と聞かれたので

「いいだよ、そーゆー時は『ありがとうございます』ってお礼言ってもらっておけば

それでいいだよ」

と答えた。

私の勤務先でも、時々体育館裏にお菓子の包み紙が落ちていた、とか

かんだ後のガムがあった、とか言っている。

もちろんきまりで「お菓子は禁止」といわれてはいるから

堂々と「別に食べてよい」とは私は思わない、んだけど

コッソリ食べたい、という気持ちもわかる(自分もそうだったし)

先生の目を盗んでいかにわからないように食べるか、

そういうのも知恵というか?(笑)

例えば部活の友達が持ってきて、皆でコッソリ食べよう、ってことになったとして

これを読んでくれた人、そこのあなた(笑)どうする?

決まりだから「要らない」ってキッパリ断る?

何となく付き合いでもらう?

私も食べたかったんだーと言って喜んでもらう?

まぁ人それぞれなんだろうけど、そこでいつもいつも生真面目に「決まりは守らなきゃ」

と、私は言わないだろう。

いや、基本的に決まりは守りたい人だ、でも、そういうのもアリかな?と私は思う、

矛盾しているけれど。

いつもいつも規則を破るようじゃいけないとも思うけれど。

そういうのって親が教えるっていうより、子供の中のやり取りで学んで行くというか

難しい所だけど(笑)

(規則を破ってもいい、と言ってるのではないです、念のため)

そういう崩し方(?)は私はありかな、と思う、けれど

そうじゃない人だっているだろうから、難しいところなんだけど。

しかし、社会に出て上手く世渡りしていくには(生真面目じゃ生きていけないし・・・)

そーいうのも必要なのかな?なんて思ったりしますが、どうなのかな?

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教育ママ

以前も「学歴」ってなんだろ?っていうようなこと、書いたけど。

勉強はそりゃできないより、できたほうがいい、

でも、いい高校とか大学とかに、どうして拘るのか?

私は自分では拘っていないつもり、だったけど、中学受験を少しでも考えた時点で

自分だって拘ってるじゃん?って思った。

思うに、さっきもはかせのとこで書いたけど、色んなタイプの子供の中で

もまれた方がいいような気が私にはする。

学校って社会の縮図、っていうか社会とそう変わらない、よーな気がする。

子供か、大人か、という違いはあるけど、

人間関係のあり方はそう変わらない(よーな気がする)

だから学校で上手くできれば、社会でもまぁなんとか上手くいくような気がする。

(学校で上手くいっていても社会で上手くいかなくなっちゃう場合はあるだろう、

でも学校で上手くいかなくって、社会で上手くいくのは難しいような気もする)

タイトルから話が既にそれているけど、

私の勤務する学校は、市内でもトップクラス(成績が)。

市内で一番の高校へ入る人数が他の学校の4~6倍くらい多いんじゃないだろうか。

見た目はいわゆるいい子が多い。でもなんていうか、中学生っぽくないんだよね、

それは最初来た年に思った。なんていうか、自分の中学生時代を思い出すような(笑)

それを物語っているかのように、教育ママがわんさといるんだよね、ホント。

○高以外は高校じゃない、と言い切る人が多くて、

どうやっても受からないっていうのに、押し切って受験させる。

(結局落ちる)

でも教育ママゴンたちは「○高を受けた(落ちたけど)」というハクがつくことが

いい、らしい。「記念受験」とか、一体なんだ?

うーーん、よくわからん・・・

いや、「私には」よくわからん、でもわかる人もいるんだろうなぁ。

「部活をばりばりやっていたのに、○高に受かった子がいて、ホント親孝行」

だという話しをした、という話しを(直接)聞いた。

私は、何か違和感を感じた。

○高に受かることは親孝行なこと、なんだろーか・・????

私にとっては、別に親孝行なことではない。

○高だろーが▲高だろうーが、◎高だろーが

本人が行きたいと思い努力した結果合格したのなら、それは嬉しいことであるけど

どこの学校に受かっても親孝行だわ、などどは思わないのだ。

何か結局親の見栄なのか?

子供が○高に受かったという話になれば、ほぼ間違いなく「すごーーい」という

反応が起こる、それがその親のアイデンティティとなっている、のだろうか??

子供の評価=親自身の評価、となっている、のだろうか?

まぁそう思う人はそうすればいいんだろうけれど、私は、子供が、有名高校や大学に

受かったとしても(はかせはありえないな・・・・coldsweats01

それは子供の評価であって、私は私の実力(そんなモンあるのかわからんけど)を

発揮して自分の評価を得たい!!

またしてもタイトルから離れているけど、学歴は、そりゃないよりはあった方が

いいのかもしれないし、無名大学より有名大学のほうが、いいのかもしれない、

けれど、それで社会で上手くやっていけるということは必ずしも=で繋がらないのでは

ないんじゃないだろうか?

勉強もスポーツも人間関係も、って求めすぎているような気がする。

それでうちの学校の生徒は疲れている(笑)

前も書いたけど、人のふり見てわがふり直せ

自分の本心をちゃんと見つめなおして、自分の行動言動の反省をしなくっちゃ・・・・

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愛されること

ここんとこずっと職場での話題に、あの秋葉原の事件のことがのぼっている。

新聞や、ネットで読んだものが本当だとすると

あの彼はどこにも逃げ場がなく、愛されているとか大切にされているとかいう

実感がまるでなく、心はずっと1人だったんじゃないかと思ったりする。

家族(親)との信頼関係が作れなかったということは、他人を信用することも

できなかったんだとも思ったりする(それは自分では分からないんだけど。)

成績が下がったとしても、大学に入れなかったとしても

「それはそれでよい」「そういうこともあるんだ」そして、その後が必ずしも

上手くいかないことばかりではない(それは本人の努力次第なんだろうけど)

ということを教えてあげるのは、私は親の役目ではないだろうか、とも思ったりする。

「親に厳しくされていても、犯罪を起こさない人もいる、(起こすことは)

だから人を殺しても良いということとは違う」という意見が出たけれど、

確かにそうだと思う、彼には甘えがあった。

「誰かに止めて欲しかった」っていうのも、

「彼女ができないのは容姿のせいだ」っていうのも、

甘えでしかない、と思う。

でも。でも。

そういう形で爆発してしまうほど、彼は甘えたかった、

ずっと抑え続けてきた「甘えたい心」を思うと、胸が痛むのだ。。。。

さっきの「親に厳しくされていても・・・」のセリフの中には実は

「厳しくすることは悪くない」という考えがあるような気がしてならない。

いや、厳しくてもいいんだけど、

甘やかすんじゃなく、甘えさせてあげるという意味での「甘え」

厳しさの中に「甘えさせる」という飴は必要なんじゃないだろーかな・・?

私はずっといい子をやってきたと思うので、そういう意味では

彼のやったことは許せないけれど、奥の奥を考えると、胸が痛い。

いい子はいつまでもいい子ではいられない。

あたり前って言えば当たり前なんだけど。だって、「いい子」は「私自身」じゃぁ

ないんだから。いつか必ず「私自身」の芽が我慢しきれず出てくるんだよね。

いや、死ぬまでそれに気が付かない人もいるんだろうけど。

それはそれで幸せなのかもしれない。

「親の教育のせいにして」って思う人も多分いるんだろうけれど

いつか書いた、

自分を癒すには一旦棚上げしないとできない、って。

「親のせいだ」って声を出して言っていいんだって、私は思う。

きっとその後、また別の気持ちが芽生えてくるだろうから。

愛されたことが無いんだろうな。

大切にされたことが無いんだろうな。彼は。

だからあんなにたくさん殺してしまった。

誰か1人でも自分を大切に思ってくれているんだって実感できていたのなら

彼はあのようなことはしなかったんじゃないかな、って勝手にだけど、思う。

自分を愛せて、自分を大切にできて、他人を愛せる(大切にできる)って思うし

あちこちにも書いてある。

でも愛されたことのない人が自分を愛せっていわれても、難しいよね。

やっぱ親とか家族とかが愛してくれて、それを実感できたからこそ

自分を愛し、大切にし、他人も大切にできる。

同じ「大切にされなかった」として、犯罪を起こす、起こさない、の境目は

そこにあるんじゃないのかな

そう思うと、私は、愛されてきたのかな、今でも好きじゃない両親に。

(多分一生「好き」にはなれないだろうけれど)。

そう思うと、彼は本当に愛されてこなかったのかな、誰にも。

胸が痛い。(何度も言ってるけど)

こういう子供が増えませんように。。。。

(注 この文章はあくまでも私の勝手な憶測で書かせてもらいました)

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ストレスよ、さよーーならっ

今年は、人間関係の枠がぐぅーーんと広がった気がする。

今までの仕事&ボラ(元々あった友人関係は抜かして)に加え

子供会、ボーイスカウト、組合・・・

色んな人と接触して、見て、

当たり前のことを当たり前に(さりげなく)できる人っていいなぁって(私は)思った。

当たり前のことを「特別(なこと)」にする必要は、どこにも無くて。

当たり前のことを特別(なもの)にしよう(変えよう)とするから

疲れるんじゃないだろーか、と。

当たり前のことを特別なものにすれば、第三者の目には確かに「すごいなー」って

映るけれどね。でも少なくとも私にとってはそれはどーでもいいことだなぁ。

日常は淡々とやりすごし、(私は、淡々っていうよりてきとー、と言ったほうがいいかも)

自分に大切なものはじっくり取り組む。

そうやってストレス発散(笑)

さー朝ごはんをちゃちゃっと作って、ぴーすけの観察だわ(笑)

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「毒になる親」

「愛する」ってどういうことなのか、わからなかった。

「安心感」とは何なのか、わからなかった。

「しあわせ」とはどういうときに感じるどういう感覚なのか、わからなかった。

自分がACではないだろうか?と思うようになって3年くらいだろうか?

「親は大切にするもの」

どうして大切にしなくちゃならないのか?会いたくもないし、話も最低限しかしないし

うっとおしい存在でしかない。(なかった?)

思えば、母は共依存な人だったんだろうな、

常に子供を支配していた。

私とやり合ってから(笑)少し変わったのか??よくわからないけど、

あまり気にならなくなってきた。

でも、多分私のことを支配できなくなったので、その矛先が妹にずっと向かっていたのは

わかっていた。

そして母の思う幸せを、妹に押し付け、

バカな妹はそれを受け入れ、再婚した。

あ。別に再婚した旦那さんが変な人っつー意味じゃない、

いい人すぎる、っていうか「普通」の感覚を持っている人だと、直感で感じた、

だから、多分妹が物足りなくなる、っていうか違和感感じるようになるんじゃないかって

不安に思ったりする。

彼女は自分が親に支配されている、っていうことに気が付かないと

幸せにはなれない、って思う、だから、妹が再婚したときは正直素直に

喜べなかった。(母は喜んでいたけど)

だから、しばらくずっと実家とか妹から、距離を意識して置いていた。

自分の中でちゃんと決着つけるには、共依存(であろう)な人と離れることが

必要だと思っていたから。

「毒になる親」っていう、きつーーーい内容の本があるんだけど(笑)

これには「毒になる親を許す必要はない」と書かれていて、画期的なんだけど(笑)

自分の中で本当に消化するには、一旦棚にあげる必要がある

と言われ(これは彼に言われた)

その意味がよくわかんなかったんだけど、その頃これを読んでいたら

なるほどなぁって簡単に棚上げできた、かもしれない。

帯に恐ろしいことが書かれているtyphoon

子供は一生苦しむ

毒になる親に傷つけられた子供の心は、年を重ねても癒されることはない

不安、怒り、過剰な義務感、つきまとう罪悪感

ひえぇぇcoldsweats02

まぁでもそうかもしれない

でも、親を恨む気持ちってだんだん減ってくる、っていうか

まぁいいか、みたいに思えてくるのは事実かも。

そーいう自分と付き合っていこう、って思える、っていうか。

毒になる親に育てられた子供は、愛情とは何なのか、人を愛したり愛されたりすると

いうことはどういう気持ちになることなのか、ということについてよくわからず

混乱したまま成長する。

その理由は彼らは親から「愛情」の名のもとに「愛情とは正反対のこと」を

されてきたからなのだ

(中略)

本当の愛情とは何なのかがようやく理解できたとき、自分の親は愛情の無い、

または愛情を理解することのできない人間だったのだということを

思い知るだろう。このことこそあなたが受け入れなければならない、

人生で最も悲しい事実なのである。けれども、はっきりと親の限界を知り

彼らのおかげでこうむり苦しんだ被害について明確に確認することが

できたとき、あなたは自分の人生において本当の愛情であなたを愛してくれる人たちの

ためにドアを開けることになるだろう

(中略)

人間として真に成長するのは平坦な道のりではない

不安、恐れ、罪悪感、心の混乱、などといったものが永久になくなることは

ありえない。そういうものがないという人間はこの世に存在しないのである、

だが、あっても、もう左右されなくなる、これがカギなのだ

(後略)

「自分の幸せってなんだろう?」

「幸せになりたい」

心から願ったときから、きっと変わっていくんじゃないかと、思ったりする。

この本では「一生許せなくても良い」と言ってると思うけど、

そう言ってくれるからこそ、許せるんじゃないかと思ったりもする。

「許さなきゃ」って思っていると、いつまでも本当の意味では許せないような気がする。

それこそ一旦棚にあげて初めてできることなんだなぁって、これは実感。

(棚にあげっぱなしになってしまう人もいるのかも知れないけれど)

前、言われたんだよね

「自分が許すのは自分自身」だと。

その時は意味わかんなくて。

でも今ならわかる。なるほどなぁ、って。

「毒になる親」に育てられた私は多分「毒になる親」なんだろーなぁ

でも自分を責めることはしない。(それでよしとするということではない)

ただ「ありのまま」を認める(これが難しくて、最初全然できんかった)

反省も、もちろんする。

私は今、自分の親のことを恨んだりしてないし、会いたくないとも思ってないし

(いやまだ100%とはいえないけど)

親も苦しんできたんだと、なんとなくわかってきた(ような気がする)から。

私が完全回復することは難しいような気がする。

40年かかって作った借金は返すのにも40年かかる(前にも書いたか・・)

だから死ぬときにやっとこさ全てがわかるような気もしている。

まぁぼちぼちと行きましょう(生きましょう)、ぼちぼちとsnail

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じぶんのため

 自分が今している、色々なことは、どうしてしているんだろう?

 子供のため?

 親のため?

 旦那のため?

 世間体のため?

 学校のため?

 知らない誰かのため?

 愛する誰かのため?

前は、例えば子供会の役なんかは「子供のために、やっている」なんて

思っていたけど、最近は何かちがうなーと感じたりする。

自分が今やっていることとか、ついている仕事、身の回りで起こった状況、

などなどもろもろの全ては、全部自分が選び取ってきたものだと思う

(この前書いたけど。)

だから、やっているすべてのことも、誰かのためじゃなく

自分がやりたくてやっているんだろうなぁと思う。

山のような洗濯を干したり、毎日食事を用意したり、仕事に行ってくたくたになるのも

全部自分がやりたくて、やってる。

自分のためにやってる。

それは自分勝手に生きる、ということとは、違う。

そうじゃなく、自分の人生を誰かのためのものにするんじゃなく

自分のためのものにしたい。

もちろん家族も仕事も勉強も趣味も全部大事なものだけど

自分のために人生を使えなくて、どうして誰かの人生を大切にできるのだろうか?

誰かの人生を大切にするには、どうやって人生を大切にしたらいいのか

方法を知らないと出来ないように思う

(それは机上とか理屈とか想像でわかるものでは無いと、私は思う)

結局、経験、なんだろうなぁ

経験したことのないことは、どうやってもわからないんだって感じる。

そういう意味で、平凡な人生って、私はつまらない(笑)

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憧れの乗り物と便利さと。

私の小学校の修学旅行は東京だった。

私の1つ上までは、伊勢へ日帰りだったのだけど、私の代から

一泊で東京になったと聞いたとき「やったー」と思った。

東京へ行くのは初めてじゃなかったけれど、すごく嬉しかった。

半日バスにゆられ、到着した最初の場所が、羽田空港だった。

私の住む県では飛行機は全く身近な乗り物ではなかった。

空港は無いし(よって、飛行機を見たこともない)、それより当時は飛行機は

お金持ちじゃないと乗れないものであると、思っていた(笑)

まさに、憧れの乗り物。

だから羽田空港を見学できるというのは、夢のような出来事で(笑)

ターミナルビルの屋上(多分)で持参したお弁当を食べた。

下の方を見ると、飛行機がいた。

感動したなぁ

大人になって、初めて飛行機に乗ったとき、すごく感動した(笑)

嬉しくてね、1人ではしゃいだりして(笑)

子どもの頃から、東京の全てが憧れだったなぁ(田舎モンだったからかな?)

どうしてだろう?理由はよくわからないけど、あの頃から東京に住みたいって

思っていた。(今も思っているけど)

そーそー、子どもの頃、他に憧れていたのが、新幹線の食堂車(笑)

浜松からは当時はこだましかなく、こだまには食堂車が無かったんだよね。

いつかひかりに乗って、食堂車を利用したかったんだけど、その前に無くなってしまった。

新幹線といえば、昔は冷水器がついていたんだよね。

紙コップが設置されていて、それに注いで、飲む。

意味もなく何回も注いで、飲んだりして。飲みたいわけじゃないのに(笑)

でも、どうして冷水器がついていたのだろう?

鉄ちゃんだった彼にも聞いてみたけど、わからないよねぇ、で終わってしまった(笑)

乗りたいといえば、ブルトレもまだ乗ってない。

昔は時刻表にも「寝台列車」のページがちゃんとあったけれど

今は無くなっちゃったね、まぁあれだけ新幹線が走るようになると

もう要らないのかもしれないけれど。

何かね、時間が節約できて、早く着く、っていうのは確かに時間を有効活用できて

すごくいいことなんだと思うけれど、

何か、ほのぼのとしたもろもろのものが無くなってしまったような気もする。

これも彼と話して盛り上がったんだけど、

L特急とかに乗ってて駅に着くと駅弁売りのおじさんとかおばさんが来たりとか、

昔のお茶は、プラスチックの容器に入っていて蓋がコップだったとか

あのお茶がどうもプラスチックくさかったとか

話すと色んな「懐かしい」が出てくる(笑)

そうそう、話がそれるけど、私、最近の高速のSAやPAがあまり好きではない。

まずどこのSAやPAにもコンビニがある。便利かもしれないけど

どこも同じでつまんない。

それに妙にきれいになりすぎて、置いてある商品もどこも似たようなものに

なってしまって、やはりつまらない(笑)

「ここに行ったら、あれを食べる(食べたい)」っていう特徴あるものが

何か減ってきている気がするんだよね。

それに、あの小汚い(失礼?)な感じがまたよかったりしたんだけど(私は)。

これもコンビニのせいだと私は勝手に思っている(笑)

いつでもどこでも同じ商品が手に入るという安心感みたいなものはあるかもしれない

だから、仕事で高速を使う人にとってはいいのかもしれないなぁ

かなり脱線してしまった・・・

今の時代は、ものがたくさんあって、それを利用することが誰も可能になって、

そして、便利になりすぎて。

それはいい事かもしれない。

ただなりすぎると、感動することという能力が衰えて行くような気がして

哀しい気もする。

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本能

「ねぇおかーさん、今日バスの中でオカマ・・っていうかニューハーフ、見ちゃった」

「へぇ?どうしてわかったの?」

「だってね、長い金髪でピンクのぴちぴちのジーンズみたいなのを穿いてるんだけど

股間がもっこりしてたし、声が男の人だった」

「へぇ?」

「なんか不気味だった」

「そう?私なんかジャスコで声かけられたことあるけど、不気味じゃ無かったよ」

「そうなんだ、でもどうして女装するのかな?」

「うーん、理由なんて多分ないんじゃないかな?ほら、おなか空くとご飯食べたく

なるよね?そーゆーとき別に理由なんか無いよね、おなかが空いたから食べたいって

いう、本能。それと同じなんじゃないかな、多分」

「ふーーーん」

clubclubclub

本能・・よくわからない力だ。

人は意識的に選んでいるものもあれば、無意識に本能で選び取っているものだって

ある。

どうして?って考えても理由が見つからなくて、

でもその奥の奥の奥のほうには、私の知らない私がいたりする。

昨日「居場所」について書いた後、考えてみた。

居場所、ありますか??

自分の本当の居場所。

「居場所って、何?どこ?」

そう感じる人は持っていないのかもしれない。

子どもの頃の私の居場所は、ベット(布団)の中だった。

それも大人になってから、ああ・・ってわかった事で、その時はそんな風に

思っていなかったけれど。

私にとっての居場所は、本能で心地よく感じるところ

ずっと転々としてきた。

無意識に「誰か」の中に求めてきた。(自分じゃ全くわかっていない)

でも、そーいう大切な人がいるということも大事だし、条件の1つだと思うけれど

そこには無いんだということが、少しだけわかってきたような気がする。

clubclubclub

昨日の17歳の彼女は、今のままじゃ、一生懸命踏ん張っても

居場所は見つからないし、多分幸せにもなれない(お兄ちゃんも同じことを

多分思っている)

あの番組、どういう意図で局が作ったのかなんて知らないけど

見る人側からしたら「自業自得」みたいに思う人だっているだろう。

それはそうかもしれない、けど、私は彼女が近くに住んでいたら

友達になりたい。どうしてかって言われてもわからない、本能で感じる何か、

なんだよね。彼女は彼女なりに必死に生きているのが伝わってきた、

だから間違いがあろうとしても、彼女には頑張って生きてもらいたいなぁなんて

思ったりして。

さてさて、今日も一日ふぁいとーpunch

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常識?

以前言われたことがある

「安物の常識に捉われない人だ」と。

うーーーん、それは褒め言葉なのかな???(笑)

そもそも常識とは一体・・・

「世間一般でこうあるべきと考えられている行動」のこと?

よくわからない。

私は正直、世間で言う常識から外れたことを結構やっている(やっていた)と

思っているので、常識について語る資格もないのではと思ったりもする。

ただ日常に「子供のために離婚することは絶対よくない」と言い張る人、とか

「仕事をしていると子供がかわいそう」とか言う人は結構いるけれど

(本当に多いのだ)

そういう上辺だけで決め付ける人とは、私は友達には決してなれないのだ(笑)

もう根底の、人間観みたいなのが違う。

もちろん必要なお付き合いはするけれど、決して深入りはしない。

そういう「離婚することはよくない」っていうのも、世間一般で言う常識、なんだろうか、

そうかもしれない。

でも私の両親は離婚してなかったけど、子供が幸せじゃなかったけど(笑)

だから揃ってりゃいいってわけじゃない、っていうのは自分が身を持って知っている。

逆に、幸せな家庭に育った人は、それが「絶対条件」となるんだろうから

そういう考えになるのもわかるような気もしないわけではない??

かといって、「離婚して1人で頑張って育てている」人だとか

「仕事していたって関係ないよ」って言う人がいて、

でも友達になれるか、というと、そうでもないのだ。

そして、逆に「子供が居るから仕事しない」という人でも

仲良くしている人もいるのも事実。

その違いは、一体何か・・・・。

何となくわかっているけれど、上手く言葉にできない。

それらは全て、本能で何かを見分けている・・・・

なんだろう?本能、って。自分の脳なのに、全くわからない、不思議な部分だ・・

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ブログとアイデンティティと自己顕示欲と。

以前「ブログが面倒くさくなるとき」ってタイトルで書いたけど。

今現在でも、深く考えると「ブログってなんだか変な場所だなぁ」って思うときがある。

以前Yブログをやっていたとき、途中から特定個人とのやりとりについて

記すことについてすごく嫌な感じに思えて仕方が無く、一切やめることにした。

ここで言う特定個人って、ブログ上で知られている特定個人、っていうことね。

表に見える面(ブログ)で特定の人とやり取りすることを記すという行為そのものが

自己表現&自己顕示欲のような気がしてならなくて、体中がかゆくて(笑)

私は、ブログとリアル生活は別物として扱っているので

もしブログで知り合いリアルにお付き合いする様になったら、やりとりは

ブログという場所の見えるところでは基本的に行わないという主義(?)なのだ。

そういう意味で、私は彼のやっているブログのスタイルは好きではない。

不特定多数に読んでもらいたいと本人は思っているのに

あれでは不特定多数は非常に入りにくい雰囲気をかもし出している。

(本人はそれに気付いているのかどうかは定かではない)

それは彼にもはっきり言ったことがある。そしたら、親しい(男性の)知り合いにも

同じことを指摘されたと(笑)

多分、自己を確認したい場所、でもあるんだろうなぁ

だからああいうスタイルをとっているわけで、それはその人のとりたい形であるから

私がそれ以上口出しすることも無いと思うし、色んな方法でよいのだと思うけれど。

そう考えると、私の今やっているこのブログだって、よく読んでみると

自己顕示欲の塊のような気がする(笑)

誰も自分という存在をアピールしたいと思っているのかもしれない。

ただ、思うのは、やっぱブログはブログなんだ、って。

本当の意味でその人と向き合っているか、というと、そうではないように思う。

本当の人間関係(友人関係)って、ヤな部分もたくさんあって、

いつもきれいなことばかり並べてくれる関係は、私は違う、って感じる。

(もちろん言い方は大事だけど。)

最初は「えー?」って思うけれど、しばらくその言葉を寝かしていて、

また起こしてみると「・・・・なるほど」と頷いたりすることも、ある。

ちなみに私の彼はひどい(笑)

ブログ記事を読んでよくダメだししていたし(笑)

(いや、私もダメだししてるな・・・・)

その時は心から失礼な人だと憤慨したけれど、いま思えば、それも一理あると思ったり、

そういう考え方もあるんだと思えたりする。

話がそれたけど(いや元々まとまっていないか・・・)、ブログは多くの「錯覚」を

覚えてしまうところでもあると、思う。

基本的に違う意見を持つ人はそこに集まらないから。

(もし集まる場合、冷静を通り越して炎上になっている。文字だけのやり取りは

難しいとつくづく感じる)

でもそれではそこから何も進まない。もちろんそこで自分は受け入れられるんだと

はっきりと自覚できたら、次の場所へ移らないといけないんじゃないか、と

最近はっきり思うようになってきた。

基本的にここで書いていることは、言葉を変えて、自分のリアル生活の中で

発信している。(もしくは実際に起こったやり取りを書いている)

Yブログの頃は、ブログだけで発信していたけれど、それでは結局何も変わらないのだと

教えてもらったのもブログで、だから、

ブログも使い方次第なんだろうか?

そしてどう使うかは、やはりその人その人の色んなやり方によるわけで。

「たかがブログ、されどブログ」

て昔書いたけど、やはりそうか、恐るべし、ブログ(笑)

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選んだ結果

昨日は同期のAちゃんと飲みにでかけました。

Aちゃんとは年齢も、家も近いから、時々一緒に飲みに出かけたりするんだけど、

彼女は今年事務職へ異動したので、話題は専らそのこと中心。

彼女いわく「(職変)異動するならやっぱ(年齢が)若い方がいいと思う」

そうだよなぁ。新しいことを始めるとき、年齢が上であればあるほど

なかなか吸収しにくくなっているし、慣れるのにも時間がかかったり

なにより指導してくれる人が年下の確立が高くなるのでお互いやりにくい、らしい。

そんな話を延々しながら、思ったのは、

今自分が置かれている状況というのは、自分自身が作り上げた結果、なのだと。

よく「○○だから出来ない」とか「無理」とか言うけど

○○だから出来ない、んじゃなく、「○○だからやらない」なのではないだろうか?と。

要するに○○のせいにしている部分がある、ということ。

本当に本当に心からそうしたい、と思ったとき、目の前に大きな困難があると

予想されても、あらゆる方法を模索して、試し、引き返しながらも進んでいくもの

なのではないだろうか?と。

だから今自分の周りの状況(例えば離婚している、とか仕事の種類、とか

趣味の世界のこと、とか、もろもろ)は自分が選んできた結果がここにあるんだろうなぁ。

今置かれている状況に満足しているか?と言われると、微妙だ。

求めればキリがないけれど、求めなくなったらそこから何も変わらないわけだから

そうはしたくないなぁと思うのと同時に、やはり自分の置かれている状況を

他のものと比べてあーだこーだいうのだけは、しないようにしたいなと、思う。

(まぁ元々そういうのは好きじゃないしマイペースなとこがあるからあまりしてないと思う)

他のもののようになりたければやはり努力するしかないんだろうし

チャレンジして努力してそれでも達成されなかったとしたら、私は絶望するのではなく

いい意味で諦めがつくと、思う(これは人によって違うのかもしれないけれど)

ということで、来年度は区切りもいいし、自分の人生の一部、大きく変えてみようと

決心した飲み会(?)でした。

さてさて。

これからおにぎり作って、出かけます(笑)

(昨日のお酒は多分抜けている・・・・多分)

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お役所仕事?

ぴーのかけていた保険(骨折)の請求をするため、郵便局へ行ってきた。

普段は車で5分ほどの大きな(24時間開いている)郵便局へ行くんだけど

今日は徒歩7分ほどの、小さな郵便局へ。

連休前のせいなのか、保険の満期が重なっているのか、

理由はなんだかよくわからないけど、とにかくすごく混んでいて、

順番が来るまで30分ほど待っていた。

狭い場所に多くの人がいて、しかも皆待ち疲れているので

「どよーーん」というイヤな空気がずっと漂っていた。

職員の方は3人居り、とにかく忙しそうにしていて、その姿を見ていたら

なんだかかつての自分を思い出してしまった。

連休前後の外来は予約がいっぱいで、午前中だけで薬のみとりに来る人を含め

予約人数200人なんていう日もあって

そういう日に限って、ややこしい患者さんがわんさとやってきて

電話もじゃんじゃんかかってきて

薬が間違っていると院外薬局から問い合わせが殺到して

挙句の果てに患者さんに怒鳴られる(笑)

こちら側としてはこなせる人数以上の人間が押し寄せてきているわけだから

無理っっっ!!!って思うんだけど、ひとりひとりの患者さんからしたら

ただの1人、なわけで、そりゃ怒れるのは、仕方ないよなぁ、とも思う。

そんなことを思い出しながら、働いている様子を眺めていた。

保険請求にあたって、窓口で質問事項があり、(枚数にして5枚ほどの書類)

受付のお姉さんは私の回答を鉛筆で下書きをしていた。

やっとその質問が終わり、提出書類を全て確認し、そろっていたので

やっと帰れるかぁ・・・・・

・・・・・・・・・・・

呼ばれない

呼ばれない

なぜに?

そこで20分ほど待っていた。

でも呼ばれる気配がない。

そぉーーっと覗いてみると、お姉さんはさっき鉛筆で下書きしていた書類を

清書していた。

・・・むむ・・・?

それは今清書しないとまずいのかな??

あとで書いて、処理するじゃいけないのだろーか?

私だったら、ファイルに1つにまとめておいて、全ての待っている人をこなしたあと

整理するが・・・

ゆうちょはその時全て処理しなければいけないシステムになっているのか?

よくわからないが、他にかなり多くのお客が待っているので

その人たちを捌くことが先のような気がするんだけど。。。。

外来では、とにかく、書類は混雑が治まってから処理をする、というのが当たり前

だったので、診察が終わったらとにかく速やかに次の予約を取り

患者を帰すということが徹底されていた。

もちろんすぐ返すべき書類(他院へ持参する紹介状、保険証など)は

速やかに処理するけれど。

一生懸命書類を清書しているお姉さんを見て、

うーーーんこれがお役所仕事、というのだろーか・・・・・

などと思ってしまった。

(自分も役所人、だが・・・)

待っている間、私はとても居心地が悪かった。

他の人の視線が痛かった。

自分がこれから、もし、また窓口などやるようなことがあったら、

なるべく待たせないような工夫はしたいなぁ。。。

ゆうちょが書類を扱う場合、そのようにやらなければならないシステムだとすると、

お姉さんも本当はしんどい思いをしていたんだろうなあと思うし

とにかくあの混雑状態で仕事をこなすプレッシャーは痛いほどわかるので

お姉さんを責めているのではなく、自分の反省材料にしたいと思ったので

ありました。

あーーしかし保険の請求って、どれも手間取るね(笑)

ま、仕方ないね。

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リアル東京、リアル人生  追記。

人間の一番リアルな生きている姿って、セックスしているときなのかもしれない

生々しい、毒々しい、ただの男と女。

でも、ニセモノの「ただの男と女の間」に、リアルなセックスは、ないんじゃないかって、思う。

愛情がなくても、セックスは出来る。

愛情と勘違いしたセックスもある。

でも本物のリアルセックスには、ことばでは表現できない、生のぶつかり合いみたいなものが

存在している、と思う。

人によって色々あると思う。

快感を得るだけに求める人もたくさんいるし、なにかから逃れたくてセックスする人もいるし、

何かを求めてセックスする人も、いる。

でも多分、本当の快感って、結合で得られるそれとはもっと違う、

なんていうんだろう、私は、本能で感じる『何か』。

「文章では嘘がつけない」彼が言っていたことばは、本当だと思うけれど

肌を通して感じる『何か』も多分嘘はつけないんじゃないかって思う。

人の本能は、それ程強い何かを持っている、怖いな(笑)

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リアル東京、リアル人生。

200804192039000

一昨年の暮れだっただろうか?

年末に彼と東京デートをしたとき、

早朝に歌舞伎町のマックに入った。

あの時間なのに店内は込んでおり、

私達は2階の端っこの席に座り

コーヒーを黙って飲んでいた。

視界の先に、黒いスーツに金髪のお兄ちゃんが

数人座っている。

いかにもホスト、という感じの彼らは、

一晩中仕事をしていただろうに

妙にハイテンションな雰囲気で、何かしゃべっている。

私の席の横には、作業着を着た、50代くらいのおばさんが1人、座って

食べている。これから仕事に出かけるのだろうか、それとも一仕事終えてきたのだろうか、

それはどちらでもよい、それよりそのおばさんを見た瞬間、

自分と何かがダブった。

「私は少し何かが違っていたら、あのおばさんのようになっていた」

そう思うと、「決して誰も近づけないわよオーラ」を放つおばさんに、妙な親近感を勝手に抱き

そしてあのおばさんのこれまでの人生に何があったのか、

勝手にストーリーを作ってしまったりする。

肩肘張って、世の中に背中を向け、何さこんなもん、そんな感じで座るおばさんは

実は多分きっと、とても繊細な人なんじゃないかと、思ったりする。

そして着ている作業着が、おばさんという存在を更にリアルにさせる。

そのほかにも、どんな職業なのか?おじさんがいたり、若い女性がいたり。

とても妙な空間だったけれど、そこはまさに「リアルトーキョー」

マックだから、歌舞伎町だから、見れる、リアルに生きる人たち。

生きるって、本当に生々しいものだと私は思う。

人の本能って、恐ろしいほどどす黒い血のような感じがしてならない、

どんな苦しいことも、汚いことも、話し方によっては美しく聞こえたり、

都合よく聞こえたりすることもある。

でも、私は美しいだけじゃ生きられない、本能丸出しの部分で

誰かに真正面からぶつかり、時に砕け、時に吸収され、時に融和する、

そういうある種の快感を知ってしまった

(もしかして知ろうとして知ったわけではないのかもしれない、とも思ったりする)

私の生きる、とは何だろう

生きるってリアル、リアルとはじゃぁなんだろう

私は私でしかない、ということなのだろうか

格好つけても、その格好は格好つけている以上いつかどこかで剥がされ、

格好で覆われた自分は私のようで、私ではない。

そうか、だからセックスは私にとって、生きている、という実感を得られる1つの

手段であるのか?と思ったりする。

そしてセックスのあとどうして自分の気持ちがすぅっと出せるのか、

いや自然に出てくるのか

多分セックスしているときの自分が一番自分っぽいのかもしれない。

そう考えると、性とは、やはりヒトにとって、生きるということでとても重要なことに思える。

繋がることだけがセックスとは思わない、

快感を得ることだけがよいセックスとも思わない、

人間の一番リアルな生きている姿って、セックスしているときなのかもしれない。

生々しい、毒々しい、ただの男と女。

そうか、私はただの女だったのか、母でもなく妻でもなく(いや今私は独身だ)

社会人としての私でもなく、ふらわーというネット上の私でもなく

私はただの自分なのか?ということを初めて実感したのは、あの歌舞伎町のマックで、かもしれない。

今日、夜、車を運転した。意味はなかった。ただ走りたかった。

国道から左に折れ、浜名湖沿いの道沿いにPがあり、何気なく寄ってみた。

湖方向に向かって、車が一定距離を保ち、止まっている。

皆カップルの車だろうか

彼等は何を語っているのだろうか?それとも無言で密着しているのかもしれない。

車のライトを落とし、そこを抜け、バイパスを走る。

ベージュの作業着を着た男性が、金網をよじ登っている。何のために?

高校生のカップルが自転車を二人乗りしている。女の子は彼の腰にぎゅっとつかまっている。

横浜ナンバーの車が走っている。助手席に、子供が座っている。家族旅行だろうか

小雨が降ってきた。月明かりが、日本地図の四国のような形の雲をぼんやりと照らしている。

私は、これからどうなっていくのだろうか?

ただ言えるのは、私のリアル人生は、彼との出遭いで発見できたということだろう。

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自分のことばで。

「しゃべる言葉にも、心の奥に響くものと、そうじゃないものが、ある。

どうしてだろうね?」

「多分、その人の『生』の声だから、だろうね」

「確かに同じことをしゃべっていても、心に響くものとそうじゃないものってあるよね。」

「それって、多分『本能』で嗅ぎ分けているんだろうね。

でも、そういう人(生の声を出している人)って失言も結構多かったりするんだけどね(笑)」

「ああ、そうかも。でもそういうところって人間ぽくって私は好きかも(笑)」

そんな話を、彼とした。

本能、かぁ。

確かに、聞くことばでも、読む文章でも、そういうことはあって。

そして私は無意識に、そして本能で嗅ぎとっているのか・・?

(よくわからないけど、そうなんだろうか)

世の中には理屈じゃ解決できないことは山ほどあって

でも人と人の出会いも、どこか本能で嗅ぎ分けていて

偶然なような、でも実は自分で選び取っているものなのかもしれない。

偶然を自分のものにできるか否かは、自分次第なんだろうけど。

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春色

おだっちのコンサートの興奮未だ治まらず(笑)

二日間連ちゃん&もろもろの用事で週末を過ごしたら

やはり疲労が抜けず(笑)

今週はばたんきゅーの一週間でした(まだ終わってないけど)

今年は、ボーイの副長、子供会役員、そして職場の組合の役員、

になってしまい(決してどれもやりたくて立候補したわけではない)

それぞれ月に数回の行事や会議などでも、3つ集まると

土日はもちろん平日も結構それで埋まってしまい、体力に自信(?)のある

私もさすがにへろへろに・・(まだ4月なのに)

子供会と組合は今年限りなので、いいんだけど、

でも毎日が恐ろしく早く、そして何もしないうちに、どんどんと過ぎていってしまう。

放送大学も春休みに溜めておいた貯金(教科書を進めておいた)

がもうなくなりそうで、

週末は教科書を開かないと、またやばいことになってしまいそう。

それでも、今年も通勤路の、あの桜のトンネルを堪能することができて

嬉しかった。

あのトンネルをこんなすがすがしい気持ちで通れる日が

本当に来たんだ、と思うと、ホントに嬉しく、でもそれだけ月日が経ったのだと

少ししんみりもしてしまう。

職場の裏山(かなりうっそうとしている)のふもとにある道(通学路だったりする)

に、色んな春の草花が咲いているのを発見し、

ほんわかとした気持ちにもなった。無造作に咲いているんだけど

それこそ「生きている」って感じがしてね(笑)

4階から裏山を見ると、山桜とか他の花もあると思うけど、たくさん咲いていて、

遠くだからぼやーんと白やらピンクやら見える、その感じがこれまた

すごくきれいで、ホッとする瞬間。

さぁ、あと一日、仕事に行ってきます(笑)

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気負い

気が付けば4月に突入しており、職場にも新しい人がどどっとやってきて

今日は歓迎会(第一弾)

先週送別会だったっけ・・毎週飲んでいる(笑)

当然ながら一回り以上違う新人さんとか、若手さんが異動してきて

彼ら、彼女らの挨拶を聞いていると、あふれ出す若さと共に

よし頑張ろうという、いい意味でも悪い意味でも気負いが感じられる。

でも多分彼ら(彼女ら)はそんな気負ってるなんてこれっぽっちも思っていないだろう。

私も、そうだったのだろうか?

そうだったのかもしれない。

いや、今でもそうなのかもしれない。

自分のことは自分が一番知らない、気付かない。

去年から、自分の周りの流れが変わっているとずっと感じていた。

少しずつ自分でも自分の欠点を本当の意味で受け入れられてきたのだろうか?

(よくわからないけれど。)

そして、思う、今自分は試されているんじゃないか、と。

本当に自分で変えたいと思ったことを変える勇気があるのか、と。

今年は逃げないようにしたいと、酒を飲みながら、色んな人と話しながら

感じた一日、でした。

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「命を大切に」

よく、命を大切に、と言うけれど、

「命を大切にする」とは一体どういうことだろうか?と、自分はわからなかった。

最近、子供の自殺も増えていて、それらのニュース記事に

「自殺はよくない」

「自殺する前に、誰かに相談できなかったのでしょうか?」

ということがよく書かれているけれど

そういう人がいないから、本気で自分の思いをぶつけられる人が

誰一人いないから自殺してしまうのだと思う、

だから「誰かに相談」という考え方は、自殺しようなんてこれっぽっちも

考えたことのない人の発想だと私は思うのだ。

もっともっとそれ以前の問題。

本当は、本当は、誰も死にたくないと思う、

でも自分は一人ぼっちなのだ、誰もいない、

周りに人はたくさんいるけれど、実は誰もいない、

こんな感じか。。。上手く表現できないけれど。

だから、「命を大切にしましょう」と、何を見ても、何を言われても、なにを読んでも

全てうそ臭く思えてしまう、自分の中で、何かしっくりこない、

表面をかすり、そのままどこかに去っていってしまう、そのことば。

命を大切にする、ということは、自分自身の命(身体も含め)を大切にする、ということ

なんだと思う(し、そのようによく書かれてもいる)

じゃぁどうしたら自分を、自分の命を大切に思えるのか?

長年の疑問だった。

いくら考えても、全くわからない。

どんなに感動的に作られたテレビ番組や、本や、話を、見ても聞いても、

わからなかった。

つい最近まで、自分は子育てを終えたら(子供が無事社会人になったら)

死んでも全く構わないなぁ、と思っていた。

この世に未練なんて特になかった、本当に。

でも、今は、違うのだ。

自分でも驚いている。

ある日、突然、豆電球に灯りがついたのだ(笑)

自分自身、自分の命、身体、を大切にしようと感じられるには

自分だけじゃ無理なんじゃないか、と。

はかせやぴーの存在じゃないかって?

確かに子供は大切だし、彼らのことを心から愛している(笑)

彼らを残して逝くことは考えられない。

でも、子供はいつか巣立って行くし、私にとっては私の人生を形作る一部分に

過ぎない。子供が全てでは、ない。

じゃぁ何かというと、心から愛してくれる人がいること

(=心から愛することのできる人がいること)

それは別に恋人とかそーいう人じゃなくても

家族とか、友人とか、先生とか、別に誰でもいいのだと思う、

自分のことを「心から愛してくれる人」の存在が、自分の存在がとても大切な

ことなのだと、教えてくれる。

心から愛してくれる人と一緒に歩きたいから、自分も健康に気をつけて

自分自身を大切にして生きていこう、ずっと生きて行きたい(生きて生きたい)と

心から感じられる人の存在なしでは、人は生きられないのかもしれない、

いや、生物学的には生きていても、本質的にはただ生かされている(負の意味で)

という感じだったのだと、過去を振り返ってみて思ったりする。

そんなこと、当たり前のように子どもの頃から知っている人だって

たくさんいると思う。この文章を読んで「何を当たり前のこと言ってるの?」と

思う人は山ほどいるだろう。

でもそういう人ばかりじゃない。

でも、こうやって感覚的なことを文章にして、冷静に読み返してみると、

やはりうそ臭く見えてしまう(笑)自分が書いたものもやはりうそ臭い(笑)

ということは、『命を大切にしましょう』って第三者から言われてどうにもなるものじゃない、

ということにもなるのかもしれない。

言われれば言われるほどうそ臭く感じてしまう(私はひねくれ者・・・?!)

しかし、しかし。

ボラをやりたい背景にはこういうことがあるのかもしれない、と

また新たな自分の一面を発見できたのかもしれない。

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生と性

「favorite」のコーナーに二つのサイトを並べててみた。

私の好きな写真家、吉村氏と荒木氏のサイトだ。

私の部屋には吉村氏の写真やらカードやら本やらがたくさんころがっていて

アラーキーの写真集や本は部屋の本棚の隅に並んでいる(笑)

全く違うタイプの写真。

吉村氏は私の中にあると思われる少女の部分を揺さぶってくれる。

(自分で言うのもなんだけどさ・・)

子どもの頃好きだった、野の花畑をどこかで思い出す。

移り変わる風景、色、空気、それは自然の静かな生

一方、アラーキーは、激しい

昔は彼の撮った裸体を見て、本当に全く何も思わなかった

しかし今見てみると、私の中の大人の部分を揺さぶってくれる。

(自分で言うのもこれまたなんだけどさ・・)

大人になって知った自分の中の激しさ、情熱、孤独、をどこかで思い出す。

それは人間のありのままの醜態(いい意味で)、激しい性

昨年、吉村氏の個展を初めて見に行った

写真集で見るのとは全く違う迫力があり、あぁやっぱいいなぁと思ったし

それよりなによりご本人と直接お話ができ、サインまで貰ってしまい

超嬉しかった(超、って死語?)

話した感じは、私が思っていた通りな感じだった(自分が好きになるタイプ)

同じ年代だし、クラスにいたら間違いなく、私は告白している(笑)

(そして多分ふられるだろうけど)

アラーキーはどうだろうか?

年齢は私の父とそう変わりない

でも父じゃなくオトコを感じてしまう(変な意味じゃなく)

でも自分からは決して好きにならないタイプだろう。

さっきアラーキーは激しい、って書いたけれど

実は、激しさだけじゃなく、穏やかが存在している

何より、彼の写真には愛が詰まっている(と思う)

そして、その対となる、哀しみも。

最初、奥さんのヨーコさんがすごく好きで、そこからアラーキーの写真やら

本やらを読みまくった

昔は全然わからなかった『幸せ』とはなんぞや?という大ヒントを与えてくれたのも

彼の写真とヨーコさんの文章だ

(それについていつかまた書けたらいいなと思うけれど)。

話がそれているけれど、

作られたものや、わざとらしいものは、一見どんなにきれいに見えるものでも

うそ臭く見えてしまう。何かしっくり来ない、っていうか、自分の中にしみこんでこない。

写真や文章や生き方も、人間も。

どういうものが自分の中にしみこんでくるのか、という、その種類は

その人その人によって違うのだろうけれど。

でも自分の中に共存する静と性がごっちゃになったとき、どれが自分なのか?

わからなくなるけれど

多分どちらも私自身なのだろうか

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あきらめない

めちゃくちゃ久しぶりに彼に会った。

私は彼の、妙に自信家で傲慢なところがキライなところでもあるし

好きなところでもある。

私は頭の回転が悪いせいか、その瞬間に思ったことを上手く言葉にして

話せないんだけど(よって、後になってから、あの時ああいえばよかったと

思うことがよくある)

セックスしたあとだけは、どうしてか素直に、自然に、すぅっと言葉がでるのだ

(なぜだろうか?全くわからん)

「私はね、あきらめないよ。誰かが『何を今更』『そんなこと』って言っても、

ひとつひとつちょっとずつ山を登ってくから」

彼は、言った。

「お前がその『何か』をやることについて、俺は否定するつもりはないよ」

それは、私も、同じなのだ。

「あなたが『何か』をやることについて、私は否定するつもりはないよ」

でもそのことばは言わなかった。

私はもっと違うことばで、ストレートに伝えた。

よかったのか、悪かったのか

ただ、どうもならなくても、諦めない人が好き。

結果最後にどうもならなくても、諦めたら、それで終わりだから

少しずつでも回り道でも私は追いかけ続ける、

守りには決して入らない

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自信をつける方法?

振り返ってみると、私は子どもの頃から何をやるにしても

『私には出来そうにない・・』『どうせやっても無理』という後ろ向きな思いがあった。

出来そうもない、と最初から思っているから、やはりその通りになってしまうわけで

「やっぱり出来なかった」という悪循環が繰り返されて行く。

そもそもどうして「私には出来そうもない」と思ってしまうのか

それには私なりの理由、同じように思う人がいたとして、その人なりの理由が

きっとあるんだと思うけれど

一度成功体験をすると「私にもできるんだ」って思えるのも事実。

じゃぁどうしたら成功体験に結び付けられるのだろうか?

私が勝手に思うに、「自分の心底好きなことに打ち込んでみること」

なんじゃないかなぁ?と。

「上手だね」「すごいね」などと褒められるために、何かをするのではなく

単に好きだからやってみる。

好きだから無意識に一生懸命にやっている、その姿に気が付いた誰かが

「本当の」意味で「すごいね」「がんばってるね」「ありがとう」などと言ってくれる、

そこから始まってゆくのではないだろうか・・???

私は大学に落ち(笑)最初の就職先ではダメだしの嵐(笑)どこへ行っても

思うようにできなくて(ならなくて)もうどうでもいいやぁ、なんて思ったこともあったけれど

4番目の就職先の面接で支社長に「あなたは受付」と言われるがまま、

職種を変更して働いた先が自分にはとても合っていた、

そして好きだった。かなり熱心に仕事も、仕事のための勉強もこなしていたと思う。

(そのときは熱心にやっているなんて思わないけど)

ただ好きで一生懸命やっている姿を患者さん達やNsなどスタッフに評価してもらったとき

「私にもできることがあったんだ」と、とても嬉しかった。

それは今の自分を支えてくれている柱になっているのかもしれない。

(他に柱がないというのが少し悲しいけど・・・笑)

どうやったら自分を大切にできるのか?

どうやったら自分を好きになれるのか?

どうやったら自分に自信が持てるのか?

そのことについて考えたり悩んでいる人が、たくさんいるんだなぁと知ったとき、

あぁ私だけじゃなかったんだ(笑)って思ってしまった。

じゃぁこれからちょっとでも得られるように、一緒にがんばりましょーか?(笑)

渡邊二郎先生はこんなことを言ってました

「情意を満足させない人生は、人間をけっして幸福にさせない」と。

「人生は理屈や知的判断だけでは割り切れないものだ」と。

何を欲しているのか、何ができるのか、可能性は?と

真剣に自分に問いかけてみて、その声を聞いてあげることが

自分を大切にし、自信をつけ、好きになれることにも

繋がっていくのかもしれないですね。

※渡邊二郎先生、先日お亡くなりになりましたね・・・

ご冥福をお祈りいたします。

先生の授業は来年度で本当に終了になるんでしょうかね。。。

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お返し

ぴーの入院見舞いをいただいた。

無事退院をし、さて、どうしよう・・・・お返しだ。

どこまでの人にお返ししようか。。。。悩んだ末、2000円以上のもの(現金含む)を

いただいた方には「退院内祝い」(まだ快気祝いじゃないからさ・・・)を購入した。

と言ってもたいしたものではないが・・・。

子供が好きそうなおやつとかちょっとしたものをいただいた方には

「退院しました」という報告とお礼を述べて終わりにした。

ぴーの遊び友達3人(のお母さん)からは本やら図書券やら、やはり高額だったので

でも堅苦しいものを買ってしまうと返って気を遣わせてしまうかなと思い、

もうすぐバレンタインデーだし、彼らにチョコをあげてお返しとすることに(勝手に)決めた。

最近私の周りで結婚とか出産はめっきり減ったけど、いつもこう言っていた、

「お返しは要らない、その費用は子供(自分)のために使って欲しい」と。

といいつつ内祝いとかは礼儀だから・・という人もいるけれど

その費用はバカにならない。費用がかかるからイヤだ、と

言っているわけではなく、まぁお互いさまだと私は思っているからだ。

最初から「お返しは要らない」というと、お返しをもらえるものという前提で

話をしていることになるので非常に言いづらいんだけど(笑)

それも親しい間柄なら割りといいやすい。

だから困るのは微妙な関係の場合だ。

以前気持ち程度の出産祝いを贈ったら、それ以上じゃないか?!と思われる

内祝いをいただいてしまい、返って気を遣ってしまったことがある。

私はお返ししてもらいたくて贈っているわけでは全く無いのだが

受け取るほうは貰ったからにはお返しをしなければと思ってしまう・・

という気持ちもよくわかる。

日本のしきたり(?)って複雑だわ・・・(笑)

今回入院してみてわかったのは、入院は正直費用がかかる。

(入院費と保険の話はまたいつかします)

ので、これから私の周りで誰かが入院したら、お見舞いは現金にしようかと思う(笑)

生々しいけど(笑)たとえ少額としても、とてもとても助かるのだ。

しかもお返しに困らない(その半額とかを返せばいいだけなので)

ちなみに私の職場ではきっぱり「やめたでね」(笑)

それは決して心配していない、ということではなく、まぁ私の性格もわかっているという

こともあるのかもしれないけど、それはそれで結構助かったりする。

以前ブログでもののやり取りをしたことがあるけれど、

あれはあれで結構楽しいといえば楽しい、でも人によっては苦痛になることも

あると思う。もらった以上返さないわけには(一応は)いかないわけで、

色々気を遣うことが苦痛になるというのもわかる(私も多少?あるので)。

なので、最近は相手がもらっても気にならない、返そうが返さなくても気にならない、

小銭で購入可能なものをおまけとして送るようにしている。

基本的に人にものをあげるのは好きなので、私はどんどんエスカレートしてしまうんだけど

大事なのはやはり誰かを想う気持ちなんでしょうか?

とはいえ、やはり誰かに何かプレゼントされるっていうのは嬉しいもんですけどね(笑)

なので気にせず贈ればいいだけなんでしょうか?(笑)

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不公平

先日話をしました。

私も思うんだ、人間は平等にはできていない、と。

人には自分の力ではどうにも出来ないことが起こり得る。

(親・家族の関係、病気、失業・・・etc)

生まれたときから、自分が生きるということに対して何も疑問を感じない人は

多分たくさんいる。

愛を当たり前のように周りからもらい、輝いている人を見ては、

自分に無い部分だと惨めに思ってしまう気持ちは、とてもよくわかる。

でも、比べても仕方んない。無いもんは無いんだから(笑)

だから潔く自分は無いんだ!って言い切ってしまってもいいのかも?

それは立っている位置が違う人から見たら「不幸」「そうなりたくない」なことかもしれない、

(それは障害のある人をかわいそうだと思うことと多分同じ)

けれど、ホントは別にかわいそうなことでもなんでもないんじゃないかと思うんだ。

ただね、当たり前のように周りに、自分にあった人にはどうやってもわからないことが

ある、ということを知ってる?(その逆もあるけど)

それは自分にしかない特別なもの。

多分どんな人も、それは持っている。

子どもの頃確かに幸せとはいえなかったかもしれないけれど

それは決して不幸なことではない(そのときは悲しかったけれどね)、

世間のものさしで測った幸せだけが幸せではない、ということを

本当はもう充分にわかっているはずだから。

今ここに生きているということをかみしめて、今日も、風に吹かれながら

この場所に立っていよう、そう思わない?

幸せって人にアピールして認められて成り立つものなのかな?

そういう人もいるかもしれないけれど

(そしてそれはそれで構わないとも思う。私とは立っている場所が全然違うとは思うけれど、そういう人もいるだろう)

私が思う本当の幸せとは、結果としてどう感じるか、ということ。

自分で考え、歩いて、ぶつかって、でもそのあと自分がどう感じるかということ。

決してプラスの気持ちや出来事だけが幸せとは限らない、ということ。

だから死ぬそのときまで本当は誰にもわからないものじゃないのかなと

思ったりするけどね。

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ことば

音楽って不思議だなぁって思う

たった12の音から無数の曲を作り出すことが可能で。

時に楽しく、時に悲しく、時に切なく、時に元気に、

どうしてこんな変化ができるのだろうか?と。

ことばも不思議だ。

たった50こ程度の文字から紡ぎ出される言葉は無数にあり

それも時に楽しく、悲しく、切なく、嬉しく。

でも同じ音や言葉を使っても、全員の心に響くとも限らないわけで。

それも不思議だなぁ、って思う。

人によって心に響く音やことばは違うのだ(考えてみたら当たり前なんだろうけど)。

自分にはきれいに聴こえる音楽でも、

他の人にとったら、切なく聴こえるものもあるだろうし、

誰かにとって感動することばでも、私にとってはピンとこないものもあるだろう。

「自分に自信を持って頑張って」ということばをよくきくけれど

これは多分「自分に自信を持っている」人の発想だと私は思う。

自分に自信の無い人は自分の中に何も無い、なのに自分の何に自信を

持ったらいいのだろうか?と逆に悩み、そして辛くなることばなのだ。

そう考えると、ことばをかける、ということは、自分では全くそのつもりは無いのに

相手の心に深く刺さってしまうこともあり得る、ということになる。

一見きれいに見えることば(や音楽)でも、人を傷つけてしまうことが、あるのだ、と

いうことを、いつも自分の心のどこかにおいておきたいと、思う。

誰も誰かを傷つけようとしているのではない、と思う。

そうやって上手くいったり、失敗してしまったと反省して行くうちに

人は色んな生き方があったり、考え方があったりするんだと実感していくものなのかも

しれない。

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続 自信とは?

大量のさといもを切りながら、昨日主任さんが行った出張の出来事の話になった。

主任さんはグループ長をやっていて、各月送られてくる各学校の献立反省をまとめ、

それを持って出張に行くんだけど

その結果をまとめたものをグループ内に送るために、

私にPCでそれをまとめて送るように頼まれた。

去年の話なので、私はそんなことすっかり忘れていたんだけど

昨日の出張でその話になったらしく、「まとめてくれてありがとう」と言ってくれた後

「実はね、9,10月の報告をIさん(他のグループ長)がまとめる係なんだけど

まだやってないって話になってね、他の人たちがIさんのこと無視しててね、

なんかやだなぁーって思ったんだよね」

・・・この世界の主任さんはホント強い人が多くて、

(そしてそれは下の人間達にも伝染している)何か気に入らないことがあると

徹底的に無視したり、言葉や行動で攻撃する人がホント多くて

最初はびっくりしたのだ(笑)小学生じゃあるまいし。。。。。

「IさんにはIさんなりの事情があったかもしれないしね。

自分のやり方が絶対正しい、って思ってるんだけど、正しいかどうかはわかんないよね、

それに若い子達から教えてもらえることもあるしね」

「でも主任さんみたく、そんな風に言ってくれる主任さんって少ないんですよねぇ・・」

「確かに皆強いよね、それにパソコンだって私達の世代は使えない人が多くて

不便なときもあるけど、使えなきゃ『私は使えないから他の方法で、とか

誰かに頼もうかな』とかって言えばいいのに

みんな『できる』って変な見栄はったりしててね、私なんて

『若い子に(集計)やってもらったよ』って言ったら、変な顔してたけどね。

それにね、言い方がね、いかにも自分は正しい、って言い方をしてしまうと

上手くいくものも上手くいかなくなっちゃうね、私もあの人(出張でIさんを無視した人)とは

以前やりやったことあるけど、余分なこと言うと余計自分がいやな目にあうし

まぁ言っても仕方ないかな・・って思ってね」

この職場はとにかく『自分のやり方』以外は一切認めない、っていうのが多くて

例えば野菜1つ洗うにしても、たわしを使うかスポンジを使うか、どこで種をとるか・・・

とにかく細かい。

よく言えばまじめな完璧主義なのかもしれない、

ひとつひとつをきっちり正確にやる人が多い、それはすばらしいことだと思う、

ただ少しでも自分と同じようにきっちりやったり、段取りを取らなかったりすると

「あの人はだめだ」という烙印を押すのだ。

それって、何か違うような気がする・・私だけか?とずっと思っていたんだけど

主任さんが同じように思っているとわかって少しホッとした。

「大切なのはちゃんときれいに洗うか、ってことであって、何を使うか、は

その人のやりやすい方法でよい」

それはその人のやり方を尊重してくれたり、若いからダメだ、

自分と同じように出来ないからダメだ、っていう偏見を持ってない、

ということでもあり、

でも明らかに衛生面でよくない、ということがあれば「こうした方がよい」という指導は

ちゃんとしてくれる。

あぁ・・・なんて人間のできた主任さんなんだ・・・

人には色んなタイプがいるけれど、その人にあわせて上手に引張って行ってくれる、

理想的な上司だ。

そんな主任さんを私はすごく尊敬している。

そして、思った、主任さんは「真に自分に自信を持っている人」なのではないだろうか?

「パソコンは苦手(決して出来ないわけではないのだが)」とさらりと言い

得意(??いや、主任さんよりは多少できる)な私にお願いした方が

スムーズにコトが済むということをわかっているし、それを認めている、

出来そうでなかなか出来ないような気がする・・

(しかも歳をとればとるほどプライドは高くなると思うのに)

1つ苦手なことがあっても、出来ないことがあっても、自分の中では

何も変わらないのだろう、あぁ・・・私もそうなりたい。

それにあの歳でも「若い子からも学べる」と言えるなんて・・

だからこそ、地味ながらも皆から尊敬されているのかもしれないなぁ。

自分の才能を誇示したりもしないし、妙に自分を卑下したりもしない、

そんな強さを私も持ちたい。

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痛みを知る

ぴーが入院した。

右足スネの部分の骨折、1週間ほどの予定だ。

指先から右足付け根近くまで固定されているので、身動きが取れず、寝たきり状態。

初日はかなり痛んだようで、一晩中「・・・いたいよぅ・・・・」と泣いていた。

私は骨折の経験がないため、それが一体どの位痛いのか、どんな感じで痛いのか

わからないので、つい「もうどうしようもないくらい『痛い』までもうちょっと我慢できそう?」

と一回言ってしまって、はっとした。

痛い方は、とにかく痛いのだ、痛くて我慢できないから痛い、って訴えているのに

「もうちょっと我慢しな」とか「もうちょっと頑張れ」とは

言えないなぁ・・・言いたくないなぁ・・そう思って

座薬入れる時間になるまで、ただ「そっか、痛いよね」と言いつつ

ひたすら足の付け根をさすっていた(眠かった・・・)

入院なんてしないに越したことはないけれど、骨折の痛み、入院生活の様子、

生活の不便さ、お見舞いの嬉しさ、etc、を経験できて、彼は色々な本当を知ることが

出来たんだから、いい経験かな、と思ったりもする。

(しばらく個室に入っていたので請求書が怖いが・・・)

はかせが、ちょっと学校を休んでいる。

思い出すと吐きたくなるほどダメージを受けていて、わんわんと大泣きをしている

姿を見たら、彼がそこまで追い詰められていたのか、

いや、正当な理由が本当は無いのに、まじめにふつーに生活をしていたのに

ヤな目にあってしまったのか、そう思ったら

何かとても悲しくなり、2人でわんわんとしばらく泣いた、

そのあと、「まぁしばらく休んだからって、だからどうした?」って思えて

それより何より、はかせにとって家だけは安心できる場所であって欲しい。

安心できる場所が無い、という苦しさ、それを味わって欲しくない。

だから緊急避難方法として、家に居ることを彼に許可した。

(そのあと心理のF先生に相談したら、その方法でいいでしょう、と言ってもらった。

もちろん次のステップがあるのだが・・)

辛い経験はホント辛いけど、そこからわかることもたくさんある。

そのときは苦しいけど、あとできっと何かわかる人になってくれると

私は信じている。

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自信とは?

「自分に自信がある」とはどういうことなんだろうか?と考えたことがある。

考える、ということは、自分には自信が無いということの裏返しになるのかもしれない。

さっき書いた「いつも頭は疑問形」というのも、もしかすると自分の考えに自信がない

からなのかもしれない、

自信って、何もしなくても自然に持てる人と、そうじゃない人がいるように思う。

以前彼に「お前は努力してこなかったから今の結果がある」というような内容のことを

言われたことがある。

確かに私は努力が足りなかったことがたくさんあると、それは自分でも思っている、

ただ、努力したから全て手に入れられるか、というと、それは違うのでは・・・と

思ったりもする。

努力しても手に入れられないものが、人にはある、ような気がする。

人によって、同じように努力しても手に入れられる人とそうじゃない人がいる、ような

気がする。

努力した結果欲したものが全部手に入れられた人もいると思うけれど

そうじゃない人もたくさんいると、私は思う、

なので、私はそうは思わない、と答えた。

そして付け足した

「人の自信は親の愛情によって得られるんだと思う(それが全てではないけれど)、

愛情をもらったことのある人は、自信が自然に身についているんだ」って。

自信とは多分「自分が存在していること」に対しての、自信、だと思う、

それが多分(多分が多発してるな)全てにつながって行くような気がする。

でもね、努力したらなんでも手に入れられると思っていると

手に入れられない人は努力が足りないからだと(無意識に)思うんだと、思う。

多分私の彼もそのような考えだと思う。

(だからその話になると結構衝突したりして・・・)

もう少し自分に渇を入れて、やってみたら、手に入れられるものは私にもあると思う、

だからその辺は大いに反省し、改善していく部分であると思う。

ただ努力して手に入るものは、多分目に見えるもの・・・(結果というもの)

私は結果という幸福とか成功とか、その他もろもろも手に入れたいと思うのは

確かに事実、

ただ、自分にあまりに自信を持ちすぎて傲慢になってしまう生き方は好きじゃない。

人は人との関係から色々学ぶんだと前の職場で教えてくれた人がたくさんいて、

それは自分が自信が無かったから、人のことばにイチイチ反応していた自分がいたから

そう感じれたのではないだろうか?と思ったりする。

剛鉄のような強さは私は要らない、そう思うようになった。

(いや、欲しいと思ったとしてもそれは私は手に入れられないと思うが。。。)

色んなものを吸収したり形を変えることのできる、柔らかい真綿のような強さを

もてる人間になりたいと思う。

折鶴のH先生や今のT主任さんのような、多分打たれて、転んで、ずり落ちたことが

あるからこそ得られた強さみたいなものを、

私も得られるように、彼女達から色んなことを吸収できたらいいなぁと思ったりします。

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食わず嫌い?

この前、桜井クンのことを少し書いた。

私はミスチルを聞くようになったのは、とっても最近のことで、

きっかけは、愛地球博の赤十字館で使われていた「タガタメ」だ。

私は赤十字館にいくのをとても楽しみにしていたんだけど、結局朝イチで

8時間待ちに耐え切れないと思い、見なかった、とても残念だった。

当時公式サイトで動画が少し流れていて、パビリオンの様子を知ることはできた。

それまでミスチルの印象は、今時のバンド、聞きやすいメロディ、覚えやすいサビ、

桜井クンの甘いフェイス(笑)

そんな程度で、ささっと聴いてみることはあったものの、じっくり聴いてみようなんて

思ったことがなかった(なんせ今時のバンド、と思っていたから)

ところが、動画と共に語りかけるように流れる桜井クンのボーカルに

ずきゅーーーんと胸を打たれ(笑)

それから好きになってしまった(笑)

歌詞を見ると、なんとも繊細、でもノリのよい言葉のテンポ、奥の深さなんかもあって

いやーホント好きです。

いや、桜井クンの話を書きたかったのではなく、何でもそうだけど、思い込みで

好きじゃない、って思ってしまってることってたくさんあるような気がする。

今年から家計調査のために家計簿をつけているけれど、書くとなると変なムダ使いは

出来ない、などと思って、上手に使おう、と思ってみたり、実際つけてみると

「結構おもしろいぞ」なんて思ったりして、一冊自分用に買ってしまった(笑)

人もそうで、何でも思ったことをすぐ言葉にする人が苦手だったけれど

(理由は定かじゃないが)、今では、わかりやすくていいなぁ、などと思ったりもするし

悪気が無い、ということにも気が付いた。

もちろん食べてみて、やっぱりヤダ!って思うこともあるけれど(笑)

今年はジャンル問わず色んな食わず嫌いに挑戦してみようかな・・・

まずは・・・・・あれから(笑)

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頭の中は疑問形

自分の決めたことに対して、いつも「これでいいのか?」と考えるクセ(習慣?)がある。

それは、決めたことを後悔するとか、あっちにすればよかった、と考えることではなく

決めた道を進んで行くにあたっての一つ一つに対して、

「もっと他の方法があるかも?」

「違ったらこっちをやってみようか?」などと思う、ということだ。

例えばはかせのことについて、こだわりを発揮して宿題を頑なに拒むとき

「彼の(私では理解不能な)理由を尊重して、このままやらない状態をしばらく

続けさせてあげようか」

「いや、こだわる理由をはっきりさせて、他のアプローチを試してみるか」

「宿題=やるべきこと、と教え込むか」

いつも頭の中は疑問形、だ。

自分の選んだ方法が「絶対だ」と思ってしまった瞬間から、何も進歩しないような

気がしてしまって、これでやってみよう!と思っても、もっといい方法があるかも・・

誰かに聞いてみようか、調べてみようか・・・

そんなことばっかやってるから能率が悪い、と思われるかもしれないけど(汗)

自分自身のことについても、「自分はこうだ、こうありたい、こうやりたい」という

思いは強いと思う、けれど、人の意見を聞ける人

(取り入れる、そのまま受け入れる、とは違う)でありたいとはいつも思う。

なかなか出来ないんだけどね(汗)

話はちょっと変わるけど、(いつも話がそれる)

この前、子供会の役員決めがあった。私は連合役員になったので

その中での役を決めるためだ。

会場にはくじを引く人(それぞれの字の連合役員担当の人)とそれぞれの字の子供会

会長が集まっていた。

(会長と連合役員は別にいる)

1人「春に(旦那さんが)異動になるかもしれないので

もしそうなったら、他の人に代わってもらってもいいですか?」と聞いている人がいた。

後ろのほう(会長)が「またあの人あんなこと言ってるよ」と言っていたようで

その話を聞いたとき

「そうやって役を逃げようとする人がいるから困るよねぇ」と言う人と

「実際役をもらって4月に異動です、じゃぁ申し訳ないって思ったんじゃない」と言う人と

分かれることに気が付いた。

実際その人はどちらの考えでその言葉を発したのかはわからないけれど

少なくとも上の発言には「本当はやりたくないので理由をつけたい」というズルさが

あるけれど、下の発言には「本当はやってもよいけれど、受けておいてやれません、じゃ

責任感が無さ過ぎるから、やれない」という謙虚さみたいなものがあるように思う。

そして受け取る側も、同じ言葉でも全く違った意味になってしまう。

難しいなぁ

だから言葉を発するときはちゃんとこうだから、こう思っています、まで言わないと

伝わらないんだろうな。でもそう言ってもやはり「あんなこと言ってる」って非難する人は

どこにもいるんだけどね・・気にしない気にしない(笑)

その辺はいつもの、主任さんの「見てる人は見てる」ことを信じて(笑)

とにかく、出来ようが出来まいが、役員になってしまったからには

1年間忙しいながらも楽しく会を進行していきたい、と思うんだけど

どうなることやら。。。。

私は仕事を持っているから思うように出来ないけれど、仕事とかシングルとかいうことを

理由にはしたくないのだ(他にもそういう人はたくさんいるから)

ただ、自分にはどうしても出来ないこともある(平日の午前中の仕事とか・・たまにしか

ないだろうけど)

だから、出来るときは積極的に協力して行くという気持ちだけは忘れたくない、と

思うなぁ。疲れるしめんどーくさっ、って思うときも正直あるけど

1年間だけだからね、仕事みたくずっと付きまとうもんじゃないし(笑)

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AIDSチャリティProject - RED RIBBON Spiritual Song ~生まれ来る子供たちのために~

今日から水曜まで、はかせ(長男)が学校のスキー体験で新潟に行ったので

ぴーと2人の夕食

何かおもしろいテレビやってないよねー、と731(CS)をつけると

邦楽カウントダウン100をやっていたので見ることに。

この番組、731(M-ON TV)でやっている音楽番組、

その名のとおり100位から1位まで順にPVを流す番組なんだけど

大抵フルで流すので、番組がめちゃくちゃ長い(6時間)

なので、いつも肝心のトップ10を見る前に寝てしまったり、

用事で出かけてしまったりして、一度も最後まで見たことが無いのだ(笑)

そんな中でかかっていた「生まれ来る子供たちのために」

レッドリボンのキャンペーンソングで、もともとはオフコースが

1979に出した曲・・というのは多分多くの人が知っていると思うけれど、

最初、佐藤竹善がカバーしていたものは、原曲の雰囲気にかなり近かったけれど

昨年、偶然ラジオで聴いた、桜井和寿がカバーしている

(後にbank bandがカバーと発覚)ものを聴いたとき、いやーー桜井クン、すごい、

聴かせてくれるわぁ、と感動してしまった(笑)

雰囲気は原曲に近いんだけど、あの独特の世界に引き込まれてしまう、

胸に染み入る感じ、というか。

それに「生まれ来る子供たちのために何を語ろう」のところを

「こどもらのために」と歌っているところが、「近い」感じがする。

私は佐藤竹善(シングライクトーキング)はすごく好きだけど、この歌に関しては

きれいに出来すぎちゃってる感じが私にはする。

そういう意味じゃ、オフコースのも、きれいすぎるかも?(笑)

前回の小田さんのツアー最終日で、ピアノ一本でこれを歌ったときは、すごかった。

さすが小田さん!(笑)

でも、1回目のとき、間違えちゃって途中で曲が止まってしまい

「間違えちゃった、やりなおしていい?」って言ってて、いやぁ、小田さんも

歳をとったなぁ(変わったなぁ)としみじみしてしまったんだけど(笑)

私が10代の頃の小田さん、ライブのときなんて、ばりばり完璧主義って感じで

(なので歌はすごくいいものを聴かせてくれる)、にこりともしないし(笑)

話が大分それたけど

このキャンペーンソングはとっつきやすく出来てる感じがします。

でも30年近く前の曲とは思えない、いい曲って時代が変わっても

いいんですねー

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書くということ

(ブログを)書く、ということは、カウンセリングのような効果があるのでは?と

以前のブログでも書いた。

自分の頭の中で、もやもやとしていることを、整理せず、そのままばーーっと

書いてしまうことで、気持ちが落ち着いたり、あとで読み返してみたとき

気持ちを整理できたりすることができるからだ。

(よって、他の人が読んだとき、何が言いたいの????という文章も多いだろうね)

でも、文章にする、ということは、ダイレクトに自分の目(や思考)に訴えられるので

苦しいこともたくさんある。

それでも少しずつ、できる範囲で書き出してみることによって

前に進めるのであれば、私は書き続けるだろう、と思う。

でも、まだ私はブログという場所に書けないようなことが、ある、しかも山ほど、ある。

書かなくてもいいことかもしれないので

このままずっと書きたくなかったら書かずに終わることだってあると思う、

それはそれでいいって思う。

自分を見つめることは、本当に苦しい、

でも自分を知ることによって、胸のつかえがとれることも、たくさんある。

ブログという場所があって、本当によかった。

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心の傷

(注:今日の文章は暗いです・・笑)

私の高校時代の友人は、よくこんなことを私に言った

「(お父さんに)『お前は欠陥不良品だ』ってまた言われた」

彼女は私から見たらかなり成績優秀だったけれど、彼女のお父さんから見たら

成績という面で優秀じゃなかったらしく、しょっちゅうそのように言われていたらしい。

更に、彼女の妹は父の『優秀』の基準に当てはまるらしく

妹と比較されていた。

前の職場の友人もそうで、彼女は私なんか足元に及ばないほど自己評価が低く

しかも何かあると表面でわかるほど落ち込むので、時々仕事にも影響をあたえて

しまうため、周りの人からは煙たがれていた。

彼女もやはり成績優秀(しかも美人)な妹が居り、大人になった今でも

親に何かと比較されていることを時々ぼやいていたが、彼女にしたら

かなりそれはダメージを与えることばだったんだと思う。

私は妹より正直成績はよかったので、妹の方は私の知らない部分で

そういうイヤな思いをしてきたのかもしれない。

自分では知らないうちに、誰かにそんな思いをさせてしまうことが、あるのかもしれない。

逆に、誰かはそうしようと思っていなかったんだけど

私が(勝手に)そう思ってしまったことも、あるのかもしれない。

彼女らの苦しみや気持ちは、例え似たようなこども時代を過ごしたとしても、

その全部はわからない、

誰かの苦しみの全てとか本当とか、は、その人にしか多分、わからない、

そんな風に思うようになった。

言った側からすると、それは大したことでは無いのかもしれない。

でもそのことがずっと心のどこかでしこりとなって、いつもじゃないけれど

あるときふっとその姿を思い出し、苦しくなるときがあるものだと、思う。

私は、親に今のことばで言うと虐待、をされてきた

親にしたら教育だったと思うし、それが悪いこととは(多分)思っていない。

あるとき、私はずっと苦しかったんだ、と親に言った、

「そんな昔のこといつまでも覚えてるのはやめなさい。今頃そんなことを言っても

しょうがないでしょ?」

確かにその通りだ、

でも、そんな簡単に忘れられることじゃないから苦しいのであって

やはり「苦しかった」という「事実」を認めてもらうことは無駄なことなんだと

そのときから諦めている(いい意味でも悪い意味でも)。

それより自分がその時からずっと(大人になった今でも)

「とても悲しかったんだ、辛かったんだ」という気持ちを

感じないようになっている、感じないで生きないと、死にそうに苦しかったから。

でも、色んな所に書かれているように、辛いけど、少しずつ自分で自分を

慰め、癒し、頑張ったと褒めてあげられたらいいなと思ったりする。

もうしばらく彼女たちと会っていない。

今、彼女たちも少しずつ本当の幸せに向かって生きてくれていたら

とても嬉しい。

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シンプルは難しい

先日出かけた際、荻窪ラーメンを食べた。

よって醤油味のシンプルなものだ。

スープの味がとても奥深く、久々に「全部飲みたいっっ」って思ってしまった(笑)

ほんの少しにんにくの香りがするのはわかる。

見た目もただのふつーのラーメンなのに、なかなかやるな・・(笑)

私は血圧が高めなので、全部飲むのはやめておいたけれど(笑)

そしてふと思った。

料理って、単純なほど難しいような気がする、ということを。

私が一番難しい、って思うのは焼き魚(笑)

下して塩をして焼くだけ。

なのになぜか難しいと感じるのは、単に料理の腕がないせいかもしれないけど

それだけじゃない、

塩の種類、加減、火の具合、焼き加減・・・

あらゆる基本が試される、そしてごまかしがきかない、

この世で一番恐ろしい料理、それが焼き魚(笑)

(注、あくまでも私にとって、です)

でもこれって料理に限らず、何でも同じかもなぁ

生き方も、シンプルに生きることは難しい(私にとっては)。

それは自分にごまかしもきかないからかな??(笑)

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学歴が欲しい?!

私は現在、放送大学に在学しているけれど

そもそも入学したのは、大卒の資格が欲しい、というよりは、福祉やその周辺

(心理など含む)について学びたかったからだ。

ボラの組織が無いので、だったら自分で作るしかない(今すぐにじゃないけど)

と思ったものの、なんせド素人だから、そりゃまずいだろ?と思ったわけだ。。。

もちろん、学んだ理論がそのまま役立つわけじゃなく、

(机上の理論だけじゃやっていけない)

実際やって失敗もして学んで自分で作り上げてゆくものだと思うけれど

でも土台はやはり必要だろう、と思ったからだ。

でも、正直言うと、大卒っていう肩書き(??)が欲しくない、といえば嘘になる

私は短卒だ。

私が高3の頃(昭和60年代)、世間では短大女子がもてはやされて(?)いたのだ。

就職するなら断然短卒と言われ、女子4大卒よりずっと就職率はよかった。

なので、私の学校でも、青短とか東女、南山、静女短(現在の県短)、

などが憧れ(?)の的であった。

そう、あくまでも憧れ(笑)実際は・・・(笑)もちろん入る人もいましたけど(笑)

話がそれたけど、今の時代、短大はなくなってきてますね。

確かに2年間ではたいした勉強は出来ないと思うし、就職の際、短卒は高卒と

同じ扱いですもんね。

あの頃もてはやされた短卒も今それを言うと、なんだ短卒なのね、となってしまう(笑)

私は親に短大にしなさいと言われたんだけど、本当は4大がよかったので

学部のある短大部ばかりを受験し、そこに入りその後上手くだまくらかして

3年次編入を計画していた(抜かりないな・・)

しかし、狙った学校が全滅し(笑)結局短卒のまま終わってしまった。

それがずっと心残りだったのは、確かに、ある。

今、実際仕事したり、生きて行く上で、大卒であるとか、大学の名前などは

私にはあまり関係ないけれど、実際問題、学歴、ってやはり必要なものなのかなぁ?

人間は生きて行くには、本当は学歴より人と上手くやって行く術の方が

よっぽど大事だと私は思う、けれど

学歴なんて全く関係ないよ、と言えない自分がいるのは事実。。。

両方持ってるのが一番いいんでしょうけど(笑)

私の周りでも、高卒でもばりばり働いている人もいれば

大卒でも特に・・という人もいるし

私は子どもには大学へいかせようと思っているけれど(下の子ども)

無意識のうちにより良い学校(高校も含め)と思ってしまうあたり、やはり

そういう時代に生きてきたからなのかなぁ、などと思ってしまったりする。

もちろん勉強だけやっていればいい、という教育はするつもりはないし

やっていないけれど、行くのであれば、そこそこの所へ行ってくれればなどと

思ってしまう自分がいることも否定できない。

私自身が、放送大学じゃなく、他の有名私立大学の通信をやる、という選択も

本当はできたはず。(実際考えていたし)

どうしてそれを選ばなかったのか?

例えば、名前も聞いたことの無いどこにあるのかもわからない大学と

そこそこ名前の通った大学のどちらを選びますか?

(両方合格圏内として)

多分名前の通った学校を選びますよね?(絶対とは言わないけど)

なんだかんだ言っても、結局多くの人がいい大学に行くという呪縛みたいなもんから

逃れられない(私も含め)のだろうか

なので、私はこんな人↓↓↓と知り合いになりたいです

有名大学を出たけど、学歴は関係ない!と断言できる人(笑)

なかなかいないんですよね・・・

高卒とかでも成功(?)した人は知っているし、そのような人が

「学歴は関係ないよ」というのはよく聞きますし、世間でも見かけますが

逆(有名大卒で関係ないという人)は私は会ったことも聞いたこともないので。。

学歴を否定することは、その人自身の生き方を否定してしまうことに繋がるので

(例えば、私に大学なんて出ても仕方ない、とかいう否定も含む)

実際、ちゃんとある程度の学校を出ている人にとって、そんなの関係ないと

言うことは不可能なことなのかもしれないですね????

(私はそうじゃないので、よくわからないんですが・・)

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自分を一番知らないのは自分?

私ってのん気で大雑把で、だけどこだわる所はとことんこだわるし、うるさいし・・

などと自分のことについて一番知っているのは自分だと思っていたけれど

そうでもないかも・・・と思うようになった

そのきっかけは、中学からの友人が乳がんにかかり、

そのことを私に報告しに来たときの会話だ。

「(彼女は私が)『欲しい』って思うようなものを何でも手に入れているようで

羨ましいなーっって思ったよ(笑)就職もちゃんとして、結婚もして、

子供もいて、でも遊んでて(笑)、趣味だって色々あるし、

いつも何かに一生懸命で、だけど私にはないナチュラルさがあって。」

「ヘぇ?私も昔からものすごいバイタリティに溢れてて、怖いもの知らずだし

ダメもとでどんどんチャレンジして行くし、そんな風にできることが羨ましかったよ(笑)

「へぇ?そうかな?(笑)」

私にしたら、ふつーに結婚して子供が居る、ということより

彼女の『高卒は絶対とらないといわれたのにダメもとでも受けてみる、と

大手某旅行会社の試験を受けて受かった』方がよっぽどすごいことだと思うんだけど

彼女にしたらそのことはあまり大したことではないらしい。

それより何より彼女が私の知らない性格の部分を指摘してきたときには

少しどっきりした。

それに私は自分に自身があるようで、まるで無く

人に褒められると、「そんなことないっっっ!」って思ってしまう。

「強情だし、頑固だし、カチカチに固まってるし、

なんでどこからナチュラルが出てくるのさ?適当に人を(悪い意味で)褒めてるに

違いないっっ」

そんな風に昔は思っていた。今は違うけど(笑)

あ、それに彼女は長い付き合いだから、いいことも悪いこともちゃんと言ってくれる、

って知ってるから、信じれるっていうのもあるかもしれないけれど。

話がそれたけど(←いつもだな・・)

自分は全てわかっているように思うけれどそれは一部なのかもしれない。

以前彼にこんなことを言われた

 自分に似ていない人に、
 人はストレスを覚えない。

 神経に触れてくる相手とは、
 自分と同じ短所を持った相手だから。

 嫌いな人の、
 嫌いな点を書き出していくと、
 全部、自分の姿になります。

もう2年くらい前のことだ。

最初、「えーー全然違うじゃん??っていうか意味わからん」と思った。

でも・・・この前の『人は本当のことを言われると怒れる』というのと同じで

自分の気が付いていない本当の自分の部分を見てしまっているから

いやなんだろうか???

これ、未だに自分の中では未解決のことばだ。

自分を知ってどうするのか?と思う人もいるかもしれない。

私は、自分とよりよく付き合うために、本当の自分を知りたいと思ってるのですが。。。

(それがいいか悪いかは置いといて。)

まぁ長所は短所にもなるし、短所は長所にもなる。

だから凸凹があって、全然いいんだと私は思うんだけどなー

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回答を見て思う

私は放送大学へ今年の4月に3年次編入をし

今回2回目の単位認定試験の勉強中・・・なはずなんだけど

ブログなど書いている(笑)息抜きっつーことでヾ(--;)ぉぃぉぃ

今回は一応6科目受ける予定なんだけど、先週最初の2科目の

通信指導問題の回答が送られてきた。

ひとつはマークシート式、もうひとつは記述式だった。

この記述式が本当に苦労して書き上げたものだったので、どのように添削されて

戻ってくるのかなぁと楽しみに待っていた

ところが・・・

適切に内容をまとめています

こ・・・これだけっっ・・・?!

確かに、ちゃんとまとめられていた、という事実は嬉しいんだけど

でも・・なにか・・こんなものかな?

「ここを足したほうがよかった」とか「ここを重点的にまとめてみるともっとよかった」

とか、ないのだろうか・・?!

素直に喜べない自分が悲しかったりする(笑)

でも、まぁ単純によく出来ていた、と捉えることにしよう(笑)

マークシート式の科目(今までこちらしか受けたことがなかった)の解説は

あっさり(簡潔に)まとめられているものが多いように感じていたけど

私の手元に戻ってきた解説は・・・ものすごく丁寧だった(笑)

正解のみならず間違いの選択肢についても、一つ一つ解説されており

更に「教材何ページを読んでみて下さい」とまで全てに書かれていて、びっくり(笑)

こういう何気ない所にも、先生の個性が表れて、おもしろかったりする。

でも顔の見えない先生(向こうからしたら生徒)っていうのは、やっぱイマイチ

淋しい感じがする。(向こうもそのように感じているのか??それはわからない・・)

何か学生として愛着が沸きにくい、というか、、、

何というか、孤独?そう、孤独っ(笑)

大変そうだけど、やはり卒研はとろうかなぁと思いつつ、

その前にまだまだ単位をとっていかねば

というか試験勉強進んでないヾ(--;)ぉぃぉぃ

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ことばにしてみる

私のブログ記事はコメントがつけ辛いとわかっていてでもあえて書いているので

つけられないと思ったらささっと読み逃げしてくれて構わないですよ(笑)

やり取りを求めているわけじゃない

共感を求めているわけでもない

ただ自分が誰かの文章を読んで考えるきっかけをもらっているのと同じように

気がつける場所でありたいと思っているんですよね

誰かのためじゃない、自分自身のために。

特定の誰かに発するには負担が大きいことも、ブログでは気にしないで書ける、

それは読む人が読みたければ読むし、読みたくなければ読まない、という前提で

書いているからです(そう、あくまでも前提)

私はいつか傾聴ボラをやりたいと公言している。

傾聴はその人の気持ちや思いをそのまま受け止めることだ、

ただ聴くことだ。

でも自分の気持ちや思いを聴けない人が、誰かの(それは重いであろう)気持ちや

思いを、ただそのまま受け止められるだろうか・・?

自分には弱音だったり、嫉妬だったり、色んな負の感情があって

でも「そういう気持ちも持っていい」と思えないと、もし誰かが弱音を吐いたとき

「そんな弱音言わないで、もっと強く生きなきゃ(ダメ)」って思ってしまうものなんじゃ

ないだろうか・・・?

自分に許可できないものは、他の人にも許可できない、

そういうのも心理学のどこかにあるみたいですが、難しい文章は苦手なんで

詳しく知りたい方は調べてみて下さいね。

仕事で完ぺき主義の人と一緒に組んでやると、異様に疲れるんですよ(笑)

確かにすごく仕事ができるし、見習わなきゃならないこともたくさんあるんだけど

そういう人は一緒に組んだ人にも同じようにやることを求めてくる、ような気がする。

(もちろん必ずそうだとは思わないけれど。しかもそれは多分

無意識に行われている)

そうすると「どうしてこうやらないの?」細かいことまで指示してきて

それを傍で見たとき「そんな人に厳しくしなくても・・・」と思ったのだ。

何でも最初から自分と同じようにできる、とは限らない、とも思う。

その人なりのペースもあると思う。(比較するのであれば、他人とではなく、過去の

自分自身となんじゃないでしょうか・・?)

それに完璧ってなんだろう?とも思う。

(私は自己満足なのでは?と思うんだけど・・・・)

話が大分それてしまったけれど、私に対する感想をメールで頂きました(笑)

ありがとうございます!

それを読んで思ったことは、私も子どもの頃そうだったけれど

言いたいことを我慢して飲み込んできた、それは何か言うと必ず

押さえつけられてきたからだ。小3か4の頃だ、親戚含め大勢で旅行に行ったとき

お昼がおにぎりだった、でも中身が梅干しかなく、当時梅干が苦手だったし

おなかもそんな空いていなかったので「私はいらない」って言ったら

ものすごく怒られて(笑)

ホントにおなか空いてたら梅干だけ抜いて食べようと思ってたけど

今は要らなかったからその通りに告げたのに、親からしたら「梅干が嫌いだから

わがままで言っている」と受け取ったのだろうね

ホントこっぴどく叱られた(笑)

まぁそんなことは序の口で、もっと理不尽なことが積み重なるうち、言ってもムダ

と思うようになり、私から一切口を開かなくなった。

言ったら怒られる、言ったら嫌われる、そういう間違った学習をしていたんだよね。

でも今の彼に

「思っていることは正直に伝えてよい、そうしたから嫌われる、というのとは

違う」と。

今思えば私の両親は心が健康じゃない人たちだったと思う(今も変わっていない)

でも相手の人が心が健康な人であれば、違うことを言っても

理不尽に怒ったり、不機嫌になったり、必要以上に落ち込んだりはしないんだと

いうことを知った。

(ということは自分は不健全だということにもなるんだけど。。。。まぁそれも事実)

「自分の持った感情は誰かのことばとかのせいではなく

自分の責任(自分の心の問題)だ」ということがやっと理解できた気がするのね。

(意味がわかんなかったから)

でも、いきなり人に向かって、自分の思っていることを伝えるのには

かなりかなりかなりの勇気が必要で(笑)

そうだ、誰も知らないブログだったら平気かもしれない?

そうやって自分の中に溜まった毒素をブログという公の場所を使わせてもらって

私は多分、多分だけど、少しずつ変化してきている、ような気がする。

ただ、それが他の人に向かうのはどうかなって思う。

誰か知らない人だから何でもいたいことを言ってもいい、というのは私は違うって思う。

あくまでも「自分の」場所(自分のブログ)において。自分自身に対して。

それに伴うリスク(批判等)はもちろん受ける覚悟(?)も必要かもしれない、

誰かに判断されるためにやっているのではなくって

自分が自分の何か(いい事、悪いこと含め)に気が付くためにやっているわけだから

気にしなくていいんだと思うな。(最初はそう思えないかもしれないけど)。

彼に「人に心配書けるような記事は書くな」っていわれたことがあるんだけど

私はね、確かにそうかもしれないけど、心配かけちゃいけないから書くなって

何か違うような気がして(上手く言えないんだけど)。

人の心配事は確かに背負うには重いかもしれない、

でも私はね、人には必ず汚い面があると思うから(もちろん自分にも)

それが見えたからと言って、その人が変な人とかいやな人とかは思わないね。

もちろん、そう思う人もいるだろうけど

思う人は思えばいいし、そうじゃないってわかる人はわかるんだって、思うんだ

ブログではリアルじゃない、顔も名前も住所も職業も知らない、現実的じゃない付き合い??

がどこか違和感を感じたときもあったけれど

今は知らないからいい部分もあるのかもしれない、って思ったりもする。

距離は近すぎても上手くいかない、って思うからね。

思ったままに書いてみたので、意味がわからない文章になってしまったけれど

とにかく、ことばにしてみること、って大事だなぁって

自分の本当の気持ちを感じることって大事なんだなぁって

しみじみしてしまいました(笑)

そして、私の彼のように「思ったことを言っていい」と言ってくれる人に

もし出遭えたら、その人をずっと大切にしていけたらいいですよね

(ノロケではありませんが・・・)

多分、そう言ってくれる人は、その人自身が実は私と同じような道を辿った結果

今のその人がいるんじゃないだろうか?と思うから。

だって、「思ったことを言ってはいけない」って思ってると

相手にもそれを多分無意識に求めている部分ってあると思うんだ

(私はそうだったけど、皆そうだとは言わないけれどね)

公の場(コメント)では残せないようなことで、でも何か伝えてみたいことが

もしありましたら、またメールを使ってみて下さいね!

私も率直な感想が聞けることは(それが自分と違う考えであっても)

とても嬉しいことですから。

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人間関係が変わるとき

同じことばを言われても、とり方によって全く違ったことになってしまう、

というかどんどん違う方向へ進んでしまう(?)ことがある、と思う。

例えば以前、「それ、ものすごい傘だね」って言われたことが、ある。

その時「えーそうですかぁ?」と返しながら心の中で

(趣味が悪いって事だろうか・・・)

(こんな傘を持っている自分って変な人ってことだろうか・・・)

と受け取っていた。

でも今だったら

「そう、なかなかいい趣味でしょ?(笑)」と受け流すことができるようになった。

これには自分でもびっくりなのだ。

というか、今思うと、昔の自分って付き合いづらい人間だったよなぁ・・(笑)

(いや今が付き合いづらくないかはわからないけど)

人の趣味なんて人それぞれなんだし、例え「すごい傘」だったりしても

それが=人間性を疑う、ということに繋がらない、ということが理解できるようになった。

だからと言って、私が誰かに

『その傘すごい傘だよね』ということばは使わないように心がけると思うけれど。

以前共感のみの世界では進歩しない、という文章を書いたことがあるけれど

確かに人は共感があって初めて繋がることができる、

でも自分を色んな角度から見るためには、指摘とか『こう思う』とか

自分とは違う考えを投げかけてくれる人がやはり私には必要なんだと思う。

でもそれを=否定、ととってしまう人には私も言えないし

向こうも言わないだろう

そのときは意味がわからなかったり、そんなことないっ、って思ったとしても

ずっと後になってわかることもたくさんあると思う

だからかけてもらったことばっていうは、できる限り大切にしたい。

(受け取らなくてもいいことばもあると思うけれど)

友達にもいろんな位置づけがあるけれど

本当の意味で親しくなりたい、と思ったとき、私は相手にどう思われても

違うことを投げかけることがある

(もちろんことばは選ぶし、でもそのことば選びが適切じゃないときもあるかもしれないけど)

(そしてそれが間違っているとか正しいとか突き詰めるためでは決してない。

物事に絶対はない、と私は今は思うようになった)

でもそれで上手くいかなくなる関係ということは

遅かれ早かれ疎遠になってゆく関係なのかもしれない。

(それか、微妙な位置付け)

ただ、以前のブログをやっていての反省として

「人の生き方には口出しをしない」

私はしたことがあるし、されたこともある

したい人はすればよいと思うけれど、私はこれだけは金輪際やめようと思う。

もうひとつは「人の心の奥を覗かない」

私は心理学が専攻じゃないけれど、学んだ心理学は自分のために

使いたいなーーって思っている。

ホント役立つ学問だと思う。これだけでも大学に入った甲斐が

あったなーと自己満足だけどね(笑)

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なるようになる?

今日は(一部の)職員旅行で、横浜に行くのだ。

ラーメン博物館で食事をしたあと、元町近辺で自由行動

(女性陣はショッピングorお茶か?)の後、中華街に集合し夕飯(梅蘭)、帰宅

・・・しかし私は途中で帰宅しなくちゃならない

子供会の役決めがあるのだ。

去年の暮れ、来年度の役員決めのとき、役が7つあるのに6人しかおらず

(何かしら1回やった人は免除される)

会長になるよりはマシと思い、連合をやることにした。

しかし・・・後で聞くと連合は仕事が多い上にうるさいらしい

今日のくじ引きも15分前に集まらないと、そのあとずっと言われるので気をつけてね、と

現会長さんから言われ

それだけで、もっとうるさいこと言われるんだろうなぁと予測される

どうしてオンナの集団は集団になるとあんな妙なパワーを発揮するのだろうか?

仕事のとき事務さんと

「明日、くじ引きなんで絶対自分が行かないと、○町に住めなくなるからっっ・・・」と言うと

「どうせやるなら楽しくやりたいよね」

そうなのだ、同じやるなら楽しくやりたい

でも無理だろうなぁー(笑)あぁめんどーーくさい

役をやりたくないわけじゃない、6年間散々子供会にはお世話になってきたわけだから

1年位何かやってもいいのだ、

でも結局みんなぐだぐだじめじめとした人間関係がイヤで

役どころか、子供を子供会に入れない人のほうが圧倒的に多い

ここは主任さんの「見てる人は見てる」のことばを信じ(笑)

まぁほどほどにやることにしましょう。

やらなくても言われ、やっても言われ、結局ぐずぐず言う人

(役じゃない人に限ってあれこれ変ないちゃもんつけたりするし・・)はどこにでもいるのだ

気にしないのが一番(開き直り)

ずっとその人間関係が続くわけじゃないのだし(開き治り)

ただ役員さん同士は仲良くやりたいなーそれが一番の不安要素か?

それで全て上手くいくか行かないか決まるだろうし。。

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ブログが面倒くさく感じるとき

Yブログから越してきた最後の理由は、

Yブログのシステムが面倒くさいと思った、からだ。

というか、私には合っていない、ということだろうか?

Yブログには「お気に入り登録」というシステムがある。

ブログを訪問して、そこのブログを読み続けたい、と思った時

「お気に入り登録」をすると、更新情報がでたり、そこのブログへすぐ行けたり

ファンしか読めない記事を読めたりする。

ここで言うと「マイリストに登録する」というものに近いのだろうか?

私が誰かの(ココログ)を登録すると、今度からは簡単にそこのページへ

いくことができる、それはYブログと変わらない。

じゃぁ何が違うのか、というと、それが登録された方の人はわからない、というところ

だろう。

逆に言うとYブログの場合、「○○さんがお気に入り登録しました」と通知されるのだ。

そして大抵その本人からのメッセージが「ゲスブ」に残される。

まぁそれが別に悪いわけじゃない。

でもそうなると、こちらからもそちらへ行かないわけにはいかない

(という気分にさせられる)

それが必ずしも私も読み続けてみたい、と思うものとは限らない。

でも何か暗黙の了解で、登録したら登録返しをする、というものが

あそこにはある(ような気がする)。

しばらく経ってわかったんだけど、Yブログではコメントをつけなければ

だんだんとその人は来なくなる、ということが。

でもそれって裏を返すと、コメントが欲しいから来ていた?ということにも

少しは繋がるのではないだろうか??

本当に読みたければ、コメントがあるとかないとかつけるとかつけないとか

関係なく読みに行くのではないだろうか?

多分それはその人が「コミュニケーション」をとる手段としてブログを使っているという

私とのスタンスの違いからなんだろうと思う。

ブログの目的は人によって違うので、そういうことも発生するだろう。

ある意味、ブログがアイデンティティになっている(若者の携帯と同じ)、

ということにも繋がるのかもしれないと思ったりする

(これについてはまたいつか)

そう思ったら、何か面倒くさくなってしまって(笑)

あと、「お気に入り登録」してくれている人は「ファン限定記事」を読むことができるわけ

だけど、これ、実際のところ、本当の意味で登録してなくても読むことができるのだ

夜中とかに一瞬ファン登録して記事を読み、その後ファン解除する、という方法で。

実際それでトラブルになった人も知っている。

ここは自分がパスワードをお知らせした人だけ読めるというシステムなので

とても安心だ(そのような記事を書くかどうかは・・今のところ予定はないけど・・笑)

そして、問題は、ファン登録してもらいたいという理由で登録していったり

(私は完全無視していたが・・・よってそのような人はすぐ登録解除してゆく)

「友達の友達」が入りやすいシステムに疲れた、ということだろうか?

私自身、実際、そのようなパターンで親しくなったこともあるので、

それを否定することはできないけれど、自分の意図しない所で、どんどん人間関係が

広がっていってしまうことに、戸惑いがある、というか、疲れるのだ(正直言ってしまうと。)

広がることは悪いことじゃないんだけど、私には私のキャパがあって

しかも深く狭くを好むし、じっくりやり取りを楽しみたいタイプ、

文章なんかも丁寧に読むほうだと自分では思う

(よって時間がかかる)それに何より、つけるコメントが一番頭を使う(笑)

なので結局普段読みに行く人は本当に限られているのだが

私が誰かのYブログを読みに行きコメントをつけると、結局そこで

あまり訪問しないブログの知り合いに遭遇してしまうわけで

「読みに行く」のと「行かない」のが、見えてしまい、気疲れするときがあるのだ・・・・

私だけだろうか???(よくわからないけど)

その点、ここは誰かが自分のリストに載せても私はわからないから気楽(笑)

読みたい人が読みたいブログに行けばいいんだと思うのだ、

なので誰かリストに乗せてくれている人がいたら、こんなわけのわからない文章の

どこかを気に入ってくれてそうしてくれたわけで

本当にありがとうございます。

でも、何となく感じるんだ。

読みたいと思ってくれる人の文章は、多分私も読みたいと思うということが(笑)

それは何か通じるものがあるから読みたいと思うんだと思うから

通じるものがないと読みたいって思わないよね?(私だけかな???)

意味不明な文章になってしまいました・・・。失礼しました。

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向き合うのは自分

去年、1つ、やっとわかったことがある。

よく言われているけれど、自分のごく身近にいる人は自分の鏡なんだということが。

例えば、こども。

何かしまりがなくて、よく言えばマイペース、悪く言うとだらしない(笑)

「ちょっと早く宿題やりなさいよー」

・・でもそれは実は自分なのかも。。。

例えば、彼。

彼は私とは正反対の性格や行動をとる人だから、鏡にならないだろう?と

思っていたけれど。

私に「あれはこうじゃない」というような上から目線で結構ものを言う所に

すぐかちーーーーんときていたけど(笑)

私も無意識にやっているのではないだろうか???

ことばに気をつけているつもりでも、それは「つもり」で、実は無神経な発言を

していないだろうか・・・

人にとやかく言う前に、自分がちゃんと行動できてるのかな

仕事では「慣れ」に甘えていないだろうか・・

それと。

「人は本当のことを言われるから怒れるんだ」

彼とそういう話になった。

「例えばさ、(私に)『はげ』って言われてもなんとも思わないだろ?

でも本当にはげている人に『はげ』というと怒るだろ?」

と言われ、確かにそうかも・・・

だから、私が彼に言われて、かちーーーんとくることは

本当のことなんだ

いや、本当はずっと前から本当だとわかっていたけど

それに向き合えない自分がいた

自分と向き合えないで、自分から逃げていて、何に向き合えるのか?

冷静に事実を見つめる勇気とか

自分にできること、出来ないことをしっかり見つめる時間を

今年はもう少しもてるようにしたいと思いますね。。。

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自分を大切にする

今年の抱負①で、「何か1つ始めてみる」と書いたけれど

今年は『自分を大切にする』ことをしてみようかと思っている。

彼と付き合い始めたばかりのころ、こんなことを言われたことがある

「(私は)自分を大切にしてこなかったんだよ」「不幸願望が強い」

その意味がずっとわからなかった。不幸願望??意味がわからんっ。

それに自分を大切にするとかしないとか、なんて考えたこともなかった。

今もその意味の本当がわかっているのかは、わからない。

でも、今、私は心から「幸せになりたい」と思う(思える)ようになったのだ、

昔は、自分の幸せとは何か、全くわからなかった。

幸せになりたい、とも思ったこと・考えたことも、なかった。

幸せになるために、自分を大切にして、そして周りの人も大切にできるように

なりたい、そんな風に思うようになったのだ(自分でも驚きだ)

大切にする、ということは、自分の本当の気持ちをちゃんと聞いてあげることだ、と

思うようになった。

嬉しさ、喜び、哀しみ、怒り・・

特に私の場合、負の感情だ、と思う。

子どもの頃からずっとやってきた、布団に篭ってただひたすら気持ちを抑えるのではなく、

正直に聞いてあげることだ

もうひとつ。

よく行くサイトの1つで、心の相談室、というところがあるんだけど

そこにこのように書かれている。

自分を好きになる方法

分を好きになる方法自尊心を高める方法のひとつとして
分の世話をするという方法があります。
なのは、一貫性を持って、自分の世話をし続けることです
しい時、苦しい時、辛い時、失敗した時、
分を慰める術を持っている人は、早めに立ち直ることができるものです。
特に、他人の世話をしても、自分の世話をするのが苦手な人は、次のページの方法を参考にして、継続して自分の世話をし続けて下さい。

書かれていることは、ごく単純なことだ。

散歩をする、スキップをする、ゆっくりお茶を飲む

などなど、え?こんなことでいいの?っていうことがたくさん並んでいる。

ほんとにこれで自分を好きになれるのだろうか?と思ってしまうけど(笑)

とりあえず始めてみることだよね

そういえば、私は人の好意、褒めことばなどを受け取れない人なのだ

(ということも最近知った・・)

すぐ「えーーーそんなことないですよぉ」などと答えてしまう。

褒められるに値しない、私など褒められるわけがない、

と思っているのだ(ということがわかった)

これからは素直に受け取れる人になれるといいなぁーとも。

受け取れて初めて本当に回すことができるような気がするから。

ということで、今年はここに書かれていること

http://www.f5.dion.ne.jp/~with/sewa.htm

を毎日1つずつ実行してみようと思っています。

そーそー、もうひとつだけ(笑)

朝晩腹筋10回ずつも忘れずに(笑)

歯磨きしないと気持ち悪いよね?そんな感じで習慣付けられるように

少しずつ(笑)

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人肌

人肌に触れると、とてもとても心地よく感じる。

私は低体温人間なので、そう感じる、ということもあるのかもしれないけれど

それだけじゃないだろう。

なんていうか、安心する。

その人がとても信頼している人なら、特に。

肌の温かさが私のずっと求めていたものだからかもしれないけれど。

ことばが上手く出なくても、肌に触れられると、感じる「何か」がある。

嬉しさ、喜び、哀しさ、辛さ、etc・・そして安心さ、も。

そういうものが私の肌を通して、身体の奥にじんじんと伝わってくる時がある。

ずっと前、付き合っていた医師の彼が

「この前、(患者さんの)おばあちゃんが突然『あなたの肌は温かい』って言ってね、

手を握ったら泣き出したんだ」

と話をしたことを、さっき思い出した。

おばあちゃんはどうやら彼に手を握って欲しい、とお願いしたらしい。

私は

「私は腕がいいけど人間的に最低な医師にはかかりたくない」

(裏側をたくさん見てしまったから)

そしたら

「外科医は切って治すのが本業だよ」

「治せない医師は医師じゃない」

って言われたけど、

やっぱり私は手を握ってくれない医師にはかかりたくない、

世間で言う一流の医師であっても。そのために自分の命の期限が短くなろうとも。

(もちろん逆に考える人だっているだろう)

私のそのことばをずっと黙って、無表情で聞いていた横顔が

今でも思い出される。

人肌は不思議な力がある。

私は今も人肌の温かさで助けられている。

それを教えてくれた人がいたから、そう思える自分がいるんだって思う。

だから、気の利いたことばもいいのかもしれないけど、

ただ黙ってそっと触れられる人になりたいと思う。

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許しまでの遠い道のり

実家に久々に帰った

私にとって実家は、相変わらず居心地がいい所では、ない

(以前ほどではないけれど)。

子供たちは「泊まる」というので、彼等だけ置いてきて

私は夜中に帰宅した。

自分の中では、「もういいか」という気持ちがずっと前からあるものの

でもなかなか、過去に抱いたマイナスの記憶とか思いを

手放さない(手放せない?)でいる。

それは、もう単に意地を張っている、というか、意固地になっている、というか

つまらない拘りを持っているだけ、というか

多分そいういうものだと自分でもわかっている、

わかっているけれど、なかなか素直になれないのは、まだどこかで

かれらのことを許せない部分が自分の中に残っているせいなのかもしれない。

親、という存在ではなく、1人の人間として見た時

私は彼らを尊敬はやっぱりできないし、未だに反面教師で生きている。

でも完璧な人間はいないし、どこか不完全なのは仕方ないとも思う。

彼らは彼らなりに一生懸命だったのだと、今は思う。

ずっと昔の彼のことを好きだという気持ちだとか、彼への拘り、思い、とかを

手放せなかったし、手放そうとも思わなかったし、手放せるとも思わなかったけれど

だんだんとまあ、もういいか、と思うようになった。

今はあのときが嘘のように、彼のことは私の中で、記憶の片隅にほんわりと

残っている、そして彼の幸せを心から願えるように、なった。10年かかったけれど。

そういう自分に本当にびっくりしている(それだけ執着していたから。)

無理やり手放そうとしても、手放せるものでもないと私は思うし、

許すなんてそんな簡単にできるものでもないとも思う。

だから親への(傍から見たら)つまらない(本人にとっては重要なのだが・・)こだわりを

本当に手放せる日も、きっといつか来るだろう、と思っている。

だんだんと、でも自然に。

想いの強い分だけ、時間もかかるのは当然なのかもしれない、

想いの強い分だけ、それだけ愛している、ということなのだろうから。

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今年の抱負(?)その①

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくおねがいします。

・・・私は誰に向かって言ってるのだろうか??(笑)

世界中の人に向かって、ということでいいだろうか?(笑)

さて。今年は家にいるということで、とてものんびりした、でも気持ちのよい新年を

迎えることが出来ました。

H市はとてもいい天気です。他県、他市(西部地方以外)からH市に越してきた人の

100%が驚く(笑)「遠州のからっ風」も今日は吹いてません。

昨晩、夜更かしをしすぎたせいか、子供たちはまだ寝ている・・・

いつもなら許さないけど(笑)正月くらいはまぁ好きにさせてあげようかな、と。

私は今から試験勉強を・・・何が悲しくて正月から教科書を開かないといけないのか・・(笑)

さて。今年は、「何か1つ」始めてみようと考えています。

小さなこと、1つ。

でも何にするのか、まだ決まってない。

成り行きで始めることは1つあります。

200801010914000

「家計調査」

総務省統計局からの依頼で、1月1日~3月31日まで

なんと毎日!!家計簿をつけて提出します。

最初依頼人の方が来たとき、「・・・めんどくさそう・・・・」と思ったけれど

最近どうも収入より支出の方が増大している気がしていたので

ここはちゃんとつけてみて、家計を見直してみる必要があるかも?と

思ったので、受けてみることにしました。

離婚したとき、一度家計を見直して、予算をそれぞれとり、

収入の中から貯金とか必要な支出を除き、残ったお金で

普段の支出をまかなっていたけれど

(残ったお金で暮らすので、特に家計簿はつけていなかった)

どうももう当時の予算のままでは上手くいかないと

思いつつ、そのままに・・・

これからますます支出が増えるしだろうしね(特に食費とか子供関係)

家計簿をつけるにあたって支給されたのが、写真の通り、

家計簿(これは提出する)、鉛筆、シャーペン、けしごむ、など文房具、

電卓、秤(2キロ。買ったもの全ての重さを量って書くのだ・・・・どうしてだろう?)

メモ帳、そして、僅かだけど謝礼金もあります。

お金は、貯めるときは貯める、でも使うときは使う主義(?)なので

今年も上手に貯めて、上手に使って、楽しみたいですね

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誰かに頼ってみる

前の職場が病院ということもあって、看護士の友人・知人が多い。

私の勝手なイメージで、看護士の人は怖い、っていうのがあって(笑)

なんかとっつき難いというか、気軽にしゃべりかけられない、っていうか

ま。私が勝手に怖がっていただけなんだろけど。

実際一緒に仕事をしてみると、これまたこのイメージがますます膨らんでしまい

最初はなかなか親しくなれなかった。

でも実際親しくなってみると、まあなんて勝手なイメージを作っていたのかと

恥ずかしくなる(笑)

確かに仕事中はすごい

一見おっとりしているような看護士さんでも、ばりばりてきぱき動き

Drとも対等に話し、色々な知識も持っているし

ホントすごいのだ、尊敬してしまう!

かといって、家に帰ればふつーのお母さんだったりして(笑)

働くときは働き、呑む時は呑み、遊ぶときは遊び、家ではふつーの母(笑)

どれかに偏ることなく、どれもバランスよく上手にこなしている

いやこなせるから看護士を続けられてるのかもしれないなぁ

2週間ほどまえ、久々に街中をぶらぶらしていたら、

向かいから親子連れ(母と20代の娘)が歩いてきて

私の顔を見るなり「ああああーー」というので、むむ?とその人を見ると

Ns中○さんだった。

中○さん、こんな大きな娘さんがいたのね(初めて知った)

「今なにやってるの?」から始まり、しばし雑談

私のこと覚えてくれてたんだぁーーー(嬉しい)

この前は肉屋でHさんにばったり会い「大○○元気?」から始まり、しばし雑談

その前はジャスコで今は開業医にいるSさんに会ったりして

これは天からの何かのメッセージか??????

そうそう、ボラで何か困ったときは彼女らに相談してみるといいかもしれない

この前大学の面接授業で受けた心理学がすごくいい授業だった

アイデアはどうしたら得られるか?

  • 色々なものを集める
  • 固定観念にとらわれない

アイデアとは何か

  • 色々なことを調べ、経験すること

アイデアを得る条件

  • (そのことについて)よく知っている人を知っているか?=その人の財産である
  • 全部自分で知ろうとしないこと、困ったらその人に聞く

困ったら聞きなさいよー、聞ける人、ちゃんといるから、っていうメッセージだったのかな?

私は自信がないから、「もう私のこと覚えてないかな?」とか

「こんなこと聞くと悪いかな?」」なんて思っちゃうけど

どんどん頼りにしていっていいんだな(ってこの前主任さんにも言われたな)

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ブログに頼らない②

昨日、あれから考えてみた。

彼がブログを通じて私の気持ちがわかる、って言ったのは

私という人がよくわからなくて(それはあまりことばにしないから)

だから、ブログを頼りにしていた部分があったのかな?って。

自分の行動も省みないといけないですよね。

彼は完ぺき主義だし、私より色んな知識も持っているし、自分に厳しい。

私とは正反対。

でも時々他人に対してもとても厳しいときがある。

私にも。

私はゆるゆるな人なので、時々厳しく言ってくれる人は

とても必要だと思う。

でも時々苦しくなるときも正直、ある。

今日は珍しく向こうから電話かけてきて、最後に「こんなくだらないことで電話してごめん」

って言うけど

私の電話はいつも意味なくかけるし(笑)

で、なんとなくわかった。

私はもう少し厳しく生きた方がいいし、そうしたいと思っていて、でもできなくて

彼はもう少しいい加減に生きた方がいいし、そうしたいと思っていて、でもできなくて

そういう意味じゃお互い必要な人なんだろうか?(笑)

注)のろけ話ではありません。

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ブログに頼らない

Yブログを閉じて、ここに越してきた理由には2つあって。

(いや厳密に言うと、3つだろうけど、今日はそのうちの2つを)

ひとつは、内容を一新したかったからだ。

以前のブログでは恋愛がメインだったけれど(最後のほうはそうでもなかったけど)

もっと幅広く持ちたかったからだ。

過去の自分が今の自分と違う部分があったとしても、

それは自分自身には間違いないし、隠すつもりも無かった。

それじゃぁどうしてか、っていうと、もうひとつの理由があったからで。

それは、1年ほど前のことだ。

それ以前からブログをやるということに全く意味が見出せないので

止めようと思って、でもなんとなく続けていて

でもやっぱり止めようと思い、現在付き合っている彼にそのことを告げた。

そのときに返って来た返事を読んだとき、まず、不機嫌になってるなぁ、と。

そしてこんな風に書かれていた

僕が客観的に(私の)気持ちを学べるから。
恋愛は1対1だから、なかなか言えないことが多い。
当然、勘違いや思いこみ、誤解も多く生じる。

でも、(私が)ブログで、
素直な気持ちを書き続けてくれたら、
僕はそこから学習することができる。

そう言われたから、やめようと思ってから更に1年間続けたわけじゃないけど

そのことばについて、ずっとどこかひっかかっていた。

私はそもそも活字でのやり取りは好きではない、特に重要なことは。

メールでもブログでも何でもそういう部分はあると思うけど

文字のやりとりは、受け取る側の認知の仕方によって、全く違ったものになってしまう

ことも多々ある、と思う。

自分はAということを伝えたいと思ったのに、相手はBである、と受け取ってしまう。

それは実際人×人の場面でもあると思う

(腕組みをしているだけで、怒っていると思ってしまう、とか)

もちろん自分が知らない部分(潜在的な部分)があって、自分では気が付いていない

気持ちとか、感情とかが他の人に見える、ということもあるのかもしれないけれど。

で、、、

私は思うのだ。

距離の近い人(身内、夫婦など)にはあまり近付き過ぎないように、微妙な距離を

置いた方が上手くいくのでは?と。

その人が入られたくない枠みたいなもんが誰にもあって、

でも距離の近い人はその枠の中に、ずけずけと入りやすい(部分がある)。

だからこそ、自分のことばでしっかりコミュニケーションをとらないといけないのでは?と。

ブログという場所に頼っていて、自分のことばで言い難いことも

正しいことばや方法で相手に伝えることができなくて、

どうしていい関係が作れるのだろうか?と。

私もブログという場に甘えてしまった。

私は『伝える』ということがとても苦手だ。

だからこそ、そういう場を持っていてはいけないのではないのだろうか???

と思い、突然だったけど削除してしまった。

彼にはこの場所は教えていない。

思ったこと、伝えたいことは、自分の口から伝えようと思う。

最初は上手くできないかもしれないけど。

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死ぬこととは

先月の連休に、以前一緒に仕事をしていた子が亡くなった

月曜に具合が悪いと言い、早退して、土曜に亡くなってしまった

お通夜に行って、彼女とお別れをしてきた

とてもきれいな顔をしていた

彼女は29歳だ

自分がまさかこの世からいなくなるとは思ってもなかったと思う

(家族だってそうだと思うけれど。)

ずっと考えていた

死ぬってやっぱり当たり前に起こることなんだと。

生きている限りいつか必ず死ぬのだ

逆に、生きていてももう会うことの出来ない人もいる。

あんなに好きだったのに、もう(多分)2度と会えない人がいる

その人がこの世からいなくなっても、私にはわからない

今生きていても、会えないのなら、死んでしまったことと同じようなことにしか

私には思えない。

万が一会えるという可能性がある、としても、

その人は私にとっては、今生きていない、ということと、あまり変わりない。

でもその人の存在とか発したことばとか、は、ずっと忘れることはない

そうか、死ぬこととは、生き続けることなのか?

いや、生きることとは、単にこの世に肉体が存在していることとは少し違う、

私にとってはもっと奥の深いこと。

生きることって大変だけど、素敵なことだ

私の中には何人もの人が、ずっと生きている

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